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第4話 きっと思い出になる一日(3)
従業員はさして気にした様子もなく、モルモットを渡してくる。
「モルモットちゃん、順番にお渡ししますね」
「はい、ありがとうございます」
礼を言いながらも、春陽はクスクスと笑ってしまった。
「ふふっ。湊くん、お父さんだって」
「……笑わないでよ」
小声でのやり取りが、また可笑しくてならない。誤魔化すこともままならないほど、真っ直ぐな湊の性格が愛おしく思えた。
……いや、笑っていられるような立場でもないことは、重々承知しているのだ。
けれど、あたたかな感情が込み上げてくるのを抑えきれない。
(俺たちも、家族みたいに思えたのかな)
周囲を見渡せば、当たり前のような家族の風景が広がっている。
そのなかに、自分たちも溶け込んでいるのだろうか。周囲から見て、どこにでもいる家族連れのように映っているのだろうか。
(駄目だな、こんなふうに喜ぶようじゃいけないのに。こうして、一緒にいられる時間が……すごく――)
そのようなことを考えながらも、膝に収まったモルモットに手を伸ばす。
春陽のもとへやって来たのは、クリーム色の毛並みをした子だった。見た目こそふわふわしていそうだったけれど、触ってみると毛並みはさらりとしていて、思ったよりも滑らかな感触だ。
優しく背中を撫でてやれば、その小さな生き物は気持ちよさそうに目を細める。
「わっ、わ……可愛いっ! 優、見てっ。こっちの子も可愛いよ?」
「ほんとだあっ、かあいいねえ! ねちゃいそうになってる!」
優と一緒に、春陽もすっかりモルモットに夢中になってしまった。
そんな二人の様子を、湊が微笑ましそうに眺めている――のだが、ふとその目が一点に釘付けになる。
「ねえ、湊くん。……湊くん?」
何気なく声をかけた春陽は、湊の様子に首をかしげた。
こちらの呼びかけで我に返ったのか、湊はハッとしたように振り向く。
だが、表情がどこか浮かないのは明らかだった。春陽を見つめる眼差しにも、戸惑いの色が滲んでいるように見える。
「ごめん。春陽さん、ちょっと待っててくれる?」
「え?」
湊はそれだけ言い残すと、弾かれたようにブースを飛び出していった。
「ちょっ、湊くん!?」
なにやら尋常ではない空気だ。思わず立ち上がりかけた春陽だったが、膝の上のモルモットが身じろぎしたのを感じて、「あっ、ごめんごめん!」と慌てて座りなおした。
せめてもの思いで、壁に設けられた大きなガラス窓に目をやる。その向こう、園内の散策路を歩く人々の流れのなかに、黒髪の後ろ姿が駆けていくのが見えた。
「みーくん、どこいくの?」
優も春陽の服の裾を掴んで、不思議そうに見上げてくる。
「……うーん、ちょっと用事かもね。すぐ戻ってくると思うよ」
微笑みを作って言いながらも、湊の様子に一抹の不安があった。
春陽は胸の奥を掴まれたような気持ちで、静かに息を吐く。ひどく湊のことが気がかりだった。
◇
……今日はまるで、夢みたいな一日だった。
春陽さんと優と、三人で――家族みたいに笑いあって、寄り添って、楽しい時間を過ごして。
けれど、そんな穏やかな時間も思いがけず終わりを告げた。
(っ、見間違えるはずがない……)
湊は人波をかき分けるようにして走る。
何の気なしに目を向けた先。ふとした拍子に通りかかった男の姿を、決して見逃さなかった。
そして、間もなく追いつく。
肩を抱かれながら歩く女と、その隣にいる――見覚えのある金髪の男。湊の頭にいくつもの記憶が蘇る。
「兄さんっ!」
相手の腕を掴むと同時に、湊の声が園内のざわめきのなかを突き抜けた。
男の視線が、ゆっくりとこちらに向けられる。
「おっと、奇遇だね……弟クン」
――男は、湊の兄・啓介 だった。
* To Be Continued *
>>> 第5話「傷の記憶と、触れた温もり」
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