7 / 36

初夜-7

「蘭は、やっぱりこれが気になるんだね」 蘭の視線を辿るようにアゲハ蝶に触れながら、アゲハがくすくすと笑う。 蘭はバツが悪そうに目を逸らしてから、恐る恐る尋ねる。 「…その赤いやつ、タトゥーなの?」 そう訊いたものの、近くで見てみると、やっぱり違う気がする。平面的なタトゥーとは異なり、赤い線が立体的に浮かび上がっている。 「タトゥーとは違うかな。あれはインクを体に染み込ませるって感じだけど、これは──傷痕なんだ」 スカリフィケーションというんだと、アゲハが教えてくれた。 改めて傷だと分かって、ぞくっと体が痺れる。赤いのはやっぱり血の色なんだろうか、と気持ちが高揚していくのが分かった。 「…触ってみる?」と訊かれて戸惑う。「…痛くないの?」そう聞き返すと、アゲハが吹き出した。そんな仕草すら艶がある。 「もう何年も前に入れたやつだから。平気だよ」 そういうものなのか、と知らなかったことを恥ずかしく思いながらも、蘭はそっと真っ赤なアゲハ蝶に触れる。 「これって消えないの?」 「そうだね。薄くなることはあるみたいだけど。タトゥーは除去手術があるけど、これは手術でも消すのは難しいみたい」 細い線で繊細に描かれたアゲハ蝶。蘭の指先に、細い糸を埋め込んだような筋がいくつも触れた。 乾いた感触と冷たい温度。彼の秘められた傷痕を垣間見た気がした。 「俺、人の傷とか血に、興奮するみたいなんだ」 蘭は思わず溢していた。ずっと、誰にも言えなかったこと。 アゲハがきょとんとしてから「へえ」とだけ呟いた。その反応に蘭は戸惑う。 彼ならきっと受け入れてくれると思って吐露してしまったけれど、さすがにこんなに淡白な反応をされるとは思っていなかった。 「…変、だと思わないの…?」 「そういう性癖の人、たまにいるし」 あっさりと告げられて蘭は拍子抜けしてしまう。自分が十数年間悩んできたのは何だったんだろう、と虚しくなるのを感じた。 呆然としている蘭を見て、眉を下げてから、アゲハが蘭の頬に触れる。 蘭は恐る恐る彼に目をやる。目が合って、アゲハが妖しく笑った。 「じゃない子の方が、俺は好きだよ」 好きという言葉に、軽率にどきっとしてしまう。シチュエーションも相まって、胸の高鳴りは激しくなっていく。 「そういえば、さっきの質問…答えてなかったね」 一瞬目を伏せてから、アゲハが蘭の目をじっと見つめる。色素の薄い瞳。目鼻立ちがはっきりしていて、彫りが深い。 一目見て綺麗な人だと思ったけれど、近くで見てもやっぱり綺麗だ。 「俺は、蘭のこと──めちゃくちゃにしたいと思ってるよ」 耳元で囁かれて、ぞくっと全身が痺れた。はあ、と吐息が漏れる。 「けど、無理強いするわけにはいかないからさ。…蘭が決めていいよ」 騙して連れてきたくせに今更何を言っているんだ、とは正直思う。ご丁寧に部屋まで用意しといて。けれど、そんな事実は今の蘭にとっては些細なことだった。 蘭はアゲハの手を取り、自分の頬を擦り寄せた。 「いいよ。──アゲハなら、いいよ」 この人に、めちゃくちゃにされてみたい。今考えているのはそれだけだった。 アゲハが、ニヤッと笑ってから蘭の顔を引き寄せると、唇が触れる。 アゲハの舌に唇をぺろっと舐められると、びくっと体が震える。 「口、あけて」 アゲハに囁かれて、震えながら、あ、と小さく口を開く。 覗いた舌にそっとアゲハの赤くて肉厚なそれで触れられて、思わず首を竦める。 くすっとアゲハが笑った。 「こういうキスは、はじめて?」 かあっと顔が熱くなりながら、蘭はこくっと頷く。 「そっか。じゃあ──気持ち良すぎて、トばないようにね?」 後頭部に手を回されて、強引に引き寄せられた。ぬるっと生暖かい舌が蘭の口内を蹂躙する。敏感なところを擦られてその度にびくびくと体が震える。 じゅるっと舌を吸われて、思わずぎゅうっとアゲハの左腕を掴む。普通の皮膚より硬い感触に、ぞくっと背筋が痺れた。 解放されると、口の端から唾液が溢れるのがわかった。アゲハがそれを舌で舐めとる。 蕩けた瞳でアゲハを見つめると、くすっと艶っぽく微笑まれた。 「どう?」 「……タバコの味がする」 その返答は、我ながらよりにもよって、とは思うけれど、それ以上の感想は19歳の蘭には口にするのが憚られた。 アゲハは蘭の率直な感想に苦笑する。 「さっきまで吸ってたからね。ごめん」 蘭はふるふると首を横に振る。 「…アゲハだったら、いいよ。それより、その……よく、わからないけど…すごく、気持ちよかった」 自分で言ってて顔から火が出てるんじゃないかと思うくらい熱くなった。結局口にしてしまった。…語彙力はともかくとして。 アゲハは目を丸くしてからふふっと笑い声を漏らす。 「蘭は、素直だね」 「…ごめん、俺、結構思ったことそのまま言っちゃうみたいで」 「なんで謝るの?…可愛いよ」 アゲハの唇が蘭の首筋に吸い付く。首を竦めて身を縮こまらせると、そのまま体をベッドに押し倒される。 蘭の上に乗りながら、アゲハが自分のTシャツを脱ぎ捨てる。 鍛えられた上半身。右の胸には──漆黒のアゲハ蝶が彫られていた。 白い肌に映えるそれに思わず見惚れる。 「…それは、タトゥー?」 「そう。…こっちも触っていいよ」 言われるがままそっと指でなぞる。腕の傷とは違い、普通の肌と変わりない感触だ。 「アゲハだから、アゲハ蝶なの?」 何気なく訊くと、アゲハが少しバツが悪そうに笑う。 「まあね。…単純でしょ?」 アゲハが本名なのかそうじゃないのかはわからない。けど、いずれにせよ彼に合ってる名前だと思った。 「アゲハにぴったりだよ。…これも綺麗だ」 「…ほんとに素直だね。…調子狂うな」 蘭のうっとりとした視線に、アゲハは少し戸惑った表情を浮かべた。 その一方で蘭は、彼の困ったように笑う顔も綺麗だ、なんて思ってしまう。 「もう一回訊くけど、いいんだね?」 アゲハにそう訊かれて、腹をつつ…と撫でられる。 「ここに、入るんだよ?…蘭は男とはしたことないんだよね?」 「…ない」 「じゃ、痛いかもよ?痛くしないようにはするけど」 ある程度想像はしていたけれど、言葉にされると恐怖心が湧いてくる。…でも。 「…大丈夫」 好奇心なのか、本能的な欲求なのか、よくわからなかった。けれど、ひとつわかっていたことはある。 アゲハに、俺の中に入って欲しい。その思いで埋め尽くされていること。 蘭はほとんど無意識に、アゲハに手を伸ばしていた。 「──きて、アゲハ」

ともだちにシェアしよう!