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第1話 いつか家族になってくれる人(3)

「すみませんっ! お待たせしちゃいましたか?」  待ち合わせ場所の駅前に着くと、すでに相手が待っていた。  黒のスーツに身を包み、年齢はやや年上といったところだろうか。清潔感があり、若々しくも落ち着いた雰囲気の男性だ。 「いえいえ、俺も今来たところですから」  にこやかに応じる様子に、春陽もホッと胸を撫で下ろす。  その後、レストランに入り、軽食を口にしながら会話を交わすことにした。第一印象は悪くない――はずだった。 「へえ、春陽さんは在宅ワークなんですか」 「ええ。短大卒業後、ライフスタイル誌の編集部に入社したんですけど……出産だとか諸事情あって。今は在宅で、WEBライターのお仕事させてもらってます」 「ふうん、そっかあ。なんか自由そうでいいですね」  男が朗らかに笑って言う。  一見、悪意のない言葉だが、「気軽そう」とも受け取れて、春陽は少しだけ胸がざらつく思いだった。 「正直、時間の融通が利くのは助かってます。子供が熱を出したときなんかも、すぐ対応できますし」 「ああ、それ想像できるなあ。春陽さんって見るからに家庭的っぽいし、子供好きそうだもん」  ところが、ざらつく思いも何のその――男の一言に、春陽は一転して明るい笑顔を咲かせる。 「はいっ、大好きです!」 「え」 「確かに毎日大変だけど、子供がいることに幸せをふと感じるんです。今日だって、幼稚園で『パパいかないでえ』なんて泣かれちゃって……どうしたらいいのかなって、親としては悩んでいるんですけど――」  思いを馳せるように語り出した春陽に、男はきょとんとした。 「あーうん。すごい、子煩悩なんですね」 「っ……す、すみません、つい!」  毎回恒例の失態だと気づき、春陽は我に返る。  男は気にしていない様子で、「いや、いいと思いますよ」と笑った。 「ちゃんと子供に向き合ってる、ってことじゃないですか。それもシングルでだなんて、すごいことですよ」 「あ……ありがとう、ございます」  男の言葉が純粋に嬉しかった。  今朝のような出来事があったせいだろうか。親としての自分を肯定され、緊張していたはずの気が緩んでしまうのを感じた。 「ねえ、春陽さん。ちょっと歩きません? この近くに、があるんです」  だからこその油断。不意に提案された言葉に、春陽は深く考えることなく頷くのだった。  レストランを出て、案内されるまま並んで歩く。男は自然な動作でこちらの背を押し、繁華街の脇道へと誘った。  人通りの少ない道。いつしか、あからさまな看板が立ち並ぶようになり――ぎょっとして、春陽は立ち止まった。 「あの、ここって」 「うん? わかってるくせに。言ったでしょ、『静かでいい場所』って」  男はまるで人が変わったようだった。  静かでいい場所、なんてとんでもない。そこはいわゆる《ラブホテル街》で、言わんとすることは明白だ。 「俺、そういうつもりじゃ!」 「いやいや、そこまで純情ぶらなくていいから。シチュエーション的に燃えるのはわかるけどさ」  ニヤつきながら近づいてくる男に、春陽は思わず後ずさった。けれど道は狭く、背中にはコンクリートの壁が迫っていて逃げ場がない。 「ち、違いますっ。本当に違くって!」  そうこうしているうちにも、男の手が壁に当てられる。ぐっと距離が詰まり、春陽は思わず身を縮めた。  ごくり、と相手の喉が鳴るのが聞こえる。 「へーえ、マジなやつ? こんなんで子持ちとか、一体どういう経緯でそうなるわけ? ……春陽さんのこと、すっげえやらしく思えてきた」 「っ!」  途端、嫌な記憶とともに、何とも言い難い嫌悪感が走った。  春陽は反射的に男を突き飛ばす。しかし逃れようにも、すぐに背後から肩を掴まれてしまった。 「おい! いいだろ、少しくらい付き合えよ!」  駄目だ。こんなとき、非力で情けない自分が嫌になる。 (もう、流されないって決めたのに!)  春陽はぎゅっと目をつぶった。その刹那――、 「春陽さんっ!」  誰かが呼ぶ声が、空気を切り裂くように響いた。  突如として現れた人物。春陽はただ呆然と、相手の顔を見上げる。  黒髪。長身。キリッと整った目元に、たくましくも線の細い青年――。 「ずっと、探してた――やっと会えた」

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