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第3話②

 急いで厨房に向かった僕は、中の光景を見て言葉を失った。  厨房の調理台近くの床に冷やし中華がひっくり返っていて、その前で千里(ちさと)くんが固い顔で固まっている。状況から見るに、どうやら千里くんが皿を落としてしまったらしい。コンロの前に陣取ったばあちゃんが「あ~あ、何やってんだい」とばかりに呆れたように横目で見ている。 「ち、千里くん……? 大丈夫?」  千里くんがはっと我に返ったように僕のことを見た。でもぐっと強い視線でにらむように一瞥しただけで、すぐに視線を逸らされてしまう。 (――あれ。これって、また睨まれた……?)  なんて思わなくもなかったけど、僕はなんとか気を取り直し、千里くんに話しかけた。 「あの……怪我とかない?」  俯いたまま千里くんが頷く。 「それなら良かった。片付け手伝うね」  バケツとちりとりと雑巾を持ってくると、千里くんに無言で奪われた。 「俺、自分でやるから」 「え、手伝うよ? 二人でやった方が早くない?」 「いや、いい」  千里くんはそっけなくそう言うと、しゃがみ込んで片付けを始めた。僕は困惑しながら千里くんの後姿を見つめた。 (これって、放っておいていいのかな……?)  千里くん本人の希望でばあちゃんの調理の補佐に入ってもらったけど、どうやら厨房の仕事は初めてらしく、うまくこなせていないのは明らかだ。せっかちなばあちゃんはいらいらしているようだし、このままだとばあちゃんの嫌味と毒舌が炸裂するのも時間の問題のように思える。 「……あのさ、千里くん、よかったら僕と交換する? 僕が厨房に入るから、接客のほうをお願い出来るとありがたいな」  千里くんははっと顔を上げ、思いっきり眉をしかめた。 (……怖っ)  僕はいそいで口をつぐんだ。店での接客のほうが楽かもしれないと思って提案したことだけど、千里くんの気に障っていまったらしい。  どうしようかと困っていると、ばあちゃんが助け舟を出してくれた。 「こっちはあたし一人で大丈夫だから、千里くんと凪は店の方に行っといで」  ばあちゃんの言葉を聞いた千里くんが、眉を寄せて口を開きかける。でもばあちゃんがもう一言を付け加える方が早かった。 「もうお客さん引いてきただろ? 昼どきも過ぎたし、もうあたしだけで捌ききれるよ。ほら、行きな」 「……わかりました」  床を片付け終わった千里くんが仕方なさそうに頷いた。項垂れるようにして立ち上がり、厨房を出て行く。  その背中が意気消沈しているようだったが、声をかけるのを躊躇してしまう。きっと僕なんかがフォローの言葉を言っても、千里くんは喜ばないどころかむかつくだけかもしれない。  ため息を飲み込んで、僕は千里くんを追って厨房を出る。千里くんは出入り口の近くで僕を待っていた。 「何すればいい?」  不機嫌な声だ。僕とは視線を合わせようともしない。「それじゃあ、空いてるお皿さげてください」と言うと、小さく頷いて大股で座敷の方へ歩いていく。 「……はぁ」  さっきは我慢できたため息が今度は我慢できなかった。  初日からとげとげしかった千里くんの態度は、海の家で一緒に働き始めてから数日経っても和らぐことはなかった。  話しかけてもそっけない返答ばかり。  しゃべるときも視線が合わない。  かといって全くこちらに対する興味がないのかと思えばどうやらそうではないらしく、よく千里くんからの視線を感じる。でも振り向いてみても、睨まれるか視線を逸らされて終わりなのだ。  豊叔父さんやばあちゃんとは普通にコミュニケーションが取れているようなので、目つきが悪いとか、人見知りだとかそういう話ではないみたいだ。  そっけないのも僕限定。気に入らないのも僕限定ってことかな。ああ、なんて理不尽な……!  若干しょんぼりとして店の方に戻ってみると、食事のお客さんはほとんど帰っていた。座敷に十ほど並んだ座卓テーブルの海側の一番奥の席で、おばあちゃんと孫らしき男の子がのんびりとかき氷を食べている。時計を見るともう一時半。ばあちゃんの言うとおり、もうお客さんは入ってこなさそうだ。  お客さんが帰った後のテーブルの片付けは千里くんに任せて、僕がレジ前に立った。ランチタイムの売り上げを計算し、少なくなった小銭をレジに出していると、蓮さんがこちらにやってくる。

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