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「旦那様!?」
「柏。留学を前に、浮足立つんじゃない」
英樹の声は、柔らかだ。
だが、その声が、物腰が柔らかければ柔らかいほど、暁斗は背に汗をかく思いだった。
「まぁ、英樹さん。浮足立っているのは、あなたではなくって?」
「そうだな。時子から聞いて、慌てて駆けて来たからな」
そして英樹は、小さく笑った。
後は静かに席に着き、ティーカップを傾けるだけだ。
かすかな茶器の音、芳しい紅茶の香り。
時子のロングスカートが立てる、衣擦れの気配。
そんな沈黙に、暁斗は押しつぶされそうだった。
しかし、何とか踏みこたえたのは、昴への強い想い。
彼を愛する確かな心が、暁斗を強くしていた。
「旦那様、時子さま。私の留学に、昴さまを御同行させていただけませんでしょうか」
「なぜだ?」
「私たちは、愛し合っています。もう、片時も離れがたいのです」
「良く、おっしゃったわ。本当に柏は、真面目で誠実ですのね」
昴さまに海外で見聞を広め、知識を深めていただきたい、などと言い訳がましい言葉は、無い。
直球勝負の暁斗の返事は、時子の評価を得たようだ。
「しかし、二兎を追う者は一兎をも得ず、との言葉もあるぞ」
これは、一つの物事に集中せず、欲張って二つの物事を上手くやろうとすると、どちらも失敗するという警句だ。
「君は、何のためにわざわざ海外まで行って学ぶんだ。自分のスキルアップの為だろう」
昴との恋愛は、その妨げになるんじゃないのか?
英樹の声はやはり柔らかだが、その言葉は辛辣だ。
暁斗はテーブルの下で、こぶしを握って耐えるしかなかった。
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