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第4話①

 午後の三時を過ぎるとだんだん海水浴場のお客さんは帰り支度を始め、四時を過ぎると浜辺の人の姿はまばらになり、駐車場が閉まる五時には完全にひと気がなくなる。  そうなれば海の家は閉店だ。  昼間の喧騒が嘘のように静まり返った海の家で、僕はぼんやりしながら座敷に掃除機をかけていた。 (……あと……何すればよかったんだっけ……)  土間に箒掛けをして、テーブルを最後にアルコールで消毒して……そうすれば今日の僕の仕事は終わりだ。それなのにさっきからあまり作業は進んでいない。  こんなときに活を入れてくれるばあちゃんは町内会の集まりに出かけていて不在なので、余計に気が抜けてしまう。しゃきっとしなくちゃと思うのだけど、またすぐに思考は数時間前の出来事に戻ってしまうのだ。  それもこれも、数時間前に千里くんに言われた言葉が原因だ。 『嫌なことは嫌って言えよ。言いたいこと呑み込んで我慢してても、ずっとそのままだろ』  あの言葉がこれほどまでに胸に突き刺さっているのは、自分でも自覚があったからだ。  言いたいことが言えずに言葉を呑み込んでしまったり、相手に遠慮してしまい嫌なことでも嫌だと言えなくなってしまったのは、一体いつからだっただろう。  父さんと母さんが生きていたころは、『凪は本当にわがままなんだから』とよく苦笑されていた記憶があるので、たぶんばあちゃんと二人で暮らすようになってからだ。  父さんと母さんが車の事故で亡くなったのは、僕が七歳のころだ。父さんの運転する車が、雨でスリップしたトラックと正面衝突したのだ。  当時は両親の死を上手く理解することが出来なかったし、その頃の記憶はあいまいだ。気が付くと父さんたちと暮らしていた東京のマンションを離れて、ばあちゃんの家で一緒に住むことになっていた。  母さんに甘やかされて育ったわがままな僕に、昔気質のばあちゃん。周りには海と山だけ。ゲームもない、お菓子もない、父さんも母さんもいない。ないない尽くしの生活で、当時の僕はかなり暴れた記憶がある。 『辛抱しな、凪、辛抱するんだ』  暴れて泣きわめく僕を抱きしめながら、ばあちゃんは悲しそうによく言っていた。その言葉は僕の胸の中に静かに積み重なっていき、そして僕の身体の隅々まで染みこんでいったのだろう。  こうして僕はいつからか、寂しさを感じるたびにぐっとこらえ、感情に蓋をするようになった。  自分の感情をそのまま出さないように。  出来る我慢はして、ばあちゃんや周りの人に迷惑をかけないように。  それが僕の生き延びていく術でもあった。  だからと言って『我慢を強いられた』などとばあちゃんを恨む気持ちは微塵もない。  辛抱しなくては生きていけない状況だったし、きっとばあちゃんは僕以上にたくさんの我慢をしていたに違いないのだから。  だけど……今日千里くんに言われて気が付いてしまった。僕はずっと、あの言葉に囚われている。 (だとしても、僕はどうすればいいんだろ)  今さら自分を変えることなど出来そうにもない。というか、本当に変わる必要があるとも思えなかった。  僕は掃除機を放り出し、海に面した窓の近くに寄った。ひと気のない浜辺を見つめ、ため息を付く。  いつも海を見ると、悩みや嫌なことが吸い込まれるような気がしていたが、今日ばかりはその効能もきかないようだ。  はあ、ともう一度大きなためいきを吐いたとき、店の横の駐車場から砂利を踏む車の音が聞こえた。  

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