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小ネタ ラット化、その後(第6.5話)★

 アパートから立ち去った湊は、公衆トイレの個室に駆け込んでいた。  春陽の匂いがまだ、鼻腔の奥にこびりついて離れない。  常備していた抗フェロモン剤も飲んだけれど、効き目はまるで追いつきそうになかった。 (抜いても、収まらない……っ)  凄まじい射精感が続く。アルファ特有の亀頭球が(こぶ)状に膨れ、陰茎はまさに、獣が交尾するときのそれと化していた。  まごうことなきラット化。こんなにも強烈なフェロモンにあてられたのは、初めての経験だった。  危うく相手のうなじを噛むところだったなんて――自分で自分が信じられない。  相手にその気がないことはわかっているし、ギリギリのところで理性を繋ぎ止められて、心底よかったと思う。 (……春陽さん、大丈夫かな)  そんな思考とともに、別れ際の春陽の姿が脳裏に浮かぶ。 『これ、ほしい』 『ちゃんと、洗って返すから。……だめ?』  駄目、なんて言えるはずがなかった。  熱に浮かされた頬、潤んだ瞳。子供みたいに縋ってくるその仕草が、今もなお焼きついて離れない。 「……くそっ」  ――ひどく最悪な気分だ。  相手は自分よりずっと苦しんでいるというのに、どうしようもなく身体が昂って仕方ない。  自己嫌悪が胸を突き上げるも、情欲という名の本能が、はるかにそれを凌駕(りょうが)する。 「っ、く……」  湊は一心不乱に欲望を扱いた。  まだ射精が終わらないうちにも、続けざまにそこを絶頂へと導いていく。  そうして何度か繰り返していれば、やがて落ち着いてくる兆しが見えてきて、ようやく我に返ることができた。  真っ先に感じたのは、やはり強い自己嫌悪。  そして――、 (あー、早く会いたい……)  胸がきゅっと痛む。どうしようもなく春陽のことが気がかりで、それでいて何もできない自分が悔しくてならなかった。 「――……」  深いため息が、狭い個室に響き渡る。  次に会うときは、ちゃんと笑っていてほしい――いや、自分が笑わせてやりたい。それは祈りにも似た、願望だった。

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