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最終話 これが俺たちの答え。重なる日々のあとで
「だから決めた。俺も樹と一緒に大阪に行く。……澄人くんとは離れたくない。でも、樹も大事……なんだ」
蓮の声が震えている。
必死に抑え込んでいた感情が、今にも溢れそうだった。
……勝手に決めんなよ。
言葉にはならなかった。
いや、口から出ていたのかもしれない。けれど、誰に届くこともなく消えていった。
樹も蓮も、東京を去ることになっていた。
二人が同時にいなくなる――その現実が、思っていた以上に胸を抉った。
心の中で、何度も叫んでいた。
止めたい、引き止めたい。
……でも、できなかった。
あいつらが大阪に向かう日も、見送りには行かなかった。
もし顔を見てしまったら、きっと取り繕えなくなる。
自室に戻り、メイを抱き上げる。小さな体温が腕に伝わってくる。今の唯一の癒しだ。
「……あいつらがいない東京は、こんなに静かだったか」
ぽつりと零れた声に、自分で苦笑した。
実際は元に戻っただけ。あいつらに出会う前に、振り回される前に戻った、それだけ。
なのに、空っぽになった心は隠せなかった。
穴が開いたように、ぽっかりと空白が広がっている。
彼らが残した熱は、簡単には消えてくれそうになかった。
でも――完全に失ったわけじゃない。
二人とも「また会える」と言っていた。樹も蓮も、「忘れんなよ」と最後は笑っていた。
不器用な俺でも、その言葉くらいは信じてもいいだろう。
「……まあ、待っといてやるよ」
メイの頭を軽く撫でながら呟いた。
それは約束でも宣言でもない。ただの独り言。
でも、待つのが苦手な俺は、寂しさで胸が痛みそうだ。
窓の外に目をやる。都会の夜景は、相変わらずまぶしい。
けれど、その光のどこかに、いつか再び交わる未来がある気がした。
***
――数年後。
「わあ、スーツにメイちゃんの毛が!」
朝のリビングに、樹の大げさな声が響く。
「出勤前に抱っこするからやろ……お前、今日は大事なプレゼンじゃなかったのか?」
俺は呆れながら、ローラーを手渡す。
「だって、メイちゃんが寄ってきたんですもん!」
樹はローラーを受け取り、慌ててスーツについた毛を取っている。
メイは知らん顔でソファーの背に飛び乗り、尻尾をふわりと揺らした。
「……朝から騒がしいな」
蓮が寝癖を直しつつ現れ、半笑いで呟く。
「仕方ないだろ。可愛いメイちゃんに寄って来られたら、抱っこするしかないじゃん」
樹は抗議しながら笑い、蓮は俺の淹れたコーヒーを受け取る。
「まあ、たしかに……普段甘えてこない子が寄ってきたら、全力で可愛がっちゃうな」
「だろ?」
蓮と樹が俺の方を同時に見る。
「なんやねん……お前ら」
「別に?」
「何でもないです」
――こうして、騒がしい朝を迎えられることが、どれだけ幸せなことか。
樹は大阪で三年間働き、再び東京本社に戻って、また俺と同じ部署にいる。
そして……蓮は今、東京で小さなデザイン事務所を立ち上げ、着実に仕事を重ねている。
ホストを辞めた後、自由に働ける環境を選び、地道にキャリアを築いたのだ。
二人を安心して見ていられる。俺はそれを心の底から嬉しく思う。
離ればなれになった日もあった。
あの時の不安や孤独は、今でも思い出すと胸が締めつけられる。
けれど、こうして三人と一匹で同じ時間を過ごしている。
笑い合って、時々ぶつかって、それでも同じ屋根の下で暮らしている。
メイが鳴き声を上げ、三人の視線が同時に彼女に向いた。
その瞬間、どんな不安も消えてしまう。
「ほら、樹。もう行けよ、プレゼン遅刻すんぞ」
「わかってるって!」
樹はドタバタと靴を履き、こちらを振り返る。
「柏木さん、先に出ますね。また後ほど! では行ってきます!」
俺と蓮、そしてメイが見送る。
扉が閉まったあと、俺はふと呟く。
「……賑やかすぎて、もう一人になんて戻れんな」
蓮が肩をすくめ、軽く笑う。
「戻る気もないくせに」
俺たちは顔を見合わせ、笑った。
――その笑顔の先に、続いていく未来がある。
三人と一匹で過ごす日常は、何よりも温かく、何よりも確かだった。
End.
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