19 / 36

第3夜-5

「──終わったよ」 レイナの言葉に蘭はハッと目を覚ます。 途中から記憶が曖昧だった。もしかしたら気を失っていたのかもしれない。汗で体がべとべとするけれど、上半身裸だからか、そこまで不快感は感じなかった。 レイナに手を貸してもらって体を起こし、立ち上がる。 「ほら、見てみな」 そのまま、姿見の前に連れて行かれる。首だけもたげると、一面に自分の背中が映っていた。 左肩に、繊細な線で描かれた鈴蘭の花と葉。 釣鐘が項垂れながら、真っ赤な鮮血を纏っている。 「──綺麗…」 思わず、ぽつりと呟いた。見る人が見れば痛々しい生傷であるだけのそれを、痛みなど忘れるくらいの美しさだと感じ、蘭はうっとりとした。 レイナが眉を寄せる。不快というより、恐ろしいとでも言いたげに。 確認を終えた後、傷口にワセリンを塗られガーゼを当てられた上に、上半身をラップでぐるぐる巻きにされた。 「毎日ガーゼを取り替えてワセリンを塗ること。よっぽど血が止まらないとかじゃなければ、傷口もちゃんと洗ってね」 しばらく湯船には浸かれないだろうと言われたけれど、そもそも蘭は入浴はほとんどシャワーで済ませているので、そこは問題なかった。 それより、うつ伏せで眠らないといけないことの方が憂鬱に感じた。 その他にも、レイナからケアの説明をされていた時だった。 「──レイナさーん、店長知らない?」 中に入ってきたのは、全身タトゥーだらけの大男だった。筋肉質というわけではなさそうだが、とにかく背が高く、威圧感がある。タトゥーはスキンヘッドにも彫られている。 ピアスの穴も両耳にいくつも開いていて、鼻や唇にまで施されている。 目は切長で瞳は小さい。顔立ちもいかついときた。 な派手な見た目に蘭は慄いた。 「買い出しでも行ってんじゃない?」 「裏の鍵開けたまま?不用心だな〜」 レイナの言葉にけらけらと笑っていた男だったが、ふと、蘭に気づいて目を丸くした。 「ありゃ、こんな純朴そうな美少年がなんでこんなゲテモノのスタジオに?」 男のなかなかな言い種にも、レイナは特に気を悪くした様子はない。 「アゲハの紹介だよ。スズランって名前」 アゲハ、という単語を聞くと、くっく、と男が嫌らしく笑う。 「またこんな大人しそうな子誑かして…ほんと悪い男だね。アイツ」 知ったような口を利く男に、もやっとした感情が湧いてくる。これは嫉妬というやつなんだろうか。 蘭が恐る恐る口を開く。 「アゲハの知り合い…ですか?」 「まーねぇ。アゲハの働く店と、ここのバー…同じ系列だから。それなりに仲良いよ。ま、俺はあんな悪趣味じゃないけどね。ただの飲み屋の店員ですぅ」 おちゃらけるキリヤに、レイナがどこか呆れたような目を向けている。推測…というか、偏見でしかないけれど、飲み屋の店員、と言うわけではなさそうだ。 「俺はキリヤ。ここのバーの店子」 「レイナさんの方じゃないんですね」 思わずそんなことを口にしてしまった。タトゥーだらけでいかつい見た目をしているから、彫師の方かと思った。それこそ、完全に偏見ではあるけれど。 レイナが眉を顰める。 「こんなゲテモノ雇いたくないね」 言葉を返すようなレイナの暴言に、キリヤは「ひどいなぁ」と楽しそうに笑う。 「…アゲハって、いつからああいう仕事してるんですか?」 「相手してくれるなら、教えてあげてもいいよ」 何気なく、という体で訊いてみると、にやにやと笑われながらそう返された。簡単には教えないとでも言いたげに。 蘭はむっとキリヤを睨む。 「わかりました」 即答する蘭に、キリヤとレイナが目を見開く。 「…命知らずだね」 「アゲハのことが知りたい。手に入れたい。そのためならなんでもする」 中途半端な態度じゃ、舐められるだけだ。そう感じて、蘭は率直な自分の気持ちを伝えた。 真剣な蘭の表情に、キリヤが吹き出した。 「相手しろってのは冗談、俺そういう趣味じゃないし」 くっくと笑うキリヤにぽかんとしながら、蘭は内心胸を撫で下ろしていた。 啖呵を切ったものの、この男の相手ができる自信はなかった。何より…仕事じゃないところでアゲハ以外の人間と触れ合いたくもなかった。 にしても、このキリヤという男はふざけた調子で人を煽って、冗談のタチも悪い。 他人を面白がる態度が苦手だと蘭は感じた。 「けど、アゲハのことは教えてあげても良いよ。スズランくん、面白そうだし。まだ開店まで時間あるし、こっち座りなよ。こんな血生臭いところ嫌でしょ?」 これまたレイナの仕事を貶すような言葉。蘭は恐る恐る彼女を窺うも、平然とした表情でキセルを吹かしている。彼らにとっては、これくらいの軽口は日常茶飯事なのかもしれないけれど、蘭は正直、ずっとうっすらと漂っている物騒な雰囲気に気が気じゃなかった。 アゲハは、こんな剣呑とした雰囲気を醸し出す人たちと交流があるのか。 改めて、自分の生きてきた世界とアゲハのそれの違いを思い知らされて、胸がきゅっとなった。

ともだちにシェアしよう!