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(屋上って立ち入り禁止だったはずだけど)
四時間目の体育の授業が終わると、自分たちの教室がある本棟の屋上へ夕汰は直行した。
しかし、締め切られているはずのアルミ扉をいざ前にして、どうしようかと二の足を踏む。
(御社くん、これから来るのかな……まさか、もう屋上にいるってことは……)
試しにドアノブを掴んでみた夕汰は、その手応えに驚きの表情を浮かべた。
ガチャリと小気味よく音が鳴って開くことができた扉。
校庭よりも近づいた空の青さに、ほんの一瞬、夕汰は目を閉じる。
「夕汰」
夕汰は……幻聴かと思った。
目を開けば広い屋上のほぼ中央に立つ丞の姿が視界に映り込む。
裏庭で開花したツツジ、鬱蒼と生い茂る草木の匂いが真昼の風と共に吹き抜けていく中、彼は夕汰の元へやってきた。
「すまなかった、夕汰」
夕汰は……幻聴ではないと思い知らされた。
丞に初めて名前を呼ばれた。
しかも初めてにして呼び捨てときていた。
「っ……ううん、御社くんこそ大丈夫? 学校ずっと休んで、きっと体調悪かったんだよね……?」
詰襟の第一ボタンまできっちり留めた丞は藍色の双眸を俄かに見開かせた。
「あっ、それから! さっきはありがとう! ボール、防いでくれて……」
「覚えていないのか」
唐突な問いかけに夕汰はきょとんとする。
「先週、発情期になった俺は夕汰のことを無理矢理抱こうとした」
直球の発言に夕汰はものの見事に硬直した。
「……お、覚えてるよ、うん……」
「夕汰の心も体も傷つけた」
真摯に見つめてくる丞の視線に耐えられなくなって夕汰は俯く。
(今、御社くん、抱こうとしたって言った)
そうか、やっぱり、そうだった。
最後までされたわけじゃなかった……。
「おれのせいで御社くんが過ちに至らないでよかった」
ついポロリと出た本音。
すると。
「どうして俺を責めないんだ」
両手で両手を握り締めてきた丞に夕汰は飛び上がりそうになった。
「またそうやって自分のせいにして、何もかも自分が悪いように考えて、苦しいだけだ」
再び丞と視線が繋がって、大きな手に貧弱な両手を包み込まれて、夕汰の顔はみるみる赤くなっていく。
「悪いのは俺だ。夕汰は何も悪くない」
「あ……うん。ハイ……」
「怖い思いをさせて悪かった」
清々しい青空を背景にして詫びてきた丞に夕汰はぎこちなく頷いてみせた。
「あの日、初めて発情期になった」
緩やかに移動していく雲。
裏庭からは鳥の囀りがしていた。
「苦しくて、熱くて、どうにかなりそうだった。しばらく高熱に魘されるような感覚が続いて、気がつけば、意識を失いながら泣いている夕汰が目の前にいた」
丞の視線が自分の首筋に向けられたのに夕汰は気づく。
「本当にごめん」
心からの謝罪に胸が痛くなった。
噛みつかれる前に丞を正気に戻せなかった自分への自己嫌悪やら罪悪感が湧いてきて、夕汰は、首を左右にブンブン振る。
「おれはもう平気っ……あ、じゃあやっぱり、御社くんがおれを家まで運んでくれたんだよね? ありがとう。絆創膏貼ってるけど、傷跡も多分薄くなってるし、もう大丈夫だよ」
「そうなのか」
「うん! あっ、家族や友達には猫に噛まれたって言ったんだけど、ばい菌入ったかもしれないから病院行けって言われたんだけど、消毒薬で大丈夫だったみたい」
「猫」
「あー、でも! もしもあのモフモフした狼みたいな御社くんに噛まれてたらやばかったかも!」
(ていうか、ていうか、御社くん、いつまで手を握ってるんだろ?)
「でも、どうして……」
(大地主だって聞くし、島中のことは網羅してるんだろう、同級生の住所一覧がその優秀な頭にインプットされててもおかしくない)
「なんだ?」
(あの日、あの神社にいたのは……いわゆるパトロール的な……自警団の活動の一環みたいなものだったのかも)
「夕汰、何が聞きたい?」
夕汰は自分の両手を握り続ける丞を遠慮がちに見上げた。
(シロツメさんって誰?)
「……御社くんって、体温高いんだね、すごくあったかい」
(このあったかさは、おれの知らない、シロツメさんのもの)
丞がやっと手を離す。
夕汰は自分の掌同士をすり合わせて「おれの手までポカポカしてる」と笑顔を浮かべた。
「そういえば、御社くん、どうやって屋上に入ったの? ここって立ち入り禁止でロックされてるのに」
「下の階から飛び移った」
「……すごい」
「時々、日向ぼっこで利用している。先生にもみんなにも秘密にしているが」
「秘密」を打ち明けられたことに夕汰の胸は自然と高鳴った。
あんなことが起きるまでは常に素っ気ない態度で避けられていると思っていた分、やたらと嬉しく思えた。
「シャツが逆だ」
そんな丞からの急な指摘に夕汰はポカンとする。
「前と後ろ、逆に着てる」
急いでいたために制服に着替えず、体操着である半袖シャツとジャージを着用したままでいた夕汰は赤面した。
「ぷぅぅっ」
鳴き声を上げ、慌てて正しく着直そうとしたものの。
真正面に立つ丞にじっと見据えられて、まごつく。
シャツを前後ろ逆に着ている恥ずかしさを上回る絶妙な恥ずかしさがあって、そのままでいることにした。
「えーと、どうせ後で着替えるし、このままでいーかなっと」
「責任をとらせてほしい」
夕汰はまたしてもポカンとする。
依然として真摯に見つめてくる丞をたどたどしい目線で見つめ返した……。
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