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蘭-1
初めて自分の性癖を自覚したのは10歳にも満たない頃だった。
「おかあさーん、荷物きたよ」
ある日、家に段ボールが届いた。中身は覚えていない。特筆すべきものは入っていなかったと思う。
家事の最中だった母は、はーいと返事をしただけでこちらに来ようとしない。
チラッとダンボールを見る。それを自分で開けてみようとしたのは、ただ、母が助かるかなという幼い親切心からだった。
幼い蘭は、カッターナイフを手にとって、チキチキ…と刃を出す。
危ないから、と普段は使わせてもらえないカッターナイフ。これを使ってみたいという気持ちも、正直あった。
テープ部分に刃を当てる。思うように刃が進まない。蘭は気づいていなかったが、その刃は錆び付いていて綻びていた。
折って新しい刃を使うと言う発想は持っていなかった蘭は、そのまま強引に刃を進める。
──指を切ってしまったのは、そのすぐ後だった。
「いてっ」
鋭い痛みが走る。
じわりと痛む指に半べそをかく蘭だったけれど、傷から流れる血を見ていると、不思議な気分になった。
ぷっくりとした赤い玉。つつ…と指を伝う赤い液体。
確かに痛いのに、それ以上に──綺麗だと思ってしまった。ずっと見ていたくなるくらいに。
「お待たせ──って、ちょっと蘭!何してるの!?」
傷に気づいた母親が慌てて蘭に駆け寄る。
母親は机からティッシュを数枚引ったくって、蘭の指先に押さえつけた。
「勝手にカッター使っちゃダメって言ったでしょ!?」
母親に叱られながら、蘭はぼうっと自分の指を見つめる。
怒っている母の声はほとんど聞こえていなかった。
反応がないことを不思議に思った母が、恐る恐る蘭の顔を窺って、顔を青ざめさせた。
怪我をして血を流している指を見つめながら──見たこともない妖しい顔で笑っている子供に、恐怖を感じていたのだ。
母はその場では何も言わなかったけれど、蘭が寝た後に、父親と「あの子が血を見て笑っていた。気味が悪い」と話していたのだった。
蘭はうっかり、その会話を聞いてしまう。化け物でも見て恐怖している母親の表情が、今でも忘れられない。
これが、蘭が自分のおかしさを初めて自覚し、そして、それを自分の中に押し込めなければ、と思った出来事だった。
☆
次は中学生の頃。同級生の女の子が廊下でうっかり転んでしまったのを目撃した時のこと。
「いったぁ…」と涙目の彼女。
「大丈夫?」と素直に心配して近づいた蘭は目を見開く。
女子生徒の脚に、ぱっくりと切り傷があった。何かが引っかかって切れてしまったらしい。
柔肌から流れる鮮やかな赤。
つい、目を奪われてしまった。
その女子生徒が、蘭の顔を見て血の気が引いた顔をしていたことに、蘭は気づいていなかった。
大きな音に気づいたのか、教師が1人駆け寄ってきた。
血を流している女子生徒を心配して近寄った彼は、チラリと隣にいた蘭の顔を見て険しい顔になった。
「人が痛がってるのを見て笑うな!」
教師がピシャリと怒鳴ると、蘭と女子生徒がビクッと震える。
どうやら、ふざけて笑っていると思われたらしい。笑っている自覚がなかった蘭は、ぽかんとする。
蘭がすっと表情を戻して、女子生徒に向かって「ごめんなさい」と頭を下げると、教師は溜飲を下げたのか落ち着いた表情に戻った。「反省しなさい」とだけ告げて女子生徒を連れて保健室の方に向かってしまった。
怒鳴られたことに落ち込むことはなかった。むしろ、先生が「ふざけて笑った」のだと勘違いしてくれて助かったと思ったくらいだ。
「血を見て喜んでいた」──なんて、気づかれなくてよかった。
今思うと、あの同級生の女の子は気づいていたように思う。それでも、変な噂が立って蘭が孤立する…なんてことは起こらなかった。彼女は口が固かったようだ。もしくは、同級生が血を見て嬉しそうに笑っていたなんて、恐ろしくて誰にも言えなかったのかもしれない。
怖がらせてしまったことは申し訳ないな、と思うと同時に、やっぱりこのことは誰にも知られてはいけないんだと、そう思って胸がきゅっと切なくなった。
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