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第2話 トラブルDAY(3)
不意に返された言葉に、春陽はドキリとする。
湊は真っ直ぐな目で、こちらの顔を見つめていた。まるで、すべてを知っているかのような目だった。
「俺、わかるよ。春陽さんがそういう人じゃないことくらい、ちゃんと知ってる」
「湊くん……」
「だったら、なおさら――俺のこと頼ってよ」
その言葉に重なるように、湊の手がそっと伸びる。指先が躊躇いがちに触れ、静かに春陽の手が握られた。
「他に行くんじゃなくて。俺じゃ、駄目なの?」
触れ合った部分から、じんわりと温もりが伝わってくる。
春陽は突然のことに動揺するばかりだった。
「そんなこと言われても」
「俺、春陽さんのこと好きだから」
こちらが何かを言う前に、そのような言葉が続けられた。
「『償い』とか言ったけど、それだけじゃないんだ。春陽さんと出会ってなかったら、今の俺はなかったかもしれない――だから今度は、俺が春陽さんの助けになりたい。支えになりたいんだ」
湊が握った手に力を込める。
春陽が黙ったままでいると、湊は何を思ったのか、突然ハッとした顔つきになった。
「って、違わないけど違くって! あー下手かっ、なんて言ったら伝わるかなー!?」
一人でうんうんと唸りながら、湊は額を押さえる。
一方、春陽はその姿を黙って見つめたのち、ふわりと笑みを浮かべた。
「大丈夫、伝わってるよ」
「えっ!」
「ありがとう、すごく嬉しい。湊くん、本当に大きくなったんだね」
「やっぱ伝わってないし……」
「?」
「いや、ううん。こっちの話」
湊が肩を落とす。春陽は首をかしげながらも、話を戻すことにした。
「それでも、さ。……俺はやっぱり、湊くんに悪いと思っちゃうから」
言って、ゆっくりと手を引っ込める。
名残惜しそうに湊の手が動いたが、それ以上に食い下がるようなことはしなかった。
「なら、うちの親に会うのは? 父さんも母さんも、春陽さんのこと心配してるよ」
「――……」
不意に出された提案に、春陽の表情が固まる。
本当はそうすべきなのだろう。が、その覚悟は――まだ、できそうになかった。
「ごめんね。今は……まだ無理」
春陽は視線を落として言った。
対する湊の声は静かなもので、「そっか」とだけ返してきたのだった。
湊とはその場で別れ、春陽はいつものように幼稚園へと向かった。
間もなく降園時刻を迎えると、優のいる教室の前まで移動する。いつもならすぐに駆け寄ってきてくれるのだが、優は部屋の隅でぽつんと座っていた。
(えーっと、これは……?)
頭からスモックを被っているさまからして、いかにも「そっとしておいて」という雰囲気だ。何かあったのは間違いない。
「清水さん、すみません」
担任の先生に呼ばれて、春陽は教室内へと足を踏み入れる。先生も「パパ、来たよー」と声をかけてくれるのだが、優からの返事はなかった。
「優くん、どうしたの?」
春陽はそっと膝をついて、スモックの中を覗き込む。
すると、やっとのことで優が顔を見せてくれた。目は赤く、鼻をすすっている。
「あの、実は」
と、先生が何か言う気配がしたが、先に優がぽつりと呟いた。
「……おしっこ、でちゃったの」
あっ、と思った。
春陽の脳裏に、今朝のやりとりがよぎる。今度は我慢してしまったのだと。
先生が言うには、すぐに着替えさせたものの、優は恥ずかしかったのか癇癪を起こし、なかなか気持ちが立ち直らないのだという。
「お漏らししちゃったんだね。びっくりしちゃったかな?」
優がこくんと頷く。春陽は小さな身体を柔らかく包み込んだ。
「ちゃんと教えてくれてありがとう、偉かったね。失敗するのはみんな同じだし、恥ずかしくなんかないよ」
よしよし、と背中をさする。
優はまだ四歳になったばかり。この年頃の子なら、トイレの失敗なんてよくあることだ。
ただ、早生まれなぶん、どうしても他の子より発達が遅れてしまう――。
もちろん、頭の中では理解している。
周囲と比べる必要はないことも、優らしいペースでいいことも。焦らず、あたたかく見守ればいいのだと。
……けれど、ふと不安に駆られるのだ。
(俺、親としてやれてるのかな。周りの親御さんと同じように、子育てできてるのかな)
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