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第2話
今日もまた、携帯が鳴る。
『シュン、新規のお客様だけど行ける?』
新規か。最近はあまりなかったな……。なんて思いつつ、春陽は仕事ノートにペンを走らせながら聞いた。
「はい。平気ですよ。どんな人です?」
『名前は瀬野。日本でも有数の資産家だ。年は35。見た目は男前だったよ』
瀬野。春陽と一緒な苗字だ。
何かやだなぁ……と、黙り込んだ春陽に『……シュン?』と心配そうな店長の声が届く。
「あ、はい。大丈夫ですよ」
春陽は何でもないように笑って電話を切った。
どんな客であれ、店はきちんとしたルールの元に客を取る。だから、初回からそんなに変な客には当たらないようにはなっている。が、新規の客は好みか分からない。
春陽はクローゼットを開き、少し考える。
「とりあえず、無難にこれだな」
年齢から考えて、派手すぎないドレスを選んだ。化粧も濃すぎない程度に。髪をハーフアップにして清楚な感じのバレッタを飾る。
「……よし、行くか」
胸元まで伸びた髪を後に払い、気合を入れた。
今日も頑張って稼ぎましょう!
指定された場所で待つ。……正直、女の格好で待つのは好きじゃなかった。クラスメイトにバレないかと冷や冷やするから。きっと、みんなスマホの画面に夢中で周りなんて見てないだろうけど、それでも後ろめたさがある時は、周囲の視線は気になるものだ。
早く来ないかと思っていると、黒い外車がシュン目の前に止まった。
「……シュンさんですか?」
濃紺のスーツを着た男が車から降りて来て聞いた。
「はい。シュンです。はじめまして」
シュンは営業スマイルよろしく、にっこりと微笑んだ。
「どうぞ、お乗り下さい」
男が後ろの席のドアを開ける。事前に聞いていた年齢は35歳だったはず。けれど、それよりも若く見える。童顔なのだろうか?
「シュンさん?」
再び男に声をかけられて、はっと我に返る。そうして、言われるままに車に乗った。
連れて来られたのは高級ホテル。ここでディナーかと思いきや、そのまま客室へ案内された。
その間、男性はずっと無言だった。だから、彼が何を考えているのかシュンにはさっぱり分からなかった。
……もしかして、いきなりする気なのだろうか?
あまりないタイプだな、とシュンは冷静に考えた。まぁ、そういう仕事なのだから、必ずしもデートのような時間が必要ということはないけれど。
男性はコンコンとドアをノックして、静かにドアを開けた。
「陽月様、シュン様をお連れ致しました」
そう部屋の中へ声をかけている。そこで初めて、相手はこの人じゃないのか、とシュンは気付いた。
「シュン様、どうぞ中へ」
「あ、あの……」
慌てるシュンを部屋へ入れ、男性は部屋から出ていってしまった。
閉じたドアを見つめながら、シュンは思考を巡らせる。どうしよう、相手が別人だなんてルール違反だ。店長に連絡した方がいいのかな……? シュンは困惑しながらも辿々しく部屋の中を振り返った。
茶系のスーツに身を包んだ、シュンとそう変わらない年頃の青年がそこにいた。肌が白くて、綺麗というより美しいという表現の方が似合う。
シュンは立ちつくしたまま、その青年にしばし見とれた。はた、と気がついた時には、既に青年はシュンの手が届く位置にいた。
「春陽……」
青年はシュンをそう呼んだ。シュンは驚いて、思わず身体を引く。背中がドアにぶつかって、そもそも後がないことを知った。
なぜこの人は春陽の名前を知っているのか。本名なんて名乗ってないはずなのに……。
「あ、あの……はじめまして……シュンといいます……」
はぐらかすように言葉を選びながら、シュンは丁寧に頭を下げ、挨拶をした。
はじめまして? と青年の眉が寄る。
「俺のこと、覚えてないのか……?」
しまった、とシュンは反省した。もしかして何処かで会ったことがあるのかもしれない。だから春陽の名前知っていたのだ。
ならば、どこで会ったんだろう。こんな綺麗な顔、早々に忘れられるようなものじゃないのに……。
