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第4夜-1

カランカランとドアのベルが鳴る。 「いらっしゃーい…あ、アゲハじゃん」 アゲハがライのバーに行くと、カウンターにいたのはキリヤだけだった。 「…キリヤだけ?」 「店長なら今日は休みだよ。俺じゃ不満ですかぁ?」 「不満だね」とそっけなく言うと、「ひどいなあ」と傷ついた顔をしながらキリヤがけらけら笑う。実際は、全く傷ついている様子はなさそうだ。 カウンターに座って「適当に作って」と頼むとはーいと間延びした返事が返ってきた。 「なんか最近、忙しそうじゃないですかぁ」 「ちょっと、人の入れ替わりが激しくてね」 「まあ、この界隈しょうがないよね。今いるスタッフ、オーナーとアゲハだけだっけ?人入れないの?」 「入れてもすぐ辞めるんだよ」 「ブラックなんじゃないの?」 ケタケタ笑うキリヤをじとっと睨むけれど、否定はできないので黙り込む。 「だいぶ落ち着いてきたからいいんだよ」とキリヤの作ったシャーリーテンプルを口に含んだ。 甘いものが苦手なアゲハに合わせて、シロップの量は控えめにしてある。 噂好きの下世話野郎だけど、仕事っぷりは真面目だ。失礼なことを平気で口にするくせに、意外と気遣いのある言葉もかけてきたりする。アゲハは、この男の掴みどころがないところが少し苦手だった。 弄ばれている気配を感じると、どうにも身構えてしまう。 「落ち着いてきたんなら──スズランくんと会う時間もできたんじゃない?」 キリヤが嫌らしい笑みを浮かべる。 アゲハは目を見開いてから、キリヤを睨んだ。 「…どうして彼のことを知ってるの?」 「俺に知らないことなんてないのよ」 おちゃらけるキリヤを睨め付ける。今にも射殺されそうな視線に、キリヤは肩を落とした。 「なんてね。たまたま会ったんだよ。ほら、レイナさんとこきてたでしょ?あの子」 色々と察して、はあ、とアゲハがため息をつく。スカリフィケーションの施術をしてもらいたいと言った蘭に、レイナのことを勧めたのは誰でもない。自分だ。 繊細さが魅力の彼女の施術は、中性的な蘭のイメージとぴったりだと思ったし、自分も世話になってる人だったから勧めたものの、身近過ぎたことが仇となったらしい。 極力この男には知られたくなかった。 夜の世界は狭いから、知られるのは時間の問題だったかもしれないけれど。 「蘭…スズランに余計なこと言ってないよね?」 キリヤにはアゲハに悪魔の囁きをした前科──他にも色々あるけど──があるので、疑わしげな視線を隠そうともせず向ける。 アゲハ自身は、自分がまともじゃないことを自覚してるので、キリヤの言葉があってもなくてもきっと何かしらの形で人の心を弄ぶようになっていたと思ってる。だから、それを恨むことは全くない。むしろ、心が折れかけていた時に一応親身になってくれたことに少しは感謝している。 ただ、蘭は別だ。 あの子は素直すぎる。純粋で、恐ろしいほどにまっすぐだ。ロクでもないことを囁かれたら、あっという間に黒く染まってしまいそうだ。 ただでさえ人の心を無意識に弄ぶ気質があるのに…もし、自覚してしまったら。そう思うとぞっとする。 「へぇ、気になるんだ。…ずいぶん気に入ってるんだね」 にやにやと笑うキリヤに、バツが悪そうに目を逸らす。 めざとい男だ。癇に障る。 それと同時に、キリヤの言うとおり気にかけてしまっている自分にも嫌気がさした。 別に、どうせ近いうちに別れるつもりの人間がどうなろうと、俺には関係ないはずなのに。 どうしてこうも、胸の辺りがモヤモヤして苦しいんだろう。 「で、どうなの?もしかして、もう捨てちゃった?」 ──それができたら苦労しない。 そう思いながらも、しつこく聞いてくるキリヤにため息を吐いてから、観念したように口を開いた。 「…最近連絡が来て、客を取りたいからセッティングして欲しいって言われた」 へえ、と興味津々なキリヤにげんなりする。 「積極的じゃん。いいねぇ、スズランくん」 「彼の知り合いなんだって。蘭が体売ってるのどこかで知って興味持ったらしいよ」 そう伝えると、キリヤが首を傾げる。 「え?スズランくんが客を指定するんだ。…じゃあ、なんでアゲハを通してくるの?」 そんなの、俺が聞きたい。と怒鳴りたい気持ちをぐっと抑えた。 『俺を買いたいって男の人がいるから、セッティングとか色々してもらえるかな?施術の痕も落ち着いてきたし』 数日前に蘭からこんなメッセージが届いた。当然、アゲハは困惑した。 確かに、傷が落ち着いたら連絡を入れて欲しいとは言った。けど、今まで受け身だった彼がこんなことを急に言い出したら、誰だって戸惑う。 それに、アゲハは仲介料はほとんど取っていないものの、ブローカーを通さない方がどう考えても得だろう。話を聞いてみると、大学の知り合いらしい。なら、なおさら他人など挟まない方が話がスムーズなんじゃないだろうか。 ただ、そう伝えても蘭は『俺、そういうセッティングとかよくわかんないし、その人もよく知らないらしいから…アゲハにやって欲しいんだ』と、どうしてもアゲハに間に入って欲しいと聞かない。 そんなふうに頼られてしまったら断りづらく、アゲハは『わかった』と返事をせざるを得なかった。 そのことをかいつまんでキリヤに話すと、彼はこれまたにやにやと嫌らしく笑う。 「へえ、なんか…アゲハの方が振り回されてる感じだね。小悪魔って感じ?おもしろ」 「何も面白くないよ」 苛立ってつい声を尖らせてしまう。キリヤはその反応にまたケタケタ笑って「アゲハがイラついてんのもおもしろ」なんて言い出す始末だ。 はあとため息をつく。 アゲハの方が振り回されている。まさにそうだ。 何より居心地が悪いのは、アゲハ自身、自分を無邪気に弄ぶようなあの笑顔が見たい…と思ってしまっていることだ。 小悪魔なんて可愛いもんじゃない。 あれは──毒だ。 これ以上はダメだ。俺が、食われてしまう。頭が警鐘を鳴らしている。 アゲハは、自分が主導権を握れないことが何より怖かった。 「にしても、まだつるんでるんだね。一応ライさんがスズランくんに言ってたんだけどね。アゲハなんかやめとけって」 こう言うことをわざわざ伝えてしまうキリヤのデリカシーのなさ──わざとなのかもしれないけれど、どっちにしろタチが悪い──に、アゲハは肩を落とす。 アゲハとしては、都合のいい綺麗な言葉ばっかり並べる輩よりは幾分かましには思えるけれど、今ばかりはいい気がしない。 ライに対しては、至極真っ当な提案だと思う。彼はいつもそうだ。アゲハは、彼と初めて会った時から愛想が悪く、成長してからもロクでもないことばかりしてる。そんな人間にも優しく接してくれる。ライといると、どうしようもなく居た堪れなくなることがある。 「でもまあ…スズランくん、『考えてみる』なんて言ってたんだけどさ…諦める気なさそうだったけどね、アゲハのこと」 どく、と胸が鳴るのがわかった。それは、恐怖心からくるものなのか、期待なのか。アゲハにはわからなかった。わかりたくもなかった。 「なんで、そんなことわかるんだよ」 喉が渇く。張り付いた感じが気持ち悪い。 「…そのうちアゲハもわかるんじゃない?」 キリヤのねとっとした笑みが、余計に不快感を高めた。

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