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第7話 君が追いかけてくれたから(2)
釘を刺されてしまった春陽は、しょんぼりと肩を落として素直に頷く。
オメガである自分が悪いような気持ちは、どうしたって拭えなかったものの――、
(ううっ……考えない、考えない!)
頬を軽くパンパンと叩いて、気持ちを切り替える。
そうしてグラスの麦茶を一口飲んだどころで、本来の目的を思い出した。
「そういえば、これ。――シャツありがとう」
紙袋の中から、借りっぱなしだった湊のシャツを取り出す。
湊は「あっ」と小さく声を上げ、差し出されたそれに手を伸ばした。
「もしかして、アイロンまでかけてくれたの?」
「当然だよ。返すの遅くなっちゃってごめんね」
「いやいや、全然――」
湊が笑いながら、シャツを受け取ろうとする。
しかし、春陽の手はなぜか……離れない。
「うん?」
――ぐいぐい。軽く引っ張る湊。
それでも、春陽の手はびくともしなかった。
「……?」
不思議そうに、湊が春陽のことを見る。
一方の春陽はといえば、なぜ手が離せないのか、自分でもよくわからなかった。なのに、指先がまるで意志を持ったかのように、シャツをしっかりと握っていた。
「えっと、春陽さん?」
「ごっ、ごごごめんっ!」
春陽は弾かれたように顔を上げると、目を白黒させながら言葉を続けた。
「な、なんか……返したく、ない……?」
語尾がクエスチョンマーク。自分のことながらに意味がわからない。
そんな春陽に対し、湊は吹き出したように笑った。
「返したくない、って……」
肩を揺らして笑ったかと思えば、湊はそっとシャツを押し返す。
「もう面白すぎ。春陽さんが持っていたいなら、返さなくたっていいよ」
「う……ごめんなさい」
そう口では謝りながらも、春陽はシャツを宝物のように抱き寄せる。
「洗ったには洗ったんだけど……湊くんの匂いが染み込んでる気がして。落ち着くんだ」
ぽつりとこぼれた言葉に、我ながらびっくりした。
決して、自分のものではないのに。取られなくてホッとした――そういった気分だった。
「………………」
かたや湊は無言。何とも言えぬ表情で固まっているが、妙に視線がチクチク刺さるような気がする。
春陽は居たたまれなさに、苦笑を浮かべた。
「あーはは……俺、ほんっと何しに来たんだろう、って話だよね」
頬を掻きながら言えば、湊の固まった表情もようやく動き出す。
「そんなの、決まってんじゃん」
「え?」
湊は真っ直ぐに、穏やかな瞳で見返してきた。
「俺は嬉しいよ。春陽さんが遊びに来てくれて」
にこっ、と。まるで太陽みたいに、湊は明るく笑った。
その笑顔に、春陽の胸がドクンッと大きく跳ねる。鼓動が明らかに速くなっていくのが、自分でもわかった。
「……っ」
春陽は息を呑んで、うつむいてしまう。
(発情期 、ちゃんと終わったはずなのに――どうして、こんな)
とにかく、湊の顔が直視できなかった。
胸の奥が切なく疼いて、息が苦しい。まるで熱がぶり返したみたいだった。
「……春陽さん?」
湊が心配そうに身を乗り出してくる。
「大丈夫? まだ調子悪い?」
「ち、ちがっ」
反射的に否定してしまったけれど、じゃあなんだと問われれば、きっと何も返せない。
もはや――見て見ぬふりなど、できないところまで来ていた。
「無理しなくていいから。もし、何か――」
湊の声が途切れる。静かな空間のなかで、ごくりと生唾を飲む音がやけに響いた。
「発情期 、終わったんだよね?」
「……うん」
「じゃあ、なんで真っ赤になってるの?」
「!」
春陽は咄嗟に顔を覆い、距離を取るように後ずさった。
しかし、抵抗も虚しく手首を掴まれ、すぐさま距離を詰められてしまう。
手を退かされた先には、耳まで真っ赤になった春陽の顔があった。
「っ……み……見ないで……」
蚊の鳴くような声で懇願するも、湊は聞き入れてくれない。
その顔が瞬く間に近づいてきて、ますます春陽は狼狽えてしまう。
「教えて。じゃないと俺、勘違いする――自分の都合のいいように考えちゃうよ?」
湊の声が、ぐっと低くなった。すごく近くで、すごく真剣な声音で。
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