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第3話 一歩、踏みだす勇気(5)
夫婦ともに頭を下げられて、春陽は小さく息を呑んだ。
面と向かって謝罪されることが、こんなにも胸に迫るものだとは思わなかった。むしろ、申し訳なささえ感じてしまう。
「……そのお気持ちだけで、十分です。ありがとうございます」
春陽は静かに告げる。
二人はすぐに顔を上げようとしなかった。ようやくのことで、湊の父が再び口を開く。
「息子のこと、何と言ったらいいのか……」
が、やはり言葉にならないらしい。
代わって、湊の母が続ける。
「私たち、何度もあの子に連絡を取っているんだけど……なかなか思うような返事はないし、会いに行ってもまともに話してくれなくて。親としてどうすればいいのか――いまだに、わからないままなの……」
沈黙が流れる。
春陽は小さく息をついてから、ゆっくりと首を横に振った。
「いいんです。俺、あの人とは――もう間接的にも関わりたくないんです」
湊の両親が驚いたように目を見開く。春陽は言葉を続けた。
「これが結婚相手だったら、離婚しても『子供のために』って、仲を保とうとするんでしょうが……。でも俺たちは、そういう関係じゃなかった。言っちゃえば、俺が勝手に産んじゃっただけなんです」
いつもの癖でつい笑顔を作ってしまう。そんな自分に気づいて、そっと目を伏せた。
「……もちろん中絶する選択もあった。けど、それはどうしても嫌だったんです。――だって俺、ずっと〝家族〟に憧れてたから……一度、授かった命を失いたくなんてなかった」
思いを馳せるように、春陽の視線が遠くなる。
優を身ごもったときは、まだ入社一年目で、将来の見通しもできていなかった。
無謀じゃないのか、無責任じゃないのか。何度だって自問した。
いつも不安で怖くて、どうしようもなくて。
けれど、お腹の中の存在が「大丈夫だよ」「一人じゃないよ」と、励ましてくれているような気がして……。
そこまで思い返して、春陽はふっと微笑んだ。今度は心からの笑みだった。
「生まれてきてくれた子は、本当に小さくて可愛くて――優を産んだことに、後悔なんて一つもないんです。俺が望んで、『何があっても、この先ずっと守っていこう』って決めた子なんです」
湊の母がハッとした顔になったのがわかった。慌ててハンカチを取り出しながら、「ごめんなさいね」と呟く。
妻と視線を交わし、あらためて湊の父がこちらへと顔を向けた。
「春陽くん、せめて養育費だけでも受け取ってくれないだろうか。夫婦で話し合ったんだが、息子からは難しくても私たちから――と」
しかし、春陽はゆっくりと首を横に振る。
「お気持ちは本当にありがたいですが、お断りします」
「でも、それじゃあ……っ」
いつの間にか、湊の母親が涙声になっていた。
何とも言えぬ眼差しを受けながら、春陽はしっかりとした口調で告げる。
「手当ても受けてますし、仕事だってしています。二人で生きていくのに必要なお金はありますから、安心してください」
穏やかに微笑む春陽に、湊の母がもう一度目元を拭った。
「……そっか」と呟いたのち、思いを吐露するかのように言葉を紡ぐ。
「今日は、孫の顔を見せてくれてありがとう。こんなことを言うのも、おこがましいとわかってるの。だけど……どうしても伝えたくて」
そこで一度区切ると、こちらの目を真っ直ぐに見つめて言った。
「こうして二人の元気な姿を見ることができて……もうそれだけで、胸がいっぱいになっちゃった。――図々しいかもしれないけど、できればこれからも……関わらせてもらえたら嬉しいな」
引け目と感謝の入り混じった声音だった。
胸の奥がじんと熱くなるのを感じて、春陽は大きく息を吐く。涙ぐみながらも、深く頭を下げた。
「っ、こちらこそ……父子ともども、よろしくお願いします……っ」
木々の葉を風が揺らし、頭上から柔らかな木漏れ日がこぼれてくる。そんななか、ようやく結ばれた小さな縁。
一歩、踏み出す勇気をくれたのは、優の存在と、そして何よりも――。
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