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第2話 トラブルDAY(4)

 片親というのはもちろんのこと、春陽自身も〝親〟というものをまったく知らない。  鬱屈とした気持ちを振り払うように、深く息を吐く。そんなことをしていたら、頬にあたたかな感触が触れた。 「パパ?」  幼い手が頬を撫でていた。驚いて顔を上げると、優が心配そうにこちらを見ている。 (あ……まずい。顔に出ちゃってたかも)  春陽は慌てて笑顔を作って、柔らかな声を出す。 「なあに?」  ところが優は、「んーん」と首を横に振っただけだった。  帰宅して一緒に過ごすも、優の表情は浮かばない。ひとまず春陽は、夕食の準備に取り掛かることにした。 「今日のお夕飯は、優くんのだーいすきなハンバーグですよ~」  などと明るく言ってみるのだが、優はどこか上の空だ。  どうしたら元気を出してくれるのだろう。……いや、自分がしっかりしなければ。  胸の内でままならない気持ちが募っていく。  そして、余裕が無いときに限ってトラブルは重なるもので――、 「ぱ、パパぁ……っ」  それは突然やってきた。聞こえてきたか細い声に、春陽はリビングの方を見やる。優は涙をぽろぽろと流し、苦しそうに身体を丸めていた。 「優? どうしたの?」  コンロの火を止めて駆け寄れば、優の様子がおかしい。  青白い顔に、嫌な感じの汗が浮かんでいた。呼吸も荒く、時折苦しそうな声が上がる。 「おなか、いたい……っ」 「お腹? 頭じゃなくて?」 「うう……おなかいたいのおっ」  春陽はぞくりと背筋が冷たくなるのを感じた。  幼児特有の突発的な発熱なら、まだわかる。春陽とて、優が熱を出すのを何度も経験してきた。が、それとこれとは、わけが違う。  こんなにも苦しそうに、泣きながら腹痛を訴えたことなんて、今まで一度もなかった。 「ど、どのへんが痛いっ? ここ? それとも、こっち?」 「いたい……いたいよ、パパぁっ」  震える声に、春陽の手も震える。我が子の苦しそうな顔を見るだけで、胸が張り裂ける思いだった。 「大丈夫、大丈夫だよ。お医者さん行こうねっ」  自分にも言い聞かせるように言って、相談窓口に電話をかける。受付の女性が丁寧に対応してくれ、夜間救急の受け入れ先を案内してくれた。  電話口の声に礼を告げると、春陽は優を抱き上げて玄関を飛び出す。 「優、パパがなんとかするから……っ」  自転車に乗ろうとも思ったが、今の優がチャイルドシートに座っていられるかわからない。辺りだって暗くなっているし、万が一にでも事故に遭ったら――。  春陽は頭を振って、通りの方へと駆け出した。駅前に行けば、タクシーを拾えるはずだ。  焦燥に突き動かされるように、とにかく走る。と、そのときだった。 「春陽さん!?」  聞き覚えのある声に、足が止まる。 「湊、くん……?」  声がした方を振り返ると、ラーメン屋の店先に見知った人影があった。のれんを掲げていた湊が、驚いた様子でこちらを見ている。 「どうしたの、そんなに慌ててっ」  湊が駆け寄ってくる。ぐったりしている優に気づいたのか、すぐさまハッとした顔つきになった。 「その子――」  呟きとともに注がれる視線。その瞬間、胸の奥で張りつめていたものが、ぷつりと切れた気がした。 「どうしよう……助けて……っ」  絞り出すように、春陽は言った。いや、言ってしまった。  ずっと一人で踏ん張ってきたというのに、こんなふうに誰かの助けを請うだなんて、信じられなかった。不甲斐なさとともに、何かが自分の中で崩れ落ちていく感覚がする。

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