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小さいことは、いいことだ!

(さて、どうするか) 休日の午後。人で賑わう人気カフェの一角、ふたりは向き合って座っていた。 和モダンな空間。木の温もりと、やわらかな照明。あおいお気に入りの場所なのに、今日は何ひとつ心に届かなかった。脳内は警鐘が鳴りっぱなしだ。 目の前の光貴は俯いたまま、アイスコーヒーにも手をつけない。沈黙が、やけに重くのしかかる。ちょっとした言動で、会社の先輩後輩という最低限の距離感すら壊してしまうかもしれない。 ええい、どうにでもなれ!という気持ちであおいが口を開いた。 「えっと、びっくりしましたよね。まさか会社の人とマッチングしちゃうだなんて。世界は狭いですよね」 なんとか場を和ませようとわざと明るく振る舞ってみるが、返事はない。 「あっ、堂島さんもこのクッキー食べてみませんか?」 あおいは菓子の置かれたプレートを光貴に差し出した。 コロンとしたかたちのかわいらしいクッキー。あおいのお気に入りだ。 「和三盆のクッキーで優しい甘さなんです。僕、この味、好きで……」 「結城さんはさ」 あおいの言葉を遮るように、低い声が落ちる。 「結城さんは、内心笑ってるんじゃない?」 「……え?」 「仕事で散々先輩ズラしてた奴が短小包茎とか……情けないって、そう思ってるでしょ」 「そんなこと――!」 あおいは、思わず前のめりになった。 「そんなこと思ってません!」 その声に、カフェの空気がわずかに揺れた。 あおいの勢いに驚いて光貴が顔を上げる。 はじめて、ちゃんと目が合った。 それだけで、あおいは少し嬉しくなる。 「仕事と身体のことは、関係ありません!」 あおいの声に、迷いはなかった。 「それに……堂島さんは、先輩ヅラなんてしてませんでした。 むしろ、チームリーダーとしてちゃんと現場を引っ張ってて―― あなたと一緒に仕事ができたことで、僕は……救われたんです。 あの時、自信を持つことができた」 「……!」 光貴の瞳に、わずかに色が戻った。 あおいは、そっと息を吸い直す。 「それに、聞き捨てなりません」 目がきらりと光る。 「小さいことは、良いことなんですよ?」 「……え?」 「もう隠しててもあれなんで。僕の理想のタイプ、ダビデ像なんです」 「ダビデ像?あの、ミケランジェロの彫刻の?」 「そう、それです」 唐突な告白に、光貴がきょとんと目を瞬く。 あおいはそんな反応もお構いなしに、うっとりと語り始めた。 「圧倒的なオーラ、威厳のある肉体美、均整のとれたプロポーション……」 一拍置いて、光貴をまっすぐに見つめる。 「そして……上品で、慎ましい性器!」 「……!」 光貴の脳が、しばしフリーズする。 「あなたは、僕の理想そのものかもしれないんです」 熱を帯びたあおいの声に、光貴は思わず目を見開く。 「だから、自分を卑下するようなこと言わないでください。僕が、許しませんから」 真っ直ぐな言葉に、ぽかんとあおいを見つめる光貴。 「……僕、こんな感じの変態なんで。軽蔑しました?」 急にふんぞり返るように肩肘張って、開き直るあおい。 「いや、軽蔑なんてしないよ。ちょっとびっくりしたけどさ。なんか、圧倒されちゃって」 光貴はふっと力を抜くように息を吐いた。 「結城さんって、オフだと……そんな感じなんだね」 強張っていたその表情が、ようやく少しだけ、緩んだ。 「俺、学生時代にクラスのやつとかに散々揶揄われてさ」 ぽつりと、光貴が口を開いた。 「それが結構トラウマになって。彼女ができても……キスまではいけるのに、その先がダメだった。動悸がして、息が詰まるみたいになって」 あおいは黙って聞いていた。 勉強もスポーツも卒なくこなす光貴。その唯一の“弱点”を、揶揄った奴らはどれだけ面白かっただろうか。 こどもは残酷だ。 揶揄う方は軽い気持ちでも、それがどれほど深い傷になるのか、あおいにはわかっていた。 「結局、うまくいかなくて……いつも女の子を傷つけて終わってた。」 そこまで言って、光貴は小さく苦笑する。 「自分を曝け出すのがどんどん怖くなって……社会人になってからは、恋愛することを諦めてたんだ。」 その言葉を受けて、あおいはそっと問いかける。 