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第6話 この熱は君のせい(6)

 噛まれる、と。そう思ったのだが、 「――っ!」  ぐっと、湊が自身の手首に噛みついていた。春陽は驚きに目を見開く。  獣じみた荒い呼吸が繰り返されるなか、じわりと滲んでいく鮮血。それを舌で拭うように舐め上げ、湊はバッと顔を上げる。 「ごめん、春陽さんっ!」  切羽詰まったような声だった。 「大丈夫!? 薬、どこにあるかわかる!?」 「っ……洗面台の、引き出しに……ピルケースが」  息も絶え絶えに告げれば、湊はすぐに駆けていった。  戻ってきたその手にはピルケースが握られており、中から一錠の抑制剤を取り出すと、春陽の口元に差し出してくる。 「飲める? 水、持ってきた方がいい?」  湊の問いかけに、春陽は小さく首を振った。  喉が乾いていたけれど、錠剤を口に含んで、どうにか飲み下す。  そうして、しんと静寂が訪れる。しばらくの間、どちらも何も言わなかった。  やがて湊が、静かに息を吐く。 「……俺、もう帰るね」  言って、春陽の頬に優しく触れた。 「何もしてあげられなくて、ごめん」  眉間には深い皺が刻まれていて、まだ本能と理性の狭間で揺れているのがわかる。  春陽はぶんぶんと首を横に振った。言葉にはならなかったけれど、「そんなことないよ」と心から伝えたかった。  すると、こちらの心情を察してくれたのか、湊は少しだけ表情を和らげてくれた。 「そうだ。優のお迎えのときに借りた鍵、また借りていい?」 「鍵?」 「うん、ちゃんと戸締りしてくから。春陽さんは、薬が効いてくるまで休んでて?」 「……わかった」  春陽は素直に、部屋の鍵を差し出す。  そのとき、自然と目が湊の手元に引き寄せられた。 「ありがとう。鍵はポストに入れとくね」  ……血が、滲んでいた。  先ほど、理性を取り戻すために自分で噛んだ手首。そこはまだ血が乾ききっておらず、内出血したように腫れていた。  湊はそれを何でもないことのように、隠そうともせず、いつもと変わらぬ態度で鍵を受け取る。 「待って……!」  春陽はつい声をかけてしまっていた。  湊の後を追おうとして、立ち上がろうとした瞬間――、 「っ……」  ぐらり、と視界が揺れる。足元がふらつき、その場でへたり込んでしまう。  息が上手く吸えない。頭がぼんやりする。身体の奥が疼く。 (そんな……また……っ)  一度は落ち着いたはずの発情が、再び波となって押し寄せてくる。  こんなことをしたいわけじゃない。こんな理由で引き留めたわけじゃない。  迷惑をかけているという自覚だってあるのに、気持ちが焦れば焦るほど、身体はどんどん火照っていく。 「! 春陽さんっ……フェロモンが――!」  フェロモンが濃くなっているのか、咄嗟に湊が口元を抑えていた。  かたや春陽は、ふらふらと手を伸ばす。 「湊くん、ごめ……」  指先が、湊の羽織っていたシャツの袖口を掴んだ。 「これ、ほしい」

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