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第2話 ユニフォームのまま、触れていい?
有馬は、目の前の窓ガラスを濡らす雨脚を見つめていた。
さっきまで晴れていた空は嘘みたいに変わり、夏の通り雨が街を冷たく洗い流す。窓ガラスを叩く雨粒の音が静かに響いた。
こんなに降るなんて聞いてない。あと少しで一ノ瀬が帰ってくる時間だ。
……彼が帰ってきて、自分がいなかったら、ちょっとは焦るだろうか。
炭酸のボトルを片手に、有馬は一瞬だけ迷った。
しかし次の瞬間には、躊躇なく雨の中へと駆け出していた。
――別に一ノ瀬のためじゃない。ただの“時間通りに帰る良い子”だからだ。
そう心の中で言い訳しながら、びしょ濡れのままマンションのロビーに滑り込む。
ペットボトルを足で挟み、シャツの裾を絞る。水がぽたぽた落ちる。
「……最悪だ」
背後から聞き慣れた声がした。
「やっぱり奏汰か。どうしてそんなに濡れてるんだ?」
振り返ると、ちょうど一ノ瀬が傘を畳みながらマンションのロビーに入ってくるところだった。
「飲み物買いに出たら、雨にやられた」
有馬が足の間に挟んだボトルを取りだすと、一ノ瀬は苦笑交じりに言った。
「LINEしてくれればよかったのに〜」
「このくらい、自分でできるし」
返答よりも早く、一ノ瀬は自分のジャケットを有馬の肩にかけ、濡れた前髪を優しくかきあげた。
「風邪ひいちゃうよ、早く帰ろう」
そう言って有馬の背を軽く押し、ふたりでマンションのエレベーター中へと入った。
エアコンの効いた空気が肌に触れると、濡れた服のせいでひんやりと寒さが広がる。
一ノ瀬のジャケットに残る体温だけが、心地よい。
部屋に戻ると、一ノ瀬は「先にシャワー浴びな」と言いながら、手際よくお風呂の準備を始めた。
有馬はリビングに佇んだまま、ベランダに干したままの洗濯物を見て、はっとした。
――しまった、服、取り込んでなかった。
「……服、濡れたままだ……じゃあ、着替えは……」
一ノ瀬がちらりと振り返って肩をすくめた。
「学校のユニフォームあるでしょ?今のままだと風邪ひくし、とりあえずそれで」
練習から帰ってきた日に洗っておいたやつが確かにあった。
有馬は素直にお風呂へ向かい、一ノ瀬はその間に洗濯物を取り込んでいた。
濡れた服を脱ぐと、肌に張りついた冷たさに思わず舌打ちしながら、熱いシャワーを浴びる。
お湯が流れていくたび、身体にまとわりついていた不快感が少しずつ消えていく気がした。
お風呂から出ると、ユニフォームはすでに洗濯機の上に置かれていた。だが――中身は上下だけ。
……下着は?
――ない。言えない。言えるわけがない。
仕方なく、そのまま着替えを済ませると、有馬は俯いたままリビングへと戻った。
髪の先から水がぽたぽたと落ち、ユニフォームの襟元を濡らす。
「……終わった」
ちょうどコーヒーを淹れていた一ノ瀬が振り返り、歩み寄る。
「まだ髪が濡れてる」
テーブルの上にあったタオルを手に取ると、一ノ瀬は有馬の頭にそっと被せ、動き始めた。
まるで子供をあやすような手つきだった。
温かい手のひら。鼻先にふわりと届くコーヒーの香り。指の腹が頭皮に心地よく当たり、緊張がほどけていく。
「こんなにゴシゴシすると、頭痛くなるよ。君の髪質は優しく扱わないと」
低く、やわらかい声。まるで湯上がりの静けさのようで、耳の奥がじわじわ熱くなる。
「……自分でやるってば」
「動いたらキスするよ?」
「なんでまたそれ!」
ふくれながらも、有馬はじっと立ち尽くすしかなかった。すると、一ノ瀬がいたずらっぽく彼の額にふっと息を吹きかける。
「だってさ、奏汰、可愛いから」
「……そういうの、やめて」
視線を落としながら、濡れた睫毛がかすかに震える。有馬の顔は耳まで真っ赤だった。
タオルで髪を拭き終えると、一ノ瀬はそれを有馬の肩にふわりとかけ、そっと尋ねた。
