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「み……御社くん……」
詰襟を整然と纏う丞の尋常じゃない眼光に夕汰は言葉を失う。
そこに完全無欠のヒーローの面影はなかった。
獣の性が如実に現れた獰猛な眼差し。
普段は見当たらない、やたらと尖った犬歯が人外性に拍車をかけていた。
「ど、どうしたの……? 大丈夫……? おれのこと……わかる……?」
(それとも)
わかっていて、この反応だったら、どうする。
苦手な同級生に手助けされたくなくて腹が立っていたなら、どうする?
「ごめん。おれ、余計なことしちゃっ、た……――」
謝ろうとして途切れた言葉。
今までにない至近距離にあった丞の双眸がさらに近づいて、夕汰は、瞬きすら忘れて釘づけになった。
(……え……?)
塞がれた唇。
直に伝わってくる微熱。
丞にキスされて夕汰の思考回路は一時停止に陥った。
すぐ目の前に迫る薄目がちの朱色の眼を凝視することしかできなかった。
(こ……これって……おれ、今、御社くんにキスされてる……?)
ようやく思考が通常運転を再開させた頃に、夕汰は、大いにたじろいだ。
強張っていた唇が抉じ開けられる。
口内に丞の舌が滑り込んできて慌てふためいた。
「っ……な、なにやって、御社くん、っ、んむ……ん……!?」
さらに深く口づけられる。
反射的に押し返そうとすれば問答無用に地面に両手首を縫いとめられた。
「んんん……!」
足の間に割って入ってきた丞のがむしゃらなキスに夕汰はただただ戸惑い、そして、思い出す。
『発情期になるのは【化けもの】寄りの混種が多いって聞くけど』
休み時間にクラスメートの白洲が口にした言葉を。
(まさかそんな)
恐怖や嫌悪感を抱く余地もなく、ひたすら困惑していた夕汰だが、自分の真上から一向に退く気配もなくキスを続ける丞の常軌を逸した様子に背筋をヒヤリとさせた。
(きっと……そうなんだ、御社くん、発情期になっちゃったんだ……)
「っ……あのっ、御社くん、落ち着いてっ……これはちょっと……っ……っ……ん、ぷっ……ぅ……っ」
発情期に突入して正気を失っている丞を懸命に呼び起こそうとするものの、夕汰の唇はすぐに塞がれてしまう。
貪るように食いつかれ、啜られ、喉奥まで犯される。
絡めとられた舌先。
より一層濡らされていく口内。
舌同士の濃密な触れ合いに呼吸するのもままならない。
(こんなのだめだ、早く止めないと)
体格も力も劣っているのは明らかで、それでも夕汰は丞を呼び覚まそうと精一杯抵抗していたのだが、自分自身の中にみるみる芽生え始めた変化に混乱した。
(頭、クラクラする……ずっとキスされて、ろくに息できてないから……?)
純血の【化けもの】が発情期に入り、それによる圧倒的なフェロモンを真っ向から浴びて、もろに影響を受けていた。
自分の意志など関係ない。
恐怖心を抱くこと、拒絶すらも許されず、オスとして格上のポジションにある丞に簡単に支配されていく……。
「んっ……ぅ」
上下の唇を交互に吸われて夕汰は声を詰まらせた。
長々と続けられるキスに、ダイレクトに注ぎ込まれる強力な性フェロモンに否応なしに屈してしまい、体が勝手に熱を孕む。
朱色の目をした獰猛で傲慢なクラスメートにすべてを捧げたくなってしまう。
(……だから、だめだって、絶対にだめだ)
今、御社くんは発情期で我を失ってる。
そんな状態の御社くんに、こんなこと、させたらだめだ。
「っ、お願い、御社くん……っ」
彼が不本意な過ちに至らないよう、夕汰は、彼に支配されたがっている自分自身に抗う。
ようやく顔を離した丞に必死になって呼びかけた。
「こんなことだめだよ、やめよう……? お願いだから、いつもの御社くんに戻って……」
焦点の定まらなかった朱色の眼が鳶色の瞳をとらえる。
「……シロツメ……」
(え? 御社くん、今、なんて言った――)
夕汰が聞き返すことは叶わなかった。
不意に頭を屈めた丞に思いきり噛みつかれてヒュッと喉が鳴った。
首筋だった。
まるで吸血鬼さながらに柔らかな皮膚に牙を立ててきた彼に血肉が軋む。
しかし痛みというよりも性的な感覚に全身を蝕まれ、夕汰は切なげに呻吟した。
「だ……だめ……」
到底抗えそうにない露骨な恍惚感。
痛いはずなのに痛覚は麻痺して、ただ未知なる興奮に呑まれていく。
それでも。
夕汰は丞のために「だめ」だと繰り返した。
「御社くん……やめよ……?」
「……シロツメ」
「……」
「好きなんだ……ずっと……シロツメ……」
夕汰は、とうとう、涙した。
自分の声が一向に届かずに丞を止められない遣り切れなさと、他の人の名を呼びながら触れてくる彼に、心臓が張り裂けそうになった。
(……ごめん、御社くん……)
おれはその人じゃないのに。
間違っておれなんかに興奮して、可哀想なことをさせて、ごめん……。
気がつけば自分の部屋のベッドにいた。
すべて夢だったのかと一瞬思ったが、首筋に深く刻みつけられた痛みがそうじゃないと雄弁に物語っていて、夕汰は項垂れる。
(御社くんが運んでくれたのかな……)
翻るカーテン、窓の向こうはすでに夜の帳がおりて暗かった。
「えっ。夕汰、いつの間に帰ってきてたの?」
帰りが遅い孫を心配し、物音が聞こえて様子を見に二階へやってきた祖母に「ひ、昼寝してた……」と夕汰は辛くも誤魔化す。
「ごめん、すぐに下行くから」
腑に落ちなさそうにしている祖母が階下に去ると、部屋の明かりをつけ、首筋に触れてみた。
「え」
大き目の絆創膏の感触に驚き、携帯のカメラ機能でチェックしてみれば確かに処置がされていて、夕汰はしばし部屋の隅で立ち尽くした。
「シロツメ……さん」
その名前を呟けば首筋よりも心臓の方が再びズキリと痛んだ。
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