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緑蔭のなかで

 深緑(しんりょく)の豊潤な楕円が、巧い具合に襟の上の妹の白い顔、耳の下に黒子を浮かせた首筋、晒された皮膚を隠している。  彼女の心地よい午睡のため、自分の膝と、陽射しを圧し南下したこの納戸色の輪郭は、代えのきかない寝具としてあてがわれたようだ。  微睡みにおちるな、という頃合いは微熱のような体温の上昇から察した。とろみを解きこんだ眼差しが彫りの薄い瞼で塞がり、その前に広げた文芸書が浴衣の合わせの上に落ちる。  蓄熱を携え繰り返す息遣いは、うぶで理性を排した動物の仔にも似ている。幼い時から見てきたそれと変わらない。  (ひる)前から近隣のホテルに併設されたプールへ友人と出かけていき、泳ぎ疲れを軽食でしのいでそのまま過ごす訳でもなく、疲れたと言って予定より早々に切り上げてきたいまは、成人済みの兄の膝の上に寝転んでいる。  付けられた名前のまま、(かえで)が待ち遠しい秋には十八になるこの妹は、浮いた話も容姿と同じく控えめな性質そのままに、一体これで大丈夫なのかと、幾度となく浮かび上がる懸念を(とおる)はまた胸のうちで転がした。  懸念は兄として見護りの本能に拭われる。緑蔭で視覚的にも濃い(あお)の涼に包まれているが、間近に迫る仲夏の照射は汗ばむほどで、 眠りの深さと比例する体温の放熱のためか、立ち昇るいきものの柔らかな微香、妹の耳の上の生え際にうっすらとした湿潤を認め、透はそっと、綿紗のハンカチでそこを押さえた。  梅雨のいとまの、それにしては過剰な水分をはらまない爽快な午後のひとときだった。  聞こえるのは緑蔭と陽光のそよぎのみで、時季を問わず青葉の芳醇な(おお)いをなす別宅の濡れ縁で、妹と揃いの浴衣に帯を結わえ、こうして座していると、 皮膚と同義である筈の都内の日常も、彼方の俗世間のように想えてしまう。  あまりにも穏やかで心地良い時の移ろいに、このまま、妹の午睡を見守りながら、自分も緑蔭の微睡みに溶けてしまいたいような疼きが意識をなぞる。  だが、疼きは疼きでしかない焦燥、焦がれのようなものが今日の透を貫いている。  あと数日経てば、それ自体は特別でも何でもなかった二十歳を、自分は気づけばひとつ超える。  特別は、自分以外に明確に存在する。  数字という記号、年数という物理的因子。その面では彼にようやくひとつ近づいた。  だが、遠い。  昼下がりの海のように常におおらかな彼に対する、渇望という度を超えた己れの濁流が余計彼を遠ざけている気がするし、 いまこうして妹に膝を預け保護者ぶった体裁を繕っているが、 何より、かのひとのひとに対する、圧倒的な包容の豊かさ。慈愛。  温かな羊水に浮かべたように、自分の卑小な鬱屈ごと受け容れてくれる、心許なさをまるで感じさせない、情の深さ。  そこが、いつも敵わない。ひととして。  半身のように触れることを許された、存在としても。  それでも、欲しい。  理性や理屈、種々の道理を超えて、彼の分泌物を少しでも感受するため当たり前に血が巡るように、 ただあのひとに、たまらなくあいたい。  妹を膝に乗せていても、これも放熱かというもどかしさを持て余し、濡れ縁が続く先へ見るまでもなく頸を捻り、幾度めかの目蓋の先をまた伏せる。  あいたい。だが会えば、またこの身は濁流に呑み込まれどうなって仕舞うか判らないという怖れをやり過ごすように鮮緑に目を向け、また純粋な想いに戻る、がかのひとを待つ透のかなしい繰りごとだった。  まだかな。  早く。  ……はやく、来ないかな。

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