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第5話 傷の記憶と、触れた温もり(1)
昔から自分が、〝どこか周囲と違う〟という自覚はあった。
……しかし、それは誇らしいものではなかった。
両親はどちらもベータ。死別した母親をもつ腹違いの兄も、当然のようにベータだった。
だというのに、突然現れた〝異質〟とも言える存在。それが湊だった。
母方の隔世遺伝か、湊はアルファ性を持って生まれた。そのことが判明した途端、周囲の見る目は明らかに変わっていった。
そして、兄・啓介の態度も。
湊がアルファであることを、啓介は露骨に嫌がった。
あからさまに見下したような態度。ふとしたときに無視されたり、物がなくなったり、冷たい言葉を浴びせられたり。
そういった嫌がらせの数々は、当然のごとく日常に溶け込んでいた。
学校にも自宅にも、どこにも居場所がないような気がして――。
と、引きこもりに近い日々が続くなか。
両親が手配してくれた、メンタルフレンドという訪問支援で、春陽と出会ったのだった。
「じゃあ、これからよろしくね。湊くん」
最初のうちは、顔を見ることもままならなかった。
けれど春陽は、熱心に話を聞いてくれて、いつだって優しく、根気強く寄り添ってくれて。隣にいてくれるだけで、胸のつかえが軽くなるようだった。
そうして会うたび――どうしようもなく心が惹かれていったのを、今でも覚えている。
《運命の番 》なんて、漫画やドラマのなかだけの存在だと思っていた。……いや、実際のところは聞いたこともないし、フィクションでしかないのだろうが。
ただ、もしそれに近しいものがあるのだとすれば、「この人がいい」と心の底から感じたのだ。まるで本能的に、とでも言うかのように。
そんなある日のことだった。
春陽が帰った後、リビングのソファーにふと目をやると、一枚のハンカチが落ちていることに気づいた。
綺麗に折り畳まれたそれを手にした途端、ふわりと甘い香りが漂ってくる。
(すごくいい匂い……って、そうじゃなくって!)
まだ遠くには行ってないはずだ。もしかしたら、追いつけるかもしれない。
湊は思い立って、ハンカチを手に家を飛び出した。
ところが、曲がり角で見た光景に、思わず足を止めてしまうことになる。
家のすぐ傍の通り。そこには、春陽と啓介が並んで歩いていた。
(え……どうして兄さんが、春陽さんと?)
咄嗟に隠れるようにして、湊は少し距離を取る。そのまま二人の様子を見守った。
「……正直、さ。春陽といると、ちょっと安心するんだよな」
ふと、啓介が口にする。春陽はきょとんと啓介の顔を見上げた。
「安心、ですか?」
「なんつーか、春陽にはちょっとくらいダメなとこ見せてもいいかな、って思えるんだよ。……変だよな。俺、誰かと一緒にいて安心するなんてこと、今までなかったのに」
啓介が自嘲気味に言う。そんな啓介の横顔に、春陽はそっと微笑んだ。
「そんなふうに思ってもらえるなら、俺も嬉しいです。俺でよければ、いくらでも話聞きますから」
親身になって話を聞くさまに、湊は胸がチクリとする。
春陽がお人好しなのは、十分すぎるほどに知っていた。けれど、彼の優しさが他の誰かに――ましてや、自分が好ましいと思っていない相手に向けられるのが、少しだけつらかった。
「そっか……。俺さ、昔から弟と比べられるのが嫌だったんだよ。そしたら、あいつ――アルファだろ?」
啓介は声を落として、吐き捨てるように続けた。
「なんでもできて当然みてーな顔しやがってさ。親にしたって、あいつのことばっか気にかけて……まるで俺のことは、腫れ物みたいに扱ってよ」
その言葉に、春陽は眉尻を下げる。まるで、啓介の痛みを受け止めようとするかのように。
「それは……悲しい、ですよね」
「悲しいってか、ムカつく。春陽もオメガなんだし、わかるだろ? そんなにアルファが偉いのかよって」
しばしの沈黙。けれど、すぐに春陽は言葉を選ぶようにして言った。
「わかるには、わかる……かもしれませんが。アルファだからって、努力せずに何でもできるわけじゃないですよ」
「……は?」
「苦手なことだって、人それぞれあるし。……きっと湊くんも、アルファである前にすごく努力してるんだと思います」
塀の陰から聞いていた湊は、思わず息を呑む。
(駄目、兄さんの前でそんなこと言っちゃ……!)
案の定、啓介の目元が面白くなさそうに険しくなった。
「それにご両親だって、ちゃんと啓介さんのこと――」
なおも春陽が続けようとしていたが、先に啓介の身体が動く。
春陽の腕を掴むと、無理やり引き寄せ――唇を奪ったのだった。
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