194 / 226

15

「旦那様!?」 「柏。留学を前に、浮足立つんじゃない」  英樹の声は、柔らかだ。  だが、その声が、物腰が柔らかければ柔らかいほど、暁斗は背に汗をかく思いだった。 「まぁ、英樹さん。浮足立っているのは、あなたではなくって?」 「そうだな。時子から聞いて、慌てて駆けて来たからな」  そして英樹は、小さく笑った。  後は静かに席に着き、ティーカップを傾けるだけだ。  かすかな茶器の音、芳しい紅茶の香り。  時子のロングスカートが立てる、衣擦れの気配。  そんな沈黙に、暁斗は押しつぶされそうだった。  しかし、何とか踏みこたえたのは、昴への強い想い。  彼を愛する確かな心が、暁斗を強くしていた。 「旦那様、時子さま。私の留学に、昴さまを御同行させていただけませんでしょうか」 「なぜだ?」 「私たちは、愛し合っています。もう、片時も離れがたいのです」 「良く、おっしゃったわ。本当に柏は、真面目で誠実ですのね」  昴さまに海外で見聞を広め、知識を深めていただきたい、などと言い訳がましい言葉は、無い。  直球勝負の暁斗の返事は、時子の評価を得たようだ。 「しかし、二兎を追う者は一兎をも得ず、との言葉もあるぞ」  これは、一つの物事に集中せず、欲張って二つの物事を上手くやろうとすると、どちらも失敗するという警句だ。 「君は、何のためにわざわざ海外まで行って学ぶんだ。自分のスキルアップの為だろう」  昴との恋愛は、その妨げになるんじゃないのか?  英樹の声はやはり柔らかだが、その言葉は辛辣だ。  暁斗はテーブルの下で、こぶしを握って耐えるしかなかった。

ともだちにシェアしよう!