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第7話 混沌の境地
季節は秋に変わり、健二が家政夫としてやってきてから半年が過ぎた。紫季たちも小学五年生の後半に入り、塾や習い事に通う友達が増えたことで、子ども同士で遊ぶ時間はぐっと減った。
相変わらず、幼馴染の凛太朗とは時間さえ合えば、どちらかの家で過ごしているが――
ただ、凛太朗は、健二と顔を合わせたのはたった二度きりだ。それ以降は、健二が家にいる月水金には一切姿を見せない。
一度目は、イギリスの推理小説を持ってきた日。二度目は、紫季が熱を出して寝込んだ日に、宿題のプリントを届けに来た時だ。
その後、凛太朗に言われたことがある。
「おまえさ、あの健二って家政夫と……いつも、あんな感じなの?」
その時は、何を言いたいのかよくわからなかった。
「あんなって、どんな?」
ぽかんと聞き返すと、凛太朗は少し間を置いて、目を逸らした。
「……いや。紫季がいいなら、別に」
歯切れの悪い言い方だった。それきり何も言わなくなったが、今思えば、あの時点で凛太朗は、何かを察していたのかもしれない。
その日は父から電話があり、「渋滞で帰宅が遅れる。お風呂や寝る準備まで、紫季のことを見守ってやってほしい」と、健二に一時間の延長を頼んだらしい。
紫季は、少しだけ嬉しかった。
ゲーム時間も今日は特別に延長。健二ともう少し長く遊べると思った。
リビングに座っていた健二が、いつもより柔らかい声で言った。
「紫季くん、こっちにおいで」
普段は横に並んでゲームをするのに、その日は――なぜか、膝の上をぽんぽんと叩いた。
言われるまま、紫季は何も考えずにドカッと腰を下ろした。
健二の膝の上は温かくて、でも少し、どこか落ち着かなかった。
「紫季くんは、本当に可愛いね」
「えぇー?俺、カッコいいって言われたいんだけど」
このやりとりは、何度も繰り返してきたはずだった。
けれど今日は、健二の声が――妙にゆっくりで、耳の奥にまとわりつくような感触がした。
紫季は幼いころから、"可愛い"は、言われすぎてきたのだ。
5年生になって、少しは背も伸びて、ほんのちょっとカッコいいに近づいたと思っても、まだ「紫季ちゃんは可愛いねぇ」といろんな人に言われるのだ。
おまけに、クラスの男子には、「この中にいる女子より、よっぽどおまえのが可愛いぜ?」なんて、揶揄われたりする。
もう、耳タコすぎてウンザリしているのだ。
「健二くんもさ、何をどう見て俺の事可愛いって思うわけ?顔だけじゃん」
「あはは。顔は認めるんだ」
「うん。嫌だけど、認める。俺は可愛い。オムツのCMのオーディションがあれば、絶対受かってたし、今でもよくモデルになればって言われる。別に好きでこの顔になったんじゃないんだけどね」
「……わかってないな……」
「え、なに?」
紫季が聞き返すと、健二は、笑って――そして目線を、紫季の後ろから覗き込むように落とした。
「紫季くん、自分の魅力、ちゃんとわかってないんだね」
「……?」
「僕が教えてあげようか。紫季くんの、本当の魅力」
笑っているのに、その声は、少し低くて、優しすぎた。
背筋に、冷たいものが走った。
紫季は笑い返そうとして、けれど言葉がうまく出てこなかった。
空気が、少しだけ、重くなった気がした。
次の瞬間、紫季は床に押し倒され、健二が覆い被さった。
「健二…くん?」
紫季は両腕を上に持ち上げられ、健二に暴れられないように拘束された。
いつもの優しい健二ではなく、瞳に欲望をちらつかせたギラギラした視線で、紫季は、一瞬で身体中の血の気が引いていくのがわかった。
「あぁぁ…可愛い…なんて可愛いんだろ…この吸い込まれるような切れ長のヘーゼル色の瞳…透き通るような陶磁の肌…」
健二は紫季の額を舌でペロっと舐めた。
そして、右手で顔の輪郭をそっとなぞる。
「鼻も小ぶりで、まだ丸みのある頬…何より、この可愛い上唇…キュッと整ったM字の上唇を見て、何度舐め回したいと思ったか」
そう言うと、今度は健二の舌が近づいてきた。
「ヤダっ!やめて!健二くゔっ…」
紫季は叫んで逃げようとしたが、健二が右手で紫季の口を塞いだ。力の限り、思い切り暴れてもは二十歳の大学生には全く歯が立たず、びくともしない。
「騒いだら首を締める。紫季ちゃんの首、細くてポキっと折れそう」
そう言うと、ニコッと笑い、紫季を見ながらそっと、両手を離した。
紫季は恐怖で固まるしかできない。
「ふふっ。いい子」
健二は、カバンから手錠を取り出し、紫季にはめた。そして、ガムテープで口を塞いだ。
「可愛い可愛いお口は後で沢山キスしてあげるね」
紫季は身動きが取れないまま、健二に覆い被された。
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