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第3話③

「やっと落ち着いてきたね」 「ですね。お疲れ様です」  蓮さんは疲れた〜とレジ横のカウンターに突っ伏すと、顔だけをあげ、笑顔でこちらを見上げてくる。 「俺こっちに来てから、すげー日焼けしたよ。見て、色の差やばいよね」  蓮さんがTシャツの袖を捲って見せてきた。上腕部分の肌がくっきりと二色に分かれている。 「ほんとだ……焼けましたねえ。というか、僕も負けてませんよ」  Tシャツの裾を捲り掛けたが、僕の場合は年中日焼けしていて分かりにくいかもしれないと思い直し、着ていたハーフパンツの腰の部分を少しだけずらして見せた。  「わー、ほんとだ。ってか腰、白っ!」と蓮さんが驚いたような声を上げる。 「あ、そういえば凪ちゃんって、この近くに住んでるって聞いてけど、家どのへん?」 「あ、……はい。そこの坂道のぼって左に曲がってすぐそこにあるんですけど――」 『凪』  話を続けながらも、蓮さんのその呼び方に、僕はまた一瞬だけモヤっとしてしまった。初日から蓮さんは僕のことを『凪ちゃん』と呼ぶ。それが実は引っかっていたのだ。  確かに僕は身長も小さいし、友達からも目が垂れてるとか眉が垂れてるとか女顔だとか良く言われるけど、立派な高校二年の男だ。ちゃん呼びは勘弁して欲しい。  ……とは思うものの、僕にそんなことを言い出す勇気があるはずもなく、ひたすら気にしないようにしていた。だってわざわざ言い出して空気を悪くしてもしょうがないし――。 「蓮」  そのとき唐突に声を掛けられ、僕と蓮さんは顔を上げた。千里くんがお盆を持ったままこちらを見ている。 「ん、何? 千里」 「その『凪ちゃん』っての辞めろよ」 「え?」  千里くんはちらっと僕の方に視線をよこしてから、蓮さんを睨みつけるように見た。 「馴れ馴れしいし、おかしいだろ。男だぞ」 「そりゃ凪ちゃんは男だけど……」  蓮さんは戸惑った顔をしていたけど、急にはっとして俺の顔を見た。 「もしかしてちゃん付で呼ばれるの嫌だった!?」 「あー……いえ、僕は」  確かに嫌だったけど、嫌だと言ってしまえば角が立つ。なんとも言えずに困っていると、千里くんがはっきりと言った。 「嫌に決まってんだろうが。高2の男だぞ」 「そっか、よく考えてみりゃそうだよな……。ごめん、凪くん!」 「あ、いえ。大丈夫です! ほんとに」  気にしないでくださいと笑顔で答えると、千里くんが今度は僕の方にぎろりと鋭い視線を寄こしてきた。 「お前もお前だ。なんで嫌だって言わねえんだ」 「……え……」  僕は驚きに思わず息を止めた。急所に尖ったものを突き付けられたように、胸のあたりがひやりとしたのだ。そんな僕に構いもせず、千里くんは容赦ない言葉を続ける。 「嫌なことは嫌って言えよ。言いたいこと呑み込んで我慢してても、ずっとそのままだろ」  千里くんは怒ったようにそう言うと、空いた皿を下げに厨房の方へとさっさと歩いていった。 「おい千里っ、ちょっと待てよ! なんだよ、その言い方は!」  蓮さんが怒ったような顔で千里くんを追いかけていく。  ひとり取り残された僕は、茫然とふたりの後姿を見つめることしかできなかった。  (え、なに、今のって――)  千里くんに言われた言葉を反芻すると、今になってじわじわとショックが胸の中に広がっていく。  千里くんの瞳が映していたのは、間違いなく怒りだった。あんな言い方をされるほどに、彼をイライラさせてしまっていたのか。 「――凪くん」 「えっ」  突然横からそっと伺うような小さな声がして、僕ははっと我に返った。|蒼佑《そうすけ》さんが申し訳なさそうな顔をしながら僕の側にやって来る。 「千里がきついこと言ってごめんね」  千里くんたちとの会話を聞いていたのだろう。僕は慌てて首を振った。 「いえっ、そんな蒼佑さんが謝ることでは……! ……それに、たぶん僕が悪いので」  ようやく千里くんのそっけない態度や鋭い視線の理由が分かった気がした。僕のはっきりしないところが、今までずっと千里くんを苛立たせていたのだ。   「凪くんが悪いわけないよ。そんなこと言わないで」 「でも……」  さっきはきつい言い方の方に驚いてしまったけど、よくよく考えれば千里くんの言っていることはもっともだとも思う。出来る出来ないの問題はあるけど、正論だ。  僕が何も言えないでいると、蒼佑さんは困ったように大きなため息を吐いた。そして「千里を庇うっていうわけじゃないんだけどね」と前置きをして、小さな声で話し始めた。 「千里ね、今はあんな感じなんだけど、昔は本当に大人しくて言いたいことは何にも言えないような子供だったんだよね。ご両親が厳しい人だったから仕方ないんだけど……。いつも言いたいことをのみ込んで、俯いてばかりいたから、俺も蓮も結構心配してたんだよ。でも小学校に入ってしばらくした頃から段々強くなっていって、今では強くなりすぎちゃった感じではあるけど」 「そう、なんですか……」  意外だった。あの千里くんにもそんな頃があったのか。 「だからと言って、凪くんにあんなことを言うのは良くないと思うけど」  本当にごめんね。ともう一度謝った蒼佑さんはとても優しい顔だ。その優しい雰囲気に癒されて、僕は少し肩の強張りが和らいだ。 「もう、いいです。別に怒ってもいませんし」 「凪くんは優しいね」  誰よりも優しい顔で笑いながら、蒼佑さんが言う。 「あんな態度取ってるから信じられないかもしれないけど、千里はここにくるのも本当に楽しみにしてたんだよ。凪くんとも仲良くしたいと思ってるだろうし」  そうなのだろうか。仲良くしたかったら、あんなに睨んでこないし、あんなことも言わないと思うけれど……。 「だから千里のこと嫌わないでやってくれないかな。凪くんさえよかったら、仲良くしてやって欲しい。もちろん無理のない範囲でいいから」 「……わかりました」  僕は小さく頷いた。年上の蒼佑さんに頼まれたら、そう答えるしかない。  だけど……と僕は思う。  仲良くすることは難しいかもしれない。一度『苦手だな』と思ったことをひっくり返すのはなかなか至難の業だ。  それに僕には、千里くんが僕と仲良くしたがっているとは到底思えなかった。

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