12 / 36
第2夜-3
目が覚めると、まだ外は宵闇に包まれていた。むくりと起き上がると、ガウン型の部屋着を着ていることに気づいた。体はやけにスッキリしている。
「──飲みな」
ベッドから抜け出していたアゲハに、ペットボトルの水を渡される。
「ありがとう」と受け取ってごくごくと呷る。冷たさが喉を通って気持ちいい。そこで初めて、喉が渇いていたことに気がついた。
よっぽど夢中になっていたらしい。
同じ部屋着に身を包んだアゲハは、1人用のソファに腰掛けて、タバコを咥える。
その仕草が妙に色っぽくてどぎまぎする。
「…キレイにしてくれたんだ」
前の時も気づいたら体がキレイになっていて、着替えまでさせられてたのを思い出す。くすくすとアゲハが笑う。
「そりゃーそれくらいさせてもらいますよ。──大事な商品なんだから」
不敵に浮かべる笑みに、ゾクっと背筋が凍る。思わずぎゅっと体を抱きしめた。
なんでだろう。張り付いた笑みに、光のない目が、怖くて仕方がないのに──どうしようもなく、体が熱い。
感情が読めない。読ませようとしていない。この人は、怒ったり泣いたりする時、どんな顔をするんだろう。
気になるけれど、きっと知ってはいけない。蘭には、知る由もない。
「あの客じゃ、物足りなそうだったね」
アゲハがそう声を掛けてくる。思わずむっと口を尖らせてしまう。──誰のせいで、物足りないと思ってるんだろう。
「…もっと気持ちいいの、知っちゃったから」
蘭がぼそっと呟くと、アゲハが目を丸くしてから艶っぽく笑う。
「ふうん」なんて白々しく呟いて、アゲハが蘭の隣に座ってくる。
ふわりと漂うタバコと香水の匂い。ほろ苦い煙とスパイスの中に潜む甘いバニラ。アゲハの匂いだ、と体が覚えてしまった。
蘭の頬に長い指が触れる。親指が、蘭の耳、首筋、唇を這い、薄い唇を割って口腔内に這入り込んできた。
舌を撫でられると、ぞわっと内側から快感が湧き出てきた。
じっと見つめられるだけで、身体中が熱くなる。
「随分と渇いた目をしてるね。足りない、足りないって。──飢えた獣みたいだ」
アゲハが指を抜いたかと思うと、顎を掴まれて深く口付けされる。
「んっ…」
熱い舌に容赦なく蹂躙される。
溶けそうな頭の中で、アゲハの「獣みたいだ」という言葉を反芻した。
まるで自分には似合わない比喩だと思う。こうやって今も、喰らい尽くされてるというのに。
──ああ、でも、ずっと渇いているというのはそうかもしれない。
平凡な親、平凡な友だち、平凡な人生──それらを消費する日々は、確かに物足りなかった。
本当に欲しいものへの気持ちを押し殺して生きてきた蘭には、叶えたい願いもなかった。けどそれは、この時のためだったのかもしれない。
茶色がかった瞳。こちらを見ているようで、見ようとしていない視線。手入れされた肌と髪。丁寧に磨かれたアクセサリー。
何人も立ち入らせない完璧な出立ち。閉した心。熱い体。赤いアゲハ蝶。漆黒のアゲハ蝶──
こんなに冷たくて熱くて、美しい人に出会ったことはなかった。これから先、二度と出会うことはないだろう。
欲しい。──アゲハが、欲しい。
願わくば、俺だけを見てほしい。
ともだちにシェアしよう!