「寒くない?」
「……平気」
言葉とは裏腹に、わずかに肩が震えているのを一ノ瀬は見逃さなかった。
彼の指が、有馬の襟元をなぞるように胸元へ滑り落ちる。
「へえ、君のユニフォーム姿、初めて見たかも。似合ってるよ」
「……からかうの好きだよね」
「そう?俺は、君が好きなだけだけど」
「……やめてその言い方」
「じゃあ……今、じっと俺の顔見てるのは、キスしたいってこと?」
一ノ瀬の言葉に、有馬は小さく息を呑む。返事はしなかった。ただ、ふいに両手を伸ばし、一ノ瀬の顔を包むようにして、そっと引き寄せた。
まるで触れれば弾けてしまいそうな、震える距離で――
「……キスしたら、黙ってくれる?」
唇が触れ合った。
濡れた髪と唇が、少しだけ不器用に、しかし確かに重なっていた。熱が伝わる。震えも、躊躇いも。
一ノ瀬は動かず、ただ有馬の睫毛の陰に宿る赤みを見つめていた。
やがて有馬が離れようとした瞬間、一ノ瀬はその後頭部に手を添え、もう一度、唇を重ねた。
二度目のキスは、迷いのないものだった。
舌先が触れ合い、唇の奥でぬるく混ざり合っていく。呼吸が苦しくなり、脚の力が抜ける。
ふと気づくと、有馬はいつのまにか一ノ瀬の膝の上に乗っていた。
心臓の音が近すぎる。互いの熱が、じかに伝わってくる。
有馬の手が、しがみつくように一ノ瀬の肩を掴んだ。
キスは深く、舌が触れ合うたびに、思考が曖昧になっていく。喉の奥から漏れた吐息を、一ノ瀬は唇で塞ぎ、唇の隙間に舌先を滑り込ませる。
熱が、どんどん身体の奥へ流れ込んでくる。
「……ちょっと、苦しい……」
ようやく顔を離した有馬は、息を切らしながら額を押し付けた。
だがその膝上からは降りようとせず、むしろ腰のあたりが――ほんの少し、無意識に動いていた。
「奏汰、気づいてる?」
低く落とされた声が、耳のすぐそばでくすぐるように響いた。
身体の間に挟まれている“熱”を、誤魔化しようもないほどにはっきり感じる。短パン越しに擦れる感触。鼓動の高鳴り。
「……バカ、なんでそういうこと言うんだよ……」
有馬は身を起こそうとしたが、一ノ瀬の手がそっと腰を引き寄せた。
拒むより早く、彼の手が指先で有馬の腕をなぞり、やがて首筋のあたりに触れる。
「奏汰が可愛すぎて……ずっと我慢してた」
「っ……な、何を……」
耳まで熱くなり、有馬は言葉を飲み込んだ。まるで彼の目に見透かされるようで、視線を合わせることができない。
けれど――離れられない。
やがて、一ノ瀬は有馬の手を取って、自分の腰のあたりへと導いた。柔らかく、優しく、まるで彼に“委ねる”ような動きで。
「いつも自分でしてるみたいに、やってくれない?」
囁かれたその声は、甘く、でもどこか切実で。
「……わかんない……っ、初めてだし……」
「じゃあ、握ってればいいじゃん。」
一ノ瀬の舌が有馬の耳たぶをくすぐる。低く囁かれた声が耳の奥を痺れさせた。
有馬は目をぎゅっと閉じ、一ノ瀬の挑発に声が漏れそうになるのを必死に堪える。
手探りで触れたそこは、熱くて、硬い。
一ノ瀬が低く唸るように息を漏らし、鼻先を有馬の首筋に擦り寄せてくる。
そのまま、猫みたいに舌を出して、有馬の喉仏を舐めた。
「上下に動かして」
顔を逸らし、舌から逃げようとするも、手は言われたとおりに従順に動き始める。
一ノ瀬の手もまた、有馬のユニフォームの裾から忍び込んでいた。
最初は背中を優しく撫でるだけだったのに、有馬の動きが少しずつ慣れてくるにつれ、その手つきも徐々に強くなる。
「奏汰……いい子」
いつもより低く、艶を帯びた声。
そう呼ばれて、有馬はゆっくりと目を開けた。
――そして、目が合った。
そこには、欲望を隠しもしない、真っ直ぐな一ノ瀬の瞳があった。
✨️次回は明日19時更新の予定です。
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