「……しょうがない……離れたのが6歳の時じゃ記憶にないか……」
青年は少し寂しそうに笑う。なんの話だか、シュンにはさっぱり理解出来ない。
「……えっと……あの、瀬野、さん?」
「陽月」
「あ……陽月さん……」
「“さん”はいらない」
たった数回言葉を交わしただけなのに、なぜだかいい人だと思った。陽月の声が、心地よく届く気がする。
「……春陽、俺はずっとお前を探していたんだ。やっと会えた……」
陽月は腕を伸ばし、優しくも強い力でシュンを胸に抱き寄せた。
まるで、大切な物を扱うかのような抱擁だ、とシュンは思う。いつもより心臓の鼓動が速い。緊張しているせいかもしれない。
「あ、あの……陽月、さん」
いらないと言われたのに、シュンはさん付けで陽月を呼んだ。
「あの……何のことか、さっぱり……」
きっと、この人は春陽を知ってるんだろう。けれど、敢えて“シュン”として春陽は通そうとする。
ゆっくりと陽月の体が離れる。ちゃんと陽月を見返せば、確かにどこかで見たような瞳をしていた。
「……食事をしながらにしようか」
陽月はエスコートするようにシュンの手を取った。
レストランには、もちろん二人以外の客もいる。けれど皆マナーよく、落ち着いて談笑しながら食事を楽しんでいた。
順々に運ばれてくる料理を、陽月は一つ一つ確認する。
「申し訳ない。連れは生タマネギが苦手なんだ。外して頂けますか?」
「かしこまりました」
シュンは不思議な顔で陽月を見ていた。陽月はそんなシュンに綺麗な笑みで言う。
「飾り程度でも嫌いだろ、生タマネギ」
「え? あ……はい」
……くっそぉ。やっぱり知り合いなのか? 何でよりによってこんな綺麗な人、記憶から消去しちゃったんだよ俺! そう悔やんでも、思い出せないものはしょうがない。
ゆったりと食事に手を付けながら、陽月は見た目より幾分落ち着いた声でシュンに話しかける。
「春……シュンは母親以外の家族って知らない……?」
「はい。……母は基本的に自分の事を語りたがらなくて……」
昔「お父さんは?」と母に聞いた記憶がある。母は「遠くに離れてしまって、会えないのよ」と言った。
子供心に、春陽は父は亡くなったんだと思った。だからそれ以降、家族のことを聞いたことは一度もない。
そうか……、と陽月もそれ以上家族の話はしなかった。
意外にも、陽月とは同い年だった。無難に交わす学校の話で、二人は繋がる事が出来た。最も、陽月の通う学校は、このあたりでも有名なお金持ち学園で、対する春陽はもちろん普通の公立高校。
けれど、陽月が高くとまったような喋り方しないから、シュンも非常に気安かった。最初こそ敬語を使っていたけれど、早々にタメ口になった。
夕食を終えると、再び部屋に帰るのかと思った。けれど陽月はさっきの運転手を呼び、早くもシュンを帰そうとする。
「え、もうさよなら? いいの……?」
思わずシュンは聞いてしまう。久しぶりに楽しかったからか、つい本音がこぼれた。
「心配するな。すぐまた指名するよ」
綺麗な顔でにっこりされると、胸の鼓動が速くなる。仕事なんて、いつも憂鬱だった。なのに今は少しの寂しさが胸に残る。
変だな……こんなの初めてだ……。
春陽のアパート近くの公園に停車して、二人で車から降りた。街灯が二人を照らして長い影を作る。シュンはゆっくりと歩みを止めて呟いた。
「ここまでで……大丈夫、です……」
名残惜しいような春陽の声に、陽月は唇を噛んだ。うつむいたまま視線を上げない春陽の横顔。帰さない、と言ってしまえたらどんなに良いだろう。それが出来ないもどかしさとやるせない気持ち。
それを押し殺すように内に秘めて、陽月は春陽に封筒を差し出す。
「確認して」
見るからに厚みのあるそれを受け取り、開く。数えなくとも分かるほど大金が入っていた。
「こっ、こんなにもらえないよ!」
シュンは焦って封筒を陽月に押し返す。どう考えても、同い年の子供が用意出来るような額ではない。いくらセレブ相手の仕事だとしても、さすがに気が引けた。
「いいんだ。会えて嬉しいから」
