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第3夜-2

蘭の耳朶をじっと見つめる視線。妙に真剣でどぎまぎしてしまい、ピアスを開けることにどきどきしているのか、アゲハにどきどきしているのかよくわからなくなってしまった。 そんなことを考えていると、パチンッと音がして、反射的に目を瞑る。 ピアッサーをそっと下げて、「はい、終わり」とアゲハが告げた。 開けた瞬間は思いの外痛みを感じなくて、拍子抜けした。今も少しジンジンするくらいだ。 「ほら、こんな感じ」 とアゲハが手鏡で見せてくれる。チタン製のシンプルなファーストピアスが耳朶にくっついている。思ったより違和感がない。シンプルなデザインだからかもしれないけど。 「ちゃんと毎日消毒すること。あと、タオルとか引っ掛けないように気をつけてね」 なんだか医者みたいなことを言うアゲハが可笑しかった。 ピアスを開けると人生が変わる、なんて聞いたことがあるけど、こんなことで人生が変わるなら苦労しないよな、なんて妙に現実的なことを考えてしまった。 それくらい、あっさりと終わってしまった。…けど。 「蘭?聞いてる?」 ぼんやりしていたからか、アゲハに声をかけられる。 じっと覗き込んでくるアゲハを見つめる。思ったより痛みを感じなくてちょっぴり残念だけど、アゲハが自分のためにやってくれたことに変わりはない。 だから、蘭は満ち足りた気持ちでいた。 「俺…傷つけられちゃったね、アゲハに」 少し悪戯っぽく笑ってみせる。 アゲハはぽかんとしてから、むにっと蘭の頬を摘んでくる。 「いっ…」 「蘭はやらしい子だね」 「…やらしいなんて、アゲハに言われたくない」 むっとする蘭に、アゲハは否定することなく、ただくすくすと笑う。 蘭は、少し躊躇ってから、アゲハの服の裾をちょいちょいと引っ張った。 「…これ、ファーストピアス?外れたらさ…アゲハの持ってるピアス、一個ちょうだい」 上目遣いでねだってくる蘭に、アゲハはきょとんとする。少しだけ戸惑った表情をしてから、アゲハがいつも通りの余裕そうな笑みを浮かべる。 「別にいいけど…欲しいなら、新しいの買ってあげるよ」 その発言に蘭はむすっと頬を膨らませる。 「アゲハのが欲しいの」 ずいっと詰め寄る蘭に、アゲハがぽかんとしてから、少し困ったように「わかったわかった」と笑って蘭の頭をぽんぽんと撫でた。 「お昼、食べに行こっか。その後家まで送るよ」 その提案に頷いて、2人で片付けを始めた。 ファーストピアスが取れるまで、1、2ヶ月はかかるという。少なくとも、それまではアゲハとの関係を途切れさせずに済む。 我ながら打算的だとは思う。けど、こうやって理由をつけて縛っておかないと、彼はどこかに行ってしまうような気がした。 ──気まぐれで儚いアゲハ蝶のように。 ☆ 昼食を摂り終わって、蘭の家まで行く車中。 「色々ありがとう、アゲハ」 「気にしないで。いつも頑張ってくれてるし」 目線を前に向けたままアゲハが言う。 アゲハは運転が上手いと思う。加速も減速もスムーズで、うっかり眠ってしまいそうなくらい心地いい。アゲハの隣で眠ってしまうなんて勿体無いからしないけど。 蘭も一応免許は持っているけれど、ほぼペーパードライバーなので、素直に運転が上手い人はかっこいいなぁ、なんて思ってしまう。 ──この助手席に、何人乗せてきたんだろう。 ふいに過ぎった余計な考えを振り払うように、アゲハの左腕をじっと見つめる。半袖の白いシャツの腕が捲られて、赤いアゲハ蝶の全貌が露わになっている。 胸のタトゥーも良いけど、やっぱりこっちの方が綺麗で好きだ、と蘭はぼうっと見惚れる。 「穴あきそう」 くすくすと笑うアゲハに、バツが悪そうに目を逸らしてから、蘭はむっとする。 「だって、綺麗なんだもん」 アゲハは「ほんとに好きだね」と照れくさそうに笑う。 「…それやるとき、痛かった?」 「痛かった。死んだ方がマシじゃないかってくらい」 何気なく訊いてみると、しれっとそんな発言をするアゲハに戸惑う。アゲハでもそんなことを思うんだ、と思ってしまった。同じ人間なんだから、当たり前なんだろうけど。 「タトゥーじゃダメだったの?」 「タトゥーも入れてみたんだけどね。ほら、胸のやつ。なんだか…物足りなくて。で、たまたま知り合いがスカリフィケーションやってて、『あ、可愛いかも。これにしよ』って…本当にそれだけ」 アゲハが心なしか自虐的に笑う。 なんとも無邪気で無計画で──愚かなきっかけ。 この人は、大した理由もないのに自分を傷つける選択をいとも簡単にとれるのだ。それが恐ろしくも、美しくも感じて、きゅっと胸を締め付けられる気持ちがした。 「蘭もやってみる?」 「…やりたい」 すぐにそう答えた蘭に、アゲハが目を見開く。チラッと蘭の方を窺ってきて、目が合う。あからさまに戸惑っていた。 自分でもなんでこんなに即答してしまったのかとは思う。どうせ無理だろうと、揶揄う調子のアゲハに、反抗心のようなものが湧いて出ただけなのかもしれない。 けど不思議と、口を突いて出たその発言に、後悔はなかった。 「…じゃあ、腕のいい彫り師を紹介するよ。俺もその人にやってもらったから」 蘭から目を逸らして、まだ困惑の色を隠せていない様子で、アゲハがそう言った。 「何か入れたいのあるの?」 そう訊かれて、蘭は戸惑う。アゲハ蝶が良い、なんて一瞬思ったけれど、同じやつは気恥ずかしいし、アゲハもお揃いは嫌だろう。 「何にしたいかはわかんないんだけど…」 目を伏せながら蘭が答えた時、信号待ちで車が止まる。腕をくいっと引っ張られ、耳に顔を近づけられた。 「──お揃いにしたいって言うかと思った」 耳元で囁かれると、かあっと体が熱くなる。見透かされてたことが居た堪れない。否定しようとしない…というか、否定できない蘭に、くすくすとアゲハが笑う。 そうこうしてると信号が青になって、パッと手を離されたかと思うとアゲハが車を発進する。 「まあ、蘭に似合うデザインにするといいよ。その彫り師、親身に相談乗ってくれるからさ」 アゲハの言葉に、蘭は戸惑う。 俺に似合うデザイン、か。 ずっと、自分の癖が他人に理解されないと思い知って、1人でその思いを燻らせるしかなかった。たとえば、スプラッタ映画を親の目を盗んで見るとか。 でも、それでは蘭の欲は満たされなかった。理由はシンプルだ。それが、綺麗じゃなかったから。 もっと、静かに滴る血が見たい。傷跡も嫌いじゃないけど、切ったばかりの傷が1番綺麗だと思う。 アゲハの腕は傷跡だけど、真っ赤で綺麗だ。これも好きだと直感的に感じた。 痛いのは人並みに苦手な蘭だったけれど、アゲハが感じている痛みを少しでも理解できるかもしれないのなら、むしろ進んでやりたいと思うくらいだった。 けど、それだけだ。蘭が自分の体に傷を刻みつける理由なんて。 俺という──美須々蘭という人間らしさなど、果たして存在するのだろうか。俺はただ、想いを寄せる人の痛みを感じたいというだけの、中身のない人間なのに。 そんなことを考えて、蘭は途方に暮れた気分になった。

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