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第5話②
「それにしても大学かぁ……どんなところなのかなぁ……想像もつかないなぁ」
つぶやいた僕に、千里くんが首を傾げた。
「え、凪って大学行かねえの? 専門学校?」
「ううん、どっちも行かないよ。高校卒業したら、そのままおじさんのペンションとばあちゃんの海の家を手伝うつもり」
そうなのか、と千里くんがきょとんとしている。
高校を出てすぐに就職する人は、進学校に通う千里くんのまわりにはあまりいないのかもしれない。でもこのあたりの田舎では珍しいことではない。現に僕の通う高校では、就職と進学の割合は半々くらいだ。
「千里くんは進学?」
「おう。俺は地元の国立大目指してる。親には反対されてるけど」
「反対? なんで?」
「あ~、俺の親さ、弁護士なんだよ」
「えっ、弁護士さん? すごいね!」
僕はすっかり驚いてしまった。
雰囲気や持ち物から、千里くんはもしかしたらリッチな育ちなのかなと思ってたけど、予想以上だった。両親がそろって弁護士って……サラブレッド中のサラブレッドって感じだ。
「親は俺に東京の大学の法学部に行ってほしいみたいだけど、俺はどうしても地元の大学に行きたくて。地質学の勉強したいんだよ」
なんでも志望の大学には著名な教授がいて、その人の『ゼミ』というものに入りたいらしい。
「へえ……千里くんのお父さんもお母さんも、千里くんもすごいなあ。違う世界の話って感じがする」
大学生の蓮さんや蒼佑さんといい、両親が弁護士で進学校に通う千里くんといい、なんだか眩しすぎて遠くに感じてしまう。
「別にたいしたことねえよ。すごいのは親であって、俺がすごいわけじゃねえし……てか俺はどっちかっていえば落ちこぼれだ」
「えっ?」
落ちこぼれ、という言葉に僕は驚いてしまった。
「千里くん……あんなに頭いいのに?」
僕は本気で言ったのだけど、千里くんはちいさく笑っただけだった。
「昔から親の求めるレベルには届かないんだよ。一応頑張ってみた時期もあったんだけど全然だめで、中学受験も落ちるし、高校受験も親が通わせたがってたとこはことごとく落ちるし」
そう言うと、千里くんは遠くを見るような顔つきになった。
「まあ……なんて言うか……器が違うってのかな。悩んだ時期もあったけど、今は自分は自分でやるしかねえなって思ってる。……それに昔、お前に『どれだけ自分のことが気に入らなくても、自分から逃げることは出来ないんだぞ! 逃げずに自分と闘え!』って発破かけられたこともあるしな」
ええっと大きな声が出てしまった。
「まさか……昔いっしょに遊んだっていうときの話?」
「そうそう」と楽しそうに千里くんが頷く。
「う、嘘だよね。僕がそんなこと言ったなんて」
「マジだよ。だってそのころから俺の教訓にしてるもん。『逃げずに自分と闘え!』ってな」
けらけら笑いながら千里くんが言う。
「ええぇ……」
マジですか昔の僕……。
そんなに偉そうなことを言っていたなんて信じられないし、黒歴史過ぎて居たたまれないほどに恥ずかしい。だけど目の前で笑っている千里くんの顔を見ていると、だんだんどうでもいいような気持ちになってきた。
「んで、お前は?」
「え?」
「本当はどうしたいの?」
右手で片頬をついた千里くんにまっすぐに見つめてくる。僕はきょとんと見返した。
「さっき大学の話をしてるとき、すげえ羨ましそうな顔してたけど」
どきりとした。だってその通りだったから。というか前から思ってたのだけど、千里くんは観察眼が鋭すぎじゃないだろうか。
誤魔化そうとしてもすぐにばれそうだ。僕は観念することにした。
「別に海の家を継ぎたいって言ってるのが嘘なわけじゃないんだ。僕、この土地が大好きなんだよ。入浜の海が好きだし、しおさい亭が大好き。だから継ぎたいっていうのは僕のほんとの気持ち。……まあ、大学の話を聞いてると、いいなあって思うこともあるけど――」
ここから先は、誰にも言ったことのない本音だった。
言っていいのかな、と少し迷う。だけど聞いてもらうなら千里くんしかいないなぁ、と思ったら心が定まった。
「あのね、頭のいい千里くんにこんなこと言ったらあれなんだけど……、僕、結構勉強好きなんだ。知らなかったことが分かったときとか、知識と知識が結びついたときとかすごく嬉しくなって、世界の『核』みたいなものに触れたような気になるんだよ。世界って広くて深いんだなあって感動する。大学にいけばもっと勉強できるだろうし、絶対楽しいとも思うんだけど……でも、うちは親いないし。大学に行くお金なんてないし……」
自分の言葉が妙にはっきりと響いて僕ははっとした。途端に罪悪感が込み上げてくる。慌てて取り繕うように誤魔化し笑いをした。
「あっ、でも大学なんて僕には関係のないことっていうか、遠い話って言うか。本当に大学とかに行きたいなとかは全然思ってないんだけどね!」
「いいんじゃねえの、別に今決めなきゃいけない話じゃないだろ」
「……え」
「悩めばいいんじゃん。自分がどうしたいか、どう出来るか、時間かけて考えりゃいい」
「そっか、――そう、だよね」
千里くんの言葉がふっと心の中の深いところに入ってきた。
そうか、その通りだ。今までは考えちゃいけないと思っていたけど、そんなはずはない。考えたり想像したりすることだけは自由なはずだ。うん、と僕はもう一度頷いた。
「逃げずに自分と闘えってやつだね」
「ん~微妙に使い方が違うような……」
「いいでしょ別に。もともとは僕の言葉じゃん。勝手に使ってるのは千里くんの方でしょ」
「お、言うようになってきたな? わがまま女王凪くんの片鱗が見えた」
「もう、何だよそれは!」
二人で言い合いをして笑っていると、「凪」とばあちゃんが厨房から顔を出した。
「あ、ばあちゃん」
ばあちゃんは座敷の方まで歩いて来ると、おもむろにラムネの瓶を二本差し出してきた。
「さっき蓮くんと蒼佑くんにもやったんだよ。あんたたちもお飲み。夏はラムネって昔から決まってるからね」
「わ、ありがとう……!」
ラムネの瓶はきんきんに冷えていた。礼を言って受け取ると、ばあちゃんはテーブルの上に広げた宿題と千里くんの顔、それから僕の顔を順番に見て、「良かったね」とぼそっと言った。
「え?」
「いっしょに宿題が出来て良かったね。いっつもあんた、そこの席で一人で宿題してただろう。外で遊んでる人たちを羨ましそうに眺めてさ」
僕は思わず黙り込んでしまった。この座敷で一人で宿題していてときどき寂しい気持ちになったのも、外で遊んでいる学生を見て羨ましい気持ちになってしまっていたことも、本当のことだった。でもそれをばあちゃんに気づかれていたとは、思いもしなかった。
「今年は千里くんがいて良かったね」
「……う、うん」
ばあちゃんはそれだけを言うと踵を返し、厨房の中へと消えていった。
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