陽月は受け取ろうとせず、シュンの手を優しく押し返す。
「でも……」
シュンは抗議を口にしようとして、やめた。陽月の視線が、あまりにも真剣だったから。
「…………ありがとうございます」
シュンは深々と頭を下げ、封筒をバッグにしまった。陽月が安心したように体の緊張を解いたのが分かった。だから、陽月は微笑んでいるのだろう、とシュンは思った。けれど違った。陽月は寂しそうに眉を下げていた。
「……もう一度、抱きしめていいか?」
改めて聞かれると何だか照れる。返事の変わりに、こくん、とうなずく。
陽月の腕が回って、シュンは陽月の胸に顔を寄せる。とくん、とくん、と聞こえる心臓の音が心地いい……。
ああ、なんだろう。すごく安心する……。
「春陽……」
「っ、……」
名前を呼ばれて、返事をしてしまいそうになるのをグッと堪えた。だって“シュン”なのだ、今は。
無言でいると腕が解かれた。二人の間に出来た隙間を夜風が通り過ぎていく。寒い、とシュンは感じた。同時に理解する、陽月の優しい温もり。
シュンを照らす夜の灯りを遮って、陽月はシュンに口付けた。音のない静かな口付け。
キスなんて、もう慣れた行為だ。なのに、シュンの心臓はまるで初めての時の様に煩い。ドキドキが止まらなくて、脈拍がおかしくなっていく。
「春陽、これ。俺の携帯番号」
「えっ」
「もし今度指名するまでに困ったことがあればかけて」
それは一枚の名刺だった。陽月は春陽の手を取り、優しくもしっかりと握り締めさせる。
「じゃあ、また……」
陽月が一歩後退る。行かないで、とは言えなかった。それでも、シュンは陽月の服を掴んで引き止めた。陽月が驚いた顔で見つめるその前で、シュンは名刺の番号に電話をかけた。携帯が、陽月の胸元で鳴る。
「……ありがとう」
ふわり、と陽月は微笑みを浮かべて言った。
シュンは携帯を握ったまま、走り出す車を見送る。胸が苦しくて、寂しい。仕事でこんな泣きそうな気持ちになったのは初めてだった。
トボトボとアパートに帰り、仕事ノートに目を落とす。筆記用具を取る気にも、ノートに陽月のことを書く気にもならない。
書かなくても平気だ。だって、一生忘れない。
力なく床に座り込み、春陽は背中を丸めて小さくなった。
……どうして番号を教えたんだろう。どんな常連客だって、今までずっと断ってきたのに。しかも自分から……。
ぐるぐると思考は回るけれど、自分の行動に答えは出ない。この気持ちが恋なのだと、春陽は知らないのだ。
また、会いたい。出来ればすぐにでも会いたい……。
「……客にドキドキするなんてバカみたいだ……」
口に出すと、途端に悲しくなって涙腺がゆるんだ。
※※※
春陽を置いて走り出した車の中で、陽月はポケットから包み紙を取り出す。中からは出てきたのは、春陽が使ったデザートスプーン。レストランの給仕に頼んで、こっそりと持ち帰って来た。
「加谷、俺のと一緒にDNA鑑定に回せ」
「かしこまりました、陽月様」
執事の加谷はスプーンを2本丁寧に布にくるむ。陽月は緊張の糸を解くように、ふぅ、と息を吐いて、背もたれに体を預けた。
これでいい。これで証明される。春陽が、生き別れた、俺の双子の弟だと――。
「もちろん、自信がお有りでございますね?」
加谷が再度確認するように聞いた。
「当たり前だ。間違うわけない」
何年も、何年も待ち望んだ。見間違うわけない。例え成長して、幼い頃と姿が変わってしまっても。解るのだ、自分の『番』だと。
春陽……やっと会えた……。
正直、自分の事を覚えていなかったのはショックだったけれど、それでも最後は心を許してくれた。
自然と顔が綻ぶ陽月に「ご機嫌でございますね」と加谷は笑った。
「あぁ……久しぶりに。本当は帰したくなかったけど、今日はしょうがないよ。だけど……」
結果が出た暁には、もう二度と離さない。誰が何と言おうと、春陽を手に入れる……。
流れる街の灯りを瞳に映して、陽月は決意を新たにした。
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