「それでも、マッチングアプリを始めたのは?」 「俺、もうすぐ30になるんだ。節目っていうか、なんかこのままじゃいけない気がして」 言いながら、光貴は少し照れたように目をそらす。 「それに……きっかけは、結城さん」 「え、僕ですか?」 「うん。あのプロジェクトで一緒だった時から、ずっと可愛いなって思ってた」 突然の告白に、あおいの頬がふわりと染まる。 夢じゃないかと疑うほど、胸がドクンと鳴った。 「もちろん、見た目だけじゃないよ。デザイナーとしての姿勢とか、仕事への向き合い方とか……全部、見てるうちにどんどん気になってきて」 「初めてだったんだ。自分から好きだって思ったの。たぶん、今までの恋愛が全部受け身だったせいかも」 ちょっと照れたように、笑う。 「だから、もしかしたら女の人じゃなくて、男の人のほうが恋愛対象として自然なのかなって。それで、マッチングアプリを試してみたんだ」 光貴の言葉が静かに消えたあと、カフェの中に、わずかな沈黙が落ちた。 「……僕も」 あおいは、おずおずと口を開いた。 「僕も堂島さんのこと、好きだなって思ってました」 「えっ」 光貴が、ぱちりとまばたく。 その視線を真正面から受け止めながら、あおいは少し照れたように笑った。 「プロジェクトでうまく馴染めなくて、正直ちょっと苦しかったんです。そんなときに、堂島さんがさりげなくフォローしてくれて」 「最初は堂島さんのこと、かっこいいなって思ってただけだったんです。でもいつしかあなたの優しさや暖かさに惹かれていたんです」 言いながら、恥ずかしくなって視線を落とす。 「だから、堂島さんとマッチングしたなんて今でも夢みたいで。憧れていた堂島さんが僕の“理想”だったってわかった瞬間、嬉しくてどうしようもなかった」 そして、そっと顔を上げて、まっすぐ光貴を見る。 「あの、堂島さん」 「……ん?」 「このあと……僕とホテル、行きませんか?」 光貴の目が、ぱちりと大きく見開かれる。 「え、い、いきなり……?」 「堂島さんと、もっと仲良くなりたいなって……ダメですか?」 突然の申し出に、光貴は少しだけ身体をこわばらせた。言葉を探すように視線が泳ぐ。 「それに……堂島さんのペニス、見たいんです。我慢できないんです!」 「……そっちが本音でしょ?」 あおいの欲望全開のひと言に、光貴は呆れたように苦笑した。 「意地悪言わないでください。僕にとっては、どっちも大事なことなんです!それに」 あおいは光貴の手をそっと自身の手で包み込み語りかける。 「あなたの身体を馬鹿にする人は誰もいません。むしろ待ち望んでる僕しかいない。何も怖くないです。」 あおいの勢いと最後の言葉に、光貴はとうとう観念したように息をついた。 「わかったよ……。でも、あおいさんの言うダビデ?みたいな身体じゃないと思うからあんまり期待されると……」 「嬉しい!堂島さん、大好き!……あ、高貴さんって呼んでもいいですか?」 はじけるように喜んだあおいは、光貴の男らしい指先に軽くキスを落とした。 その可愛らしいリアクションに真っ赤になった光貴が、恥ずかしそうに目をそらす。 「でも、緊張するな。うまくできなかったら、ごめん」 「最初なんて、誰だってうまくいかないものですよ。大丈夫、ぜんぶ僕に任せてください」 「……結城さんはじめてって嘘でしょ」 「バレちゃいました?だって馬鹿正直にダビデ像みたいな人が好きって書いてたら引いたでしょ。ごめんなさい?」 小さく舌を出し、上目遣いで形ばかりの謝罪をすると、あおいはテーブルのクッキーをつまんで差し出した。 「堂島さん、クッキー食べません?緊張には甘いものが一番なんですから。はい、あーん」 「ちょ、待っ……」 困惑しつつも、あおいに促されるままクッキーを口に運ぶ光貴。その姿はまるで、小鳥のひな。 (完全にペース握られてるな、俺) それでも、不思議と嫌じゃなかった。 あおいの笑顔も、声も、全部――少しずつ、心にしみてくる。 口に広がるクッキーの優しい甘さが、過去のトラウマをゆっくりと溶かしていく。 (……まぁ、それも悪くないよな) 光貴がそう思った瞬間、目の前のあおいがにっこりと微笑んだ。

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