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最終話 夢という名の未来(3)
「こんばんは、湊くん」
春陽が微笑んで言うと、優もあとに続いた。
だが、湊はぼんやりと挨拶を返してくるだけだ。
「湊くん?」
言葉を忘れたように、こちらを見つめたまま数秒。ややあってから、ハッとした顔つきになった。
「……あっ、ごめん。普通に見惚れちゃってた」
「!」
春陽は頬が熱くなるのを感じながら、浴衣の袖をきゅっと握りしめた。
どこまでも正直な湊のことだ。ご機嫌取りでもなく、からかうでもなく――本当に言葉そのものの意味なのだろう。
「浴衣、着てきたんだ。すごく似合ってるよ」
きっと、その一言が一番聞きたかった。シンプルな言葉だからこそ、より胸に響くものを感じる。
勇気を出して頑張ってよかった。けれどこの浴衣には、また違った思い入れもあって……、
「ありがとう。この浴衣、湊くんのおばあさんが譲ってくれたんだ」
「ばあちゃんが?」
「うん。仕立て直してくれたのを明音さんが預かって、届けてくれて……着付けも教わったんだよ?」
湊は目を丸くし、それからふっと目尻を下げた。
「そうだったんだ。なんか俺まで嬉しくなるな、それ」
何も言わなくても通じるものがある気がして、春陽も一緒になって目を細める。
しばし見つめ合っていたら、優が焦れたように顔を出してきた。
「みーくん! ゆうはっ? ゆうの、じんべいもみてっ!」
両腕を広げるようにして、優は甚平の袖をぶんぶんと振る。
湊は一気に表情を明るくし、屈み込むようにして目線を合わせた。
「おっ、にゃんにゃんマンだ! へーカッコいいじゃん、優!」
「えへへっ、ばあばがつくってくれたのー!」
よほど嬉しいのだろう。得意げに言う優の姿が、微笑ましくてならない。
「懐かしいなあ。俺も小っちゃい頃、こういう甚平作ってもらったっけ。夏祭りのときは、毎年これだった」
「ふふっ、いい思い出だね」
春陽は、自然とそう口にしていた。
湊がくすぐったそうに笑い、優の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「じゃ、そろそろ行こっか! みんな、はぐれないようにねー?」
言って、湊も優の手を繋いだ。優を真ん中に、三人で並んで歩き出す。
遠くから、祭囃子のような音とともに、人々のはしゃぎ声が響いていた。
駅から少し離れたところにある河川敷――花火大会の会場は、想像以上の人出だった。どこへ行ってもざわめきと人混みである。
「優、危ないから振り回しちゃ駄目だよ? 人にぶつかっちゃうからね」
声をかけながらも、春陽は内心ひやひやしていた。
ピカピカと光るおもちゃを買ってもらって、すっかりご機嫌の優。ただ、万が一にでもこの人混みのなかで走り出したら、と思うと気が気でない。
「んー。これは、手を繋ぐどころじゃないねえ……」
湊が苦笑して言ったとおり、歩道はもはや、ぎゅうぎゅう詰めと言ってもいいほどだった。
「優がぐずらないようにって、時間ギリギリにしたんだけど……失敗だったかあ」
「いや、俺はいい判断だったと思うよ。それにほら、花火は歩きながらでも見られるしさ? あとは来年に活かすってことで」
「………………」
またしても胸がじんと熱くなる。
――来年。随分と先の話を自然に、当たり前のように口にしてくれるのが、ただただ嬉しい。
などと春陽が考えていたら、
「みーくん! あれやって、かたぐるまっ!」
優がぴょんっと足元で跳ねた。おもちゃを持つ手で示す先には、父親に肩車をしてもらっている子供の姿。
湊は頷くと、人波をわずかに避けた場所まで移動して、そっとしゃがみ込んだ。
「ほら、ゆっくり乗って」
「うんっ!」
嬉しそうに声を上げ、優がひょいと湊の肩に跨がる。
湊は小さな足をしっかり支えながら立ち上がると、ゆっくりと歩き出した。体格がいいせいか、その動きも安定していて、ちっとも危なげがない。
「優、大丈夫? 怖くない?」
「だいじょぶ! みーくん、たかいたかーいっ!」
キャッキャと笑う優の声が、夜空に弾んでいく。
(だ、だよねー。パパより、みーくんの方が高いよねー……)
……デジャヴというべきか。春陽はちょっとした敗北感を味わいながら。
ただ、目を輝かせながら辺りを見渡す姿を見れば、それも自然と笑顔になってしまう。
「春陽さんはこっち」
肩車をしたまま、湊がふと手を取ってきた。導かれた先は湊のシャツの裾だった。
「手塞がってるから、シャツしっかり掴んでて」
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