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第6話「欲望のままに」
「好かれたいんだ、お前に。
……俺を、完成させるために」
嬉しいとか、悔しいとか。
言葉にならない思考が、ぐるぐると回る。
なにか返さなくては。そう思って、口を開いて──
「……あ、あぁ」
頷いてしまった。
理性が警鐘を鳴らす。やめろ、引け。今なら、まだ間に合う。
(こいつはヤバい。関わったら、人生めちゃくちゃにされる──)
けれど否定の言葉は出てこなかった。
冬夜の目は、あのときと同じだ。
レンズ越しに俺を刺してきたあの夜と。
捕まる──
そう思った刹那、冬夜の視線は机に降りた。
「次、MV撮るから。来て。来月」
紙ナプキンに走り書きされた、10ケタの数字。
「帰る。音、描きたい」
それだけ言って、嵐のように、彼は去っていった。
──
数日後の夕方。
喫茶店のテーブル越し、白井がぼそりと呟く。
「例の写真、けっこう評判良かったよ」
「ふーん……良かったんじゃない?」
返した声が、自分でも驚くほど乾いていた。
「なんだよ、もっと素直に喜べよ。
先方、完全にお前の写真に懐いてる。指名までされてんだぞ」
「……指名?」
「MV。撮影も編集もディレクションも、“夏生で”ってさ。何したのお前。
ボーカルが『全部お前じゃないと嫌』って言い張ってるらしい。
〝音が濁る〟とかなんとかいって
熱烈だよね~」
白井はコーラをすすりながら、目を細めた。
「……ま、確かにあれは、すげぇ写真だった。
粗削りだけど、だからこそ引っかかる。
被写体が、カメラの向こうの“誰か”に、真っすぐ刺してる。そんな感じ。
お前の写真らしくはなかったけどさ」
夏生は曖昧に笑って、水をひと口含む。
「……あの環境で撮ったって言ったら、白目むくと思うぞ」
自嘲が混じった声が、かすかに揺れた。
スマホ二台、鏡。あの暗くて雑然とした部屋。
光も構図も、完全にめちゃくちゃだった。
それでも、冬夜の視線が俺の中の何かを揺さぶった。
それを認めるのが、今も怖かった。
──
夜。帰宅途中の駅のホーム。
「断るなら今だな」
ふと、そんな思考が脳裏をよぎった。
ポケットの中、名刺サイズのメモ。冬夜の手書きの番号。
触れるたびに、心臓が小さく跳ねる。
(ここにかけて、『やっぱり無理です』って言えばいい)
(そしたら、俺はまた、“まともな”カメラマンに戻れる)
マンションの前。エレベーターの中。
寝る前のベッドの中。
何度もスマホを開いては、番号を打ちかけて──やめた。
──俺を見て。撮って。
君の視線で、“冬夜”を完成させて。
(……ふざけんなよ)
メモ紙を開かなくても、番号はもう覚えてしまっていた。
それでも、親指は慎重に、一桁ずつなぞるように数字を入力していく。
そして画面に浮かぶ──
「通話を開始しますか?」
その文字を、息を詰めて見つめる。
動けない。
押せない。
押さなきゃと思う。
……けど押せない。
(今ならまだ引き返せる)
(全部なかったことにできる)
(人を無理やり自宅に連れ込んだり、勝手にキスしたり。どう考えてもまともじゃない)
画面を閉じた。
けれど数秒後、また開いていた。
手の中のスマホが、いつもよりずっと冷たく感じる。
親指が、画面の上でゆっくりと震えた。
(……やめとけよ、俺。……なのに)
夏生は、静かに、長く息を吐いた。
目を閉じて──
そして、
画面を閉じ、手から離す。
(“撮りたい”って、思っちまったら、もう戻れねぇな)
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