40 / 78
第6話 この熱は君のせい(6)
噛まれる、と。そう思ったのだが、
「――っ!」
ぐっと、湊が自身の手首に噛みついていた。春陽は驚きに目を見開く。
獣じみた荒い呼吸が繰り返されるなか、じわりと滲んでいく鮮血。それを舌で拭うように舐め上げ、湊はバッと顔を上げる。
「ごめん、春陽さんっ!」
切羽詰まったような声だった。
「大丈夫!? 薬、どこにあるかわかる!?」
「っ……洗面台の、引き出しに……ピルケースが」
息も絶え絶えに告げれば、湊はすぐに駆けていった。
戻ってきたその手にはピルケースが握られており、中から一錠の抑制剤を取り出すと、春陽の口元に差し出してくる。
「飲める? 水、持ってきた方がいい?」
湊の問いかけに、春陽は小さく首を振った。
喉が乾いていたけれど、錠剤を口に含んで、どうにか飲み下す。
そうして、しんと静寂が訪れる。しばらくの間、どちらも何も言わなかった。
やがて湊が、静かに息を吐く。
「……俺、もう帰るね」
言って、春陽の頬に優しく触れた。
「何もしてあげられなくて、ごめん」
眉間には深い皺が刻まれていて、まだ本能と理性の狭間で揺れているのがわかる。
春陽はぶんぶんと首を横に振った。言葉にはならなかったけれど、「そんなことないよ」と心から伝えたかった。
すると、こちらの心情を察してくれたのか、湊は少しだけ表情を和らげてくれた。
「そうだ。優のお迎えのときに借りた鍵、また借りていい?」
「鍵?」
「うん、ちゃんと戸締りしてくから。春陽さんは、薬が効いてくるまで休んでて?」
「……わかった」
春陽は素直に、部屋の鍵を差し出す。
そのとき、自然と目が湊の手元に引き寄せられた。
「ありがとう。鍵はポストに入れとくね」
……血が、滲んでいた。
先ほど、理性を取り戻すために自分で噛んだ手首。そこはまだ血が乾ききっておらず、内出血したように腫れていた。
湊はそれを何でもないことのように、隠そうともせず、いつもと変わらぬ態度で鍵を受け取る。
「待って……!」
春陽はつい声をかけてしまっていた。
湊の後を追おうとして、立ち上がろうとした瞬間――、
「っ……」
ぐらり、と視界が揺れる。足元がふらつき、その場でへたり込んでしまう。
息が上手く吸えない。頭がぼんやりする。身体の奥が疼く。
(そんな……また……っ)
一度は落ち着いたはずの発情が、再び波となって押し寄せてくる。
こんなことをしたいわけじゃない。こんな理由で引き留めたわけじゃない。
迷惑をかけているという自覚だってあるのに、気持ちが焦れば焦るほど、身体はどんどん火照っていく。
「! 春陽さんっ……フェロモンが――!」
フェロモンが濃くなっているのか、咄嗟に湊が口元を抑えていた。
かたや春陽は、ふらふらと手を伸ばす。
「湊くん、ごめ……」
指先が、湊の羽織っていたシャツの袖口を掴んだ。
「これ、ほしい」
ともだちにシェアしよう!

