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第35話 真夏の夜の光と闇
「うん……ありがとう……うちはさ、由希子には言ったんだけど、小学四年で離婚してて。つい最近まで父さんと二人暮らしだったんだよね。でも、最近、再婚して……結構若い義理のお母さんができたんだ。それと、四歳の男の子。二人ともいい人だし、いい子なんだけど、正直まだ受け入れられなくて……」
「……うん」
「ほんとは、俺、すごく恵まれてるんだと思う。家政婦もいたし、父さんは優しいし、進路も好きに選ばせてくれて。予備校も行かせてくれて、茜さんもほんとに優しくて……でも……」
「うん……」
「……なんかさ、元に戻りたいって思っちゃうんだよね。父さんと二人だけの生活に。たまに家政婦の鈴木さんが来て、凛太朗がその唐揚げめちゃくちゃ好きでさ。一緒にご飯食べて、あの頃、穏やかで幸せだったなって……いや、今も幸せなんだけど。でも……」
「……」
「でもさ、凛太朗も凛太朗でさぁ……もう、なんなんだよ!俺、受験生だよ!?なんでこんな悩ませんのー!?わざと!?高三っていうタイミング、わざと選んだ!?ってかさぁ、自分じゃん!?人付き合い頑張れって言ったの!!」
「ちょ、紫季……?」
「自分が“いろんな人と向き合え”とか言ったくせにさ!なんで自分が避けてんの!?意味わかんねー!好きって言ったのそっちじゃん!?こっちも受験生だし!同級生じゃん!?馬鹿なの!?ほんとありえねー!!」
「し、しきぃ? 素が出てるよ……?」
「……え?」
「いや、こっちのセリフだから……」
「え、なに。二人、付き合ってんの?リアルBLってやつ?」
由希子に冷静にツッコまれ、紫季の顔からスーッと血の気が引いていく。
「………………」
「………………」
「っえええええーっ!?」
「いやだから!!驚くのコッチだから!!!!」
「えっ、俺……何口走ってた?何言ってた?」
「な、なんか……“人付き合い頑張れって言ったくせに、なんでお前が避けてんの”的な?」
「めっちゃ喋ってんじゃん俺!!」
紫季は、自分の感情が無意識に口から溢れ出ていたことに気づき、床に埋もれて消えてしまいたくなった。
そんな紫季とは対照的に、女子二人はニヤニヤが止まらない。
「さぁさぁ、紫季くん。飲みたまえ。恋バナの幕開けだ〜」
「いやー、テンション上がる〜!英数科の王子と理数科のイケメンの恋の行方〜!!」
「待って待って……ヤバい、どうしよ……誰にも言ってないし、これ凛太朗にバレたら……」
紫季は自分のバカさ加減に心底うんざりした。
「そんな野暮なことしませんよ〜。秘密厳守します!ね、真美」
「もちろん。さぁ吐きなさい」
「ええええ……強引だなぁ……」
そう言いながら、紫季は「あつっ……」と呟いて、火照った顔を冷やすように眼鏡を外し、ペットボトルを頬と額に当てた。
「えええええー!!紫季!!」
「紫季の素顔!!!!」
「あ、やばっ……」
気づいた時にはもう遅く、紫季は――凛太朗と家族以外の前で、初めて素顔を晒してしまっていた。
「待って、可愛すぎる!」
「やばいやばい、整いすぎてる……!」
「ちょっと近い!近いってば!」
「この造形隠してたの?なんで?なんでなの?」
「可愛すぎ……眼鏡いらないじゃん!!」
女子の勢いに押され、紫季はじりじりと後退するしかない。
凛太朗が彼氏だとバレ、素顔まで晒してしまい、守ってきたはずの壁があっさり崩れ落ちる。このお粗末な展開に、自分でも呆れるほどだった。
「もう、終わり!! 見るなよっ!」
紫季は慌てて眼鏡をかけ直す。
「ケチ〜。国宝級の顔、もっと拝みたかったのに」
「何があったか知らないけど、今さらブツブツ言うやつもいないでしょ?」
(……そうかもしれないけど)
「俺は、大学デビューするから。それまでは眼鏡は外さない」
「大学デビューって……ウケる」
「いやほんと、話せば話すほど面白いよね」
「それな!今までクールぶって一匹狼気取ってたくせに〜」
「おいっ! 言い過ぎだろ?」
気づけば三人で、たわいもない会話に花を咲かせていた。
部屋のテーブルの上には屋台で買った焼きそばや唐揚げのほか、ペットボトルの飲み物やお菓子が散らかっていて、ちょっとしたパーティー状態になっている。
今日だけは、勉強も、家族も、恋人のことも。
頭の片隅にそっと置いて、笑っていたかった。
ドン、と近くで破裂音が鳴る。
大きな窓からは、赤や緑の火の玉が次々に弾け、黒い夜空を一瞬のうちに塗り替えていく。手を伸ばせば届きそうなほど近くで光が広がり、夏の夜に儚い彩りを添えていた。
そんな光景を横目に、三人はひたすら食べて、喋って、日頃の鬱憤を晴らしていた。
「やばっ、もうこんな時間!」
「じゃあ俺も帰る。由希子、駅まで送るよ」
「え、ありがと……優しいじゃん」
「いや、普通でしょ? こんぐらい」
「ひゅ〜〜っ」
(ちょっとしたことでも、いちいち冷やかしてきやがって……なんで俺がイジられ役なんだよ)
紫季と由希子は、人のまばらになった屋台の並ぶ道を歩く。
花火はとっくに終わり、帰りを急ぐ人たちの足音と、遠くで鳴る片付けの音だけが夜道に響く。浴衣姿のカップルがちらほら通り過ぎ、子どもの姿はほとんど見かけない。
祭りの前の賑わいとは違い、空気から熱が抜け、蒸し暑い夜の重たさだけが残っていた。
「紫季。なんかうやむやになっちゃったけど、本当に雨宮くんとのこと、悩んでるなら……相談、乗るからね」
「うん。ありがとう。困ったら、相談するよ」
「そういや、雨宮くん予備校変えたんだね。こないだ〇〇駅で見たんだけど、駅前の予備校入っていくとこ見かけたから」
「えっ……そうなの?」
「もしかして、聞いてない?」
「……うん……」
紫季の鼓動が、どくん、と音を立てるのが自分でもわかる。
(〇〇駅って……今の予備校とは、真逆の方向じゃないか)
信じると決めたはずの心が、またユラリと揺れた。
紫季の中に、ひとつの不安の種が落ちる。その種が芽吹かないように、膨らまないようにと、紫季はまた呪いのように勉強へ没頭していく。
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