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第10話 俺にアオハル……?

 新学期特有のざわつきは、徐々に落ち着きを見せ始めていた。新入生たちもそれぞれの居場所を見つけ、友達グループや部活動に馴染み始めている。  もうすぐ待ちに待ったゴールデンウィーク。廊下も教室もどこか浮き足立った空気が漂っていた。……けれど。  英数科の三年八組──紫季のクラスだけは、例外だった。  早くも受験モードに突入していて、教室には冷たく張りつめた空気が漂っている。  それは凛太朗がいる理数科の三年六組も同じだった。  ──やはり、進学校の英数科と理数科は、世界が違うのだ。   「紫季、一緒に帰ろー!」  校門を出た直後、背後から能天気な声が聞こえた。 (……また、こいつ……。だから、学校で話しかけるなって言ってるだろ……)  紫季は眉をひそめ、振り返らずに歩き続ける。 「えー?無視?ねぇ、紫季さん、無視ってどうなんですか?俺、ちょっと泣いちゃうなー?」  わざとらしく棒読みで、そこそこ大きな声でふざける凛太朗に、ついに堪忍袋の緒が切れた。 「おい!何回言ったらわかんだよ!話しかけんなって言ってんだろ⁉︎」  その声は、通学路にいた生徒たちが振り返るほどだった。 「お前、自分の立場わかってんのか?学年トップクラスの成績、元サッカーのインハイ選手、医者の息子!高身長で、しかも、何故かイケメン枠なんだぞ!?」 「“何故か”じゃなくて“妥当”だろ、そこは」と凛太朗が笑う。 「……目立つ陽キャの代表が俺なんかに構うないか!」  紫季はそのまま早足で歩き出したが、凛太朗は変わらず隣にピタリと並ぶ。足音まで自然に合わせてくるのが、腹立たしくて、でもどこか懐かしくて──。 「ふふ、紫季。素が出てるぞ」 「うるさい」    そのとき。  背後から、女の子の声がした。 「……森くん!」    聞き間違いかと二人して振り返る。  けれど、その声ははっきりと、もう一度呼んだ。 「森くん!」    紫季は一瞬、何が起きているのか理解できなかった。  凛太朗も目を丸くして、ぽかんとしている。  ──なぜなら。  クラスの誰もが、紫季のことを「メガネくん」とか「ねえ、ちょっと」と呼ぶだけで、名前で呼ばれたことなんて、ほとんどなかったからだ。    呼んだのは、同じ英数科の山中真美という女子だった。  バランスの取れた整った顔立ちに、きりりとしたショートカット。  理数科や普通科の男子の間でも評判の、“美人で頭もいい”女子だ。  紫季のように他人に無関心なタイプでも、彼女の存在くらいは知っていた。   「ちょっと行ってくる」  紫季は足を止め、階段を引き返して校舎側に向かう。   「山中さん、どうしたの?」  何か忘れ物でもしたのかと訊ねると──   「……はい、これ」  小さく差し出されたのは、たたまれた便箋。 「ごめん、いきなりで。返事は、また今度でいいから。ちょっと……直接言うの、恥ずかしくて」  頬をほんのり赤く染めて、そう言うと、彼女はピロティの方へ駆けていった。  爽やかな風と一緒に、スカートの裾がふわりと揺れていた。     (……えっ)    手の中に残された手紙と、夕方の光の中で立ち尽くす紫季。  背後では、凛太朗が口を半開きにしたまま、目をまん丸にしていた。 「マジかよ……」と呟くその声も、どこか現実味がなかった。 紫季は状況が理解できず、その場に立ち尽くしていた。  横では、ちょうど陸上部が坂ダッシュを始めようとしていた。 「いっぽーんめー!!」  大きな掛け声に、ふと我に返った紫季は、横にいる凛太朗を見た。——が、そこでさらに驚いた。 (……は?なんで、お前がそんな顔してんだよ……)  顔面蒼白、微動だにせず、ただ紫季を凝視している凛太朗。  その目に浮かんでいたのは、驚きと……不安だった。  紫季はもう、完全にパニックだった。  これまでとにかく空気のように過ごしてきたのに、三年になって突然、女子から告白されるわ、  それを見ていた凛太朗が、まさかの本人より動揺しているわで、もう意味がわからない。 「……っ、凛太朗!帰ろ!」  とにかくこの場から逃げたかった紫季は、勢いで凛太朗の腕をつかみ、無理やりバス停まで引っ張った。   「どうしたんだよ、凛太朗。……なんか、あったのか?」  バス停を見回して、同じ学校の生徒がいないことを確認してから、紫季は声をかける。 「……たのか?」 「は?なに?」 「眼鏡!!外したのかって聞いてんだよ!!」  突然、怒鳴るような大声に、紫季は慌てて凛太朗の口を手のひらでバシッと塞ぎ、そのままバス停のベンチに押し倒した。 「バッカ、声でかすぎんだよ!!外すわけねぇだろ?てか、なに急に叫んだり黙ったり、意味わかんねーし」  紫季は呆れ顔で凛太朗を睨みつつ、ベンチに座り直す。 (……もしかして、こいつ……山中さんのこと、好きだったのか?)  ああ、そういうことか。そうに違いない。  凛太朗は、あまり浮いた話がないなと思っていたけれど、片想いだったんだ。……切ないやつめ。  紫季は妙に納得してから、ニヤニヤと口元をゆがめて、凛太朗に言った。 「おまえ、山中さんのこと好きだったんだろ?だから慌ててんだろ。安心しろよ、俺、あの子とは付き合わないから」  その瞬間—— 「違う!!山中さんじゃねぇ!!そんなわけねぇだろ!!」  凛太朗が勢いよく起き上がり、紫季の両肩をブレザーが皺になるほど強くつかんだ。 「……俺が好きなのは紫季!おまえだ、バカ!!どんな思考したらそうなるんだよ!?鈍チンにもほどがあ、んだろ……あっ……」  口走ってから、凛太朗はハッとしたように青ざめて固まった。   (…………はぁーー??)  紫季の思考も、身体も、すっかり停止していた。

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