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アゲハ-2

「従業員にちゃんと挨拶しろ。よっぽど余裕ない時以外は雑談も付き合え。人間関係は資本だ。そこを疎かにする奴は仕事もできない」 アスカは口を酸っぱくしてそう言ってきた。 そのおかげで無愛想だったアゲハも、少なくとも表面的には、人並みに誰かとコミュニケーションを取れるようになってきた。 中学生を夜の世界に連れてきたり、未成年のアゲハにタバコを勧めてきたりと、倫理観は狂っている。それでも、仕事に向き合う姿勢だけは真っすぐで、思いの外、他人を大事にする人間だった。 破天荒で強引。だが、アゲハのことを気にかけているのは伝わる。 そんな彼にすら、心を開くのは怖かった。それほどまでに、アゲハの心の壁は厚かった。 壊れる寸前まで傷を負った子供の心のまま、傷を癒す暇もなく、表面的な部分だけどんどん大人になっていってしまった。 高校は一応ちゃんと通っていて、卒業までした。 日中は高校に通い、新宿に戻ってきたらアスカの経営する女性向けセラピストの店の雑用をしたり、ライのバーの手伝いなどをする。それがアゲハの1日だった。 アスカが仕事をくれるなら通わなくても良い気もしたけど、何があるかなんてわからないから辞めなかった。 公立だから授業料はかからなかったし、バイト代や、高校を卒業するまで親からの生活費の振込があったことに加え、18歳になって住居を契約できるようになるまでは、事務所の空き部屋に住まわせてもらっていたから、生活には困らなかった。 高校では、そこならではの出会いもあった。 童貞を捨てたのも、高校の知り合いだった。 それは高一の夏。相手は高三の女の先輩だった。 別に付き合ってたとかじゃない。新宿をぶらぶら歩いている時に声をかけられて、言われるがままついて行ってそのまま…という感じ。同じ学校だと知ったのも後からだ。向こうはアゲハのことを学校で見かけていて目をつけていたらしい。 アゲハは髪や服に無頓着だったものの、美容師を兼業しているライをはじめ、夜の仲間にあれこれと世話されて今時の若者らしく小綺麗にはしていた。 元々の顔立ちが良かったのもあって、少し身綺麗にしただけでアゲハはちょっとした話題の的となっていたらしい。それも彼女から聞いた。 ふうん、と興味なさげに聞いていたアゲハだったが、ふとあることを思い出す。 『──色仕掛けだよ。寄ってきたヤツ惚れさせてさ、いいように使ってやれば?』 夜の街で働くようになったばかりの頃、キリヤが自分に言ってきた言葉。 その時は、自分にそんなことできるわけないと受け流していた。だが、先輩の話を聞いて「この顔、使えるかも」なんてことを考え始めた。 アゲハは外見を磨きはじめた。誘き寄せて、離さないようにするために。 ブローカーという職業があるのを知っていたので、これの真似事をしてみようと思い立った。 幸か不幸か、少年少女と関係を持ちたい大人を見つけることは容易かった。金を欲しがっている子供もごろごろいた。 暴力で言うことを聞かせている人間もいるけれど、あれはダメだと思っていた。父親を殴って逃げられた経験があるアゲハは、あれでは心を繋ぎ止めることはできないと、痛いほどわかっている。 客に甘言を囁いて心を奪っている人間はこの街には溢れるほどいる。教材はたくさんあった。 無愛想だったアゲハの表情は、徐々に妖しい色を帯び始めた。 アゲハの甘いマスクに引っかかった少年少女の中で、『バイト』に食いついてくる子を探した。反対に、楽に稼げるバイトを探している子を誘惑したこともあった。 怖気付く子には「終わったら俺が甘やかしてあげる」と誑かし、アゲハの体を求めてきたらそれに応えた。 体を許して、相手の心を奪っても、アゲハ自身は絶対に心を開かなかった。 開きそうになったり、無理やり暴かれそうになったら、アゲハは彼らからそっと離れた。 「君はこの世界に向いてない」「俺たちは自分たちの成長のために離れた方がいい」なんてそれっぽいことを言って、捨てた。 あっさり離れられることもあったけれど、大抵は一筋縄では行かなかった。泣き疲れて付き纏われて、刺されそうになったこともある。 どっと疲れたけれど、それでもアゲハにとってはその方がよかった。 心を暴かれるより、よっぽどよかった。 そうやって人の心を弄んで手に入れたふりをして…そのうちアゲハは、そうすることでしか立っていられなくなっていた。結局、アゲハの手元には何も残らないことにも気付いていながら。

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