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自分次第
キャベツの上にドレッシングをかけて、一口。
その瞬間、思わず顔がくしゃっと歪んだ。
「……すっぱい……」
そう呟けば、久我先生は小さく笑った。
「それは苦手でしたか」
「ちょっと……」
恥ずかしくなってうつむいたけれど、先生は怒るでもなく、ただやわらかく微笑んで、箸を持つ手元をそっと見守っていた。
「でも、酸っぱいって感じられたのは、すごくいいことですよ。ちゃんと神木さんの体が反応してるってことですから」
そう言うと「失礼します」と先生の指先が、ぽんと僕の頭を優しく撫でた。
こそばゆいけれど、どこか安心する手のひらの温度。
「今日の治療、とてもよく頑張りましたね」
その言葉が、胸にじんわりと染みこんでいく。
たしかに、頑張ったと思う。
薬のおかげで恥ずかしさはあまり感じなかったけれど、初めて他人に性器を触れられ、絶頂にまで至ったのだから。
「……次も、また……ああいう感じ、ですか」
おそるおそる尋ねると、先生は少しだけ黙って、それからゆっくり頷いた。
「神木さんが望むなら、今の段階をもう少し続けいきます。この先の治療をどう進めるかは、一緒に相談して決めていきましょう」
「……僕が、決めていいんですか」
「もちろんです。私たちは、神木さんがどうしたいかを一番にしたい。だから、無理はしないで。……ちゃんと、聞かせてくださいね」
先生の言葉を胸の奥で転がすように反芻した。
どうしたいか。この後のことなんて考えたことなかった。
でも、聞いてくれるなら……考えてみてもいいかもしれない。
そっと目を伏せて、小さくうなずいた。
それだけで、先生は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。神木さんが『こうしてみたい』と伝えてくれるだけで、私たちは進めることができます」
優しい声。安心する言葉。
それらが静かに心に染みていく。
ようやく感じられた味も、あたたかさも、久我先生がくれたもの。
だから、少しだけ勇気を出してみようと思った。
「……あの、先生」
「はい?」
「次も……同じくらい、で……お願いできますか」
まだ怖さはあるけれど、逃げるほどじゃない。
いきなり先に進むより、少しずつがいい。
今日の治療だけでも、体が少し温かくなっているのがわかるから。
そう言うと、先生は穏やかに笑って、ゆっくりと頷く。
「もちろんです。ゆっくりと、神木さんのペースでいきましょう」
ホッと小さく息を吐いた。
明日からも頑張らなきゃ。
「あ……明日も、治療、ありますか?」
そう尋ねると、先生は少しだけ首を傾げて、いたずらっぽく微笑んだ。
「ありますよ。ただし、『無理に』はありません」
「……?」
「神木さんが『できそう』って思ったら、続けましょう。そうじゃなければ、休んでも構いません。……どうしますか?」
問いかけられて、少しだけ考える。
体は辛くない。むしろぽわぽかしている。
「……明日も……やってみたい、です」
その言葉に、先生はまた微笑んだ。
まるで、何より嬉しいことを言われたかのように。
「はい。わかりました。では明日も食事と一緒にお薬を出しておくので、食後に飲んでくださいね」
「……あの薬、結構ぼんやりしちゃって」
「気分が悪くなるとか、そういったことはありましたか?」
首を左右に振る。
ぼんやりしすぎて、何も考えられなかったから、それだけが少し不安で。
「……何も、考えられなくなって、ちょっと不安です」
先生は僕の言葉を聞いて、少しだけ表情を引き締めた。
でも、それは怒っているとか、困っているというよりも、真剣に向き合おうとしてくれているのがわかる顔だった。
「そうでしたか。それはきちんと伝えてくれてありがとうございます。……不安になったんですね」
「……はい」
「お薬の作用で、思考がゆるやかになることはあります。リラックスさせるためのものなので、ある程度は『考えなくていい状態』を作るんです。でも、心配になってしまうのは自然なことですから……明日は少し、量を減らしてみましょうか」
「減らせるんですか……?」
「ええ、様子を見ながら調整していけます。神木さんが落ち着いて治療を受けられるのが一番ですからね」
そう言って、先生はまた優しく笑った。
その笑顔を見て、また少しだけ胸の奥が、あたたかくなる。
「……ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、ちゃんと教えてくれてありがとう。……神木さんは、今日だけでとてもたくさんの頑張りました。だから今夜は、ゆっくり休んでくださいね」
そう言いながら、そっと僕の手を取った先生の手は、あいかわらずあたたかくて。
そのぬくもりを感じて、自然と口角が緩く上がったのだった。
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