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最終話 夢という名の未来(6)
チッ、チッ……と、リビングの時計が針を刻む。
入浴もしばらく前に終え、湊が優を寝かしつけに行ってから、二十分くらい経つだろうか。いつもなら聞こえてくる声も無く、やたらと静かだ。
(今日のあの感じなら、すぐ寝ちゃうと思うんだけど……まだ寝かしつけ中かな?)
春陽はノートパソコンを閉じて、すっくと立ち上がった。
寝室のドアを静かに開けると、「湊くーん?」とひそひそ声で呼びかけてみる。返事はない。
薄明かりのもと、ベッドの上に目をやると――そこには、優と一緒に寝ている湊の姿があった。
(あはは、湊くんまで寝ちゃってるや。二人して可愛いなあ)
春陽は笑みを漏らしてしまう。
湊の寝顔はどこかあどけなく、普段のしっかりした一面とはまるで違っていた。物珍しさに見入っていると、春陽の中にふとした考えが思い浮かぶ。
(本当に泊まってくれるんだ。明日、朝起きたら湊くんがいるなんて……なんだか不思議)
その事実が、じわじわと胸に沁みてくるようで。つい心が躍って、寝るのが勿体ないような気さえしてしまうのだから、我ながら呆れ返ってしまう。
と、人知れずクスクスと笑っていたのだが――、
いきなり腕を取られたかと思えば、春陽はあっという間にベッドへと引き込まれてしまった。
「わっ!?」
次の瞬間には、湊の腕が背中に回され、ぎゅうっと抱きしめられていた。
目を白黒させる春陽の耳元で、湊が囁くように言う。
「寝るわけないでしょ。俺がベッド占領したら、春陽さん、ソファーで寝ようとするじゃん」
「みっ、み、湊くん!?」
まさかの寝たふり。そうとは思わず、まんまとしてやられた。
(湊くんって、やっぱりいたずらっ子!)
おかげで心臓はバクバクとうるさく、顔の熱は急上昇もいいところだ。
おまけにベッドはセミダブルで、大人二人と子供一人。必然的に、ぴったりと身体を寄せ合わなければスペースが足りない。
こんな状況下では、相手の存在を強く意識せざるを得なく、ますます気分が昂ってしまうではないか。
「……『川の字』で寝るんだったら、ベッドより布団かな?」
唐突に、思わぬ言葉が頭上から降ってきた。春陽はきょとんとして訊き返す。
「川の字?」
「そ。優を真ん中にして、三人で並んで寝るの。いいよなあ……って、ふと思った」
さらりとした口ぶりだった。
けれど、確かな温もりを持って春陽の胸に届く。
――三人で並んで、当たり前みたいに寄り添って、一つの布団で寝る夜。
静かに寝息を立てる優の傍らには、自分と湊がいて。視線を合わせたり、手を重ねたり、他愛のない会話をしたり……。
そんな光景が、とても尊く感じた。
「いいね、そういうの」
にっこりと笑って言えば、 湊は照れくさそうに返してきた。
「ははっ。なーんて、春陽さんに『パパみたい』って言われたもんだから、調子乗ってます」
クスッ、という春陽の笑い声がこぼれる。
湊は目を細めつつ、先ほどより声を落として言った。
「でもさ。今みたいな感じで、たまに考えるんだ」
「?」
「――まだ、夢みたいな話」
そう前置きすると、ぽつりぽつりと語り始める。
「朝起きて、バタバタしながらも一緒にご飯食べて。春陽さんと優に『いってらっしゃい』って言ってもらえたら、一日頑張れそうだなあとか。……で、早く帰れた日には、夕飯の支度手伝ったり。夜は優と一緒にお風呂入って、その日の出来事話したりとかさ」
「………………」
「他にもいろいろあって、恥ずかしいことなんかもあるんだけど。でも……そういうの全部、叶ったらいいなって」
語られる日常は、どれもこれもささやかで――特別だった。
春陽にとっては、まるでフィクションの世界のようなそれ。でも確かに、〝現実〟になり得る未来の光景なのだと思う。
そのような日々が、いつか本当に訪れたら。……きっと、ものすごく幸せなことだ。
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