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第2話①

「――よし、もうこれくらいでいいかな」  僕はぴかぴかに磨き上げた座敷を見渡し、雑巾片手におおきく息をついた。  しおさい亭は、建物の入り口を入ると左手にはカウンターと厨房、右手には靴を脱いで上がる二十畳ほどの小上がりの座敷がある。その座敷の方の雑巾がけも終わったし、窓ガラスもすべて拭き終わった。あとは部屋の隅に積み上げている座卓テーブルを並べれば開店準備は終わりだ。  明日はいよいよ海開き。この海の家も僕たちも明日から始動だ。 「それにしても暑いな……」  僕は首に巻いていたタオルで汗を拭いて、海の方向へ目をやった。海に面した窓は腰高から天井までの大きなガラス張りになっていて、遠くの水平線まで見渡すことが出来る。  エメラルドグリーンとコバルトブルーが複雑に入り混じった海原は、今日も金色と銀色の宝石を巻き散らかしたかのようにきらきらと瞬いていた。 (――海に入ったら気持ちいいだろうな)     波が引いていくときの感覚を思い出し、足がムズムズし始める。だけど我慢。仕事が優先。  今朝見たテレビの天気予報では、これから一週間晴れが続くと言っていた。明日にはきっと、海水浴客で浜辺は賑わうだろう。 「凪、そっちは終わったかい」  厨房の掃除をしていたばあちゃんが、ひょいと店のほうに顔を出した。 「うん、もうすぐ終わる。そっちは?」 「業者さんが先週掃除していってくれたからね。どこもかしこもぴかぴかだよ」 「良かった、いつも掃除が大変だもんね。業者さん頼んでくれた叔父さんに感謝だね」  僕がそう言うと、ばあちゃんは何が気に入らないのか、はぁとため息を付いた。 「掃除くらい自分で出来るんだけどねえ。お金を払って掃除してもらう贅沢が出来るほど、うちは金持ちじゃないんだよ。まったく豊ときたら……人の話をいつも聞かないで……そんなんだから嫁の|来手《きて》がないんだよ……」  いつもの文句が始まりかけたので、僕は慌てて遮った。 「叔父さんはばあちゃんのことを思って手配してくれたんだから、いいじゃない。楽だったでしょ?」 「それはそうだけど」 「ばあちゃんだって若くないんだから」 「何言ってんだい。あたしはまだ七十だよ。年寄扱いして」 「だけどこの前薬増えたんでしょ?」  薬のことを口にすると、途端にばあちゃんはうんざりとした顔つきになってそっぽを向いた。 「……ああ、そうだ、忘れてた。冷蔵庫の中の拭き掃除もしなくちゃだね」  などと言って、ばあちゃんは僕の返事も聞かずに厨房に戻っていってしまった。  まったくばあちゃんは……。都合が悪くなるとすぐにこれだ。  僕はやれやれと呆れていたが、いつまでも油を売ってはいられない。掃除が終わったら買い出しに行かないといけないのだ。  気を取り直して「よしっ」と僕が座卓テーブルに手をかけたとき、表のほうからのんびりとした呼び声が聞こえてきた。

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