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第4話 きっと思い出になる一日(1)
世はゴールデンウィーク。
連休を楽しむ家族連れで賑わうなか、三人は動物園のゲートをくぐった。
「……わあ」
人知れず漏れた声は、優のものではない。春陽の口から漏れた感嘆だった。
空気も、匂いも、人混みの賑わいも――何もかもが新鮮で、ほんの少し落ち着かない。春陽は優と手を繋ぎながら、呆然としてしまっていた。
「春陽さん、どうしたの?」
湊が首をかしげる一方で、春陽はぼんやりと呟く。
「動物の匂いがする……」
「あ、もしかして苦手?」
「ううんっ。なんかこう……動物園来たんだなって! 初めてだからびっくりしちゃった!」
まるで童心にかえったかのように、弾んだ声が出る。
隣を見れば、優も同じようにぽかんとした表情を浮かべていた。春陽はクスッと笑い、目線を合わせて問いかける。
「優くんは、何の動物が見たいですか?」
その声で、優は我に返ったようだ。手をぎゅっと握り返して、前のめりに訴えかけてくる。
「きっ、キリンさん! キリンさんがみたいですっ!」
元気のいい主張を受け、湊が園内マップを確認する。
「キリンはしばらく行った先みたい。とりあえず順路どおりに歩いてみよっか? 最初はおサルさんだってさ」
「おサルさんっ!」
「おサルさん、いっぱいいるかなー?」
楽しそうに言葉を交わす二人。
気がつけば、優がもう一方で湊の手を握っていた。必然的に優を真ん中にして、三人そろって歩き出す。
ニホンザルにレッサーパンダ、アフリカゾウ……優はそれぞれに関心を示して、目をキラキラとさせていた。
そんな愛しい我が子の姿を、春陽はスマートフォンで何枚も写真に収めていく。
そうして、ついにお目当ての動物が姿を現したのだった。
「みて! キリンさんいるよーっ!」
優の視線の先、柵越しに立つ複数のキリンが見えた。
長い首をもたげて、ゆっくりと草を食 んでいる姿。三人は柵の方へと近づき、その巨体を見上げた。
「すごっ……こんなに大きいんだ」
春陽は圧倒されるままに呟く。
横では優が、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。見上げた拍子にバランスを崩したところを、春陽と湊が慌てて支える。
優はお構いなしに、湊に上目づかいでおねだりした。
「みーくん、だっこ! だっこして!」
「いいよー? よいしょっ」
言うが早いか、湊は軽々と優を抱き上げる。
(さては、パパより高い方にいったな……)
春陽は苦笑してしまったが、優はもう大はしゃぎだ。
両手をバタバタと振りながら、キリンに向かって精一杯の声を張り上げる。
「キリンさーんっ!」
「あはは、優。そんなにおっきな声出したら、キリンさんびっくりしちゃうよ?」
たしなめる湊に、優は「あっ」と気づいたように口を押さえる。
二人のやり取りを微笑ましく思いながら、春陽は再びスマートフォンで写真を撮った。
不意に、湊の微笑みが向けられる。
「春陽さんってば、また優のこと撮ってる」
「バレた? だって優、可愛いんだもん。――それに、思い出としてちゃんと残しといてあげたいしね」
「ああ。そういえば俺も、小さい頃は親がよく撮ってくれてたっけ」
思い出したように言う湊に、春陽は頷いた。
「優はまだ小っちゃいから、今日のこと忘れちゃうかもしれないけど……でも写真が残ってたら、『こんなことあったんだなー』ってわかるでしょ?」
小さな頭を撫でながら言い、その先は声を落として続ける。
「親が子供と一緒にいられる時間って、きっと思っているより短いし――だから、今のうちにいっぱい撮っておきたいんだ。大きくなってから、何かしらの支えになったらいいなあって思って」
そう語る春陽の表情は、とても穏やかだった。
今はまだ無邪気に甘えてくる手も、やがて大きくなって離れていくのだろう。
だからこそ、このかけがえのない時間を残しておきたい。きっと遠い将来、自分が愛されていたことを思い出してくれるように。
ささやかな親心を打ち明けると、湊は緩やかに目を細めた。
「春陽さん、スマホ貸して?」
「えっ?」
不意を突かれた春陽が返すと、湊はふわりと笑う。
「だったらパパさんも一緒に写らないと、でしょ?」
その一言に、春陽の心臓がドキンと音を立てる。
さりげないようでいて、そこには確かに優しい気持ちが込められていた。どうしようもなくあたたかくて、くすぐったくて――なんだか少しだけ、胸が苦しい。
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