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第16話 寝耳に水
「こんにちは。お邪魔してます。突然ごめんなさいね。ほら、あお。ご挨拶して」
「……こんにちは」
リビングに入った瞬間、紫季の視界に飛び込んできたのは、見知らぬ親子の姿だった。
女性は三十代前半くらいで、隣に立つ小さな男の子は四歳ほどだろうか。男の子は人見知りらしく、女性の足にしがみついてこちらをじっと見ている。どちらも面差しが似ており、垂れた眉が印象的だった。
──紫季の思考は止まり、その場に立ち尽くす。
「紫季、こちらが|原 茜《はら あかね》さんと、|葵《あお》くん。親子でね」
父が穏やかな表情で2人を紹介する。頬がわずかに紅潮して、どこか浮ついているようにも見えた。
「じつは……」
父が口を開いた瞬間、紫季は直感的に「聞きたくない」と思った。
次の言葉を、拒否するように耳を塞ごうとした──その時。
「茜さんとはお付き合いしているんだ。再婚も視野に入れてて……」
その言葉を聞いた瞬間、紫季の中で何かがぷつんと切れた。
(……は……なに……?)
理解が追いつくよりも早く、身体が勝手に動いていた。
気づけば玄関のドアを開け、外へ飛び出していた。
(いやだ……)
(なんで今なんだよ……凛太朗……!)
混乱のまま駆け出した紫季は、勢いよく何かにぶつかった。
「いってぇーっ!!って、紫季!?」
ぶつかったのは凛太朗だった。さっき帰り道で交わした「英語の参考書借りる約束」を思い出し、紫季の家まで来ていたところだったのだ。
紫季は尻もちをついたまま、茫然と座り込み、ブツブツと何かを呟いている。
「紫季?おい、どうした?……何かあったのか?」
「おい!!!!」
「……凛太朗……」
凛太朗の声が、紫季を現実へと引き戻した。
その顔は青白く、今にも泣き出しそうなほどだった。
凛太朗はすぐに状況を察し、無言で紫季の手を取り立ち上がらせる。
そのまま、リビングへと戻った。
「お邪魔します……おじさん、どうも」
「あ……凛太朗くん。いらっしゃい……」
場の空気は凍っていた。紫季の突然の退室に、茜も葵も、そして父も明らかに戸惑っている。
凛太朗は居心地の悪そうな空気の中、あえて明るく口を開いた。
「えっと、これは……俺、いて大丈夫っすか?参考書借りに来たら、紫季が顔面蒼白で飛び出してきたから、とりあえず捕まえて戻ってきたんですけど……」
そう言いながらも、紫季の手はしっかり握ったまま。
その温もりが、“大丈夫”と伝えてくれているようで──
紫季はようやく、呼吸を整えることができた。
「ごめんね…ちょっと驚いちゃって。もう大丈夫。……あおくん、だよね?怖がらせてごめんね。父さんも、ごめん。」
紫季は必死に言葉を紡いだ。
「凛太朗、さっきはごめん。もう、大丈夫だから。俺の部屋行って参考書持っていけ。場所わかるだろ?」
そう言って、紫季はダイニングの席についた。
「ほら、みんなも座って?」
4人全員が席についたところで、また紫季はゆっくりと話始めた。
「えっと…なんだっけ?再婚?全然気づかなかったよ。ビックリした。いつするの?」
「紫季…いや、絶対じゃなくて…それこそ、紫季の意見も聞いてから、みんなが納得した形ですごせたら良いなと思ってるんだ。だから、今日は紹介だけしようと思って…」
「そっか。いいんじゃない、別に。俺の許可なんていらないし。父さんの人生だし。俺ももう高3だし……男手ひとつで、よく育ててくれたと思ってる。だから……好きにしたら?」
「紫季!!」
父が勢いよく立ち上がり、机をバンッと叩いた。
紫季の言葉に、父は驚きと怒りを隠せない。
「紫季が無理して納得しようとしてるなら、自分の気持ちを押し殺してるなら……再婚なんて、しない!
それは、茜さんも承知している。紫季が辛い思いをするのは誰も望んでない!そんな、諦めたような話し方をするんじゃない!」
「違うよ。本当にそう思うだけ。父さんに幸せになって欲しいだけだよ。進路はたまたまだよ?迷ってる大学があって、1つ関西なんだ。別に今決めたことじゃないよ。父さんがいいなって思ったって事は、良い人なんでしょ?再婚しなよ。じゃあ、俺勉強あるから上がるね。また今度ゆっくりお茶でもしながら、2人のこと色々聞かせて。えーっと。茜さん?とあおくんはごゆっくり」
紫季は、カバンを持ってそそくさと自室に戻った。
「……おかえり」
「……凛太朗?帰ったと思ってた……」
そこには漫画を読んで寛ぐ凛太朗がいた。
「いや、帰ろうとしたけど、なんとなく…」
紫季は、カバンを放り投げ、糸が切れたかのようにベッドにダイブした。
(………疲れた…)
「お父さん、再婚するの?」
「…ん。そうみたい」
「そうみたいって…おまえ…大丈夫か?」
凛太朗は、ベッドでうつ伏せになり、枕に顔を突っ伏している紫季を心配そうに見つめている。
(……………)
「紫季?」
(……………)
「おい、紫季?」
そっと手を差し入れて、紫季の身体を仰向けにした。
「っ……ぅ……」
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