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第7話②
「良かった……。ほんとに……良かった」
安心した途端、僕の目からはぽろりと涙が転がり落ちた。
一度あふれたものは止まらない。次から次へとこぼれた涙は、やがて嗚咽をつれてきた。
「ばあちゃん……死んじゃうかと、思っ、て……怖かった……」
ひっ、ひっ、と息が引きつる。
「僕には、ばあちゃんしか、……いないから、……ばあちゃんだけだから、……い、いなくなったら、どうしようって……怖くて」
「凪……」
隣の千里くんが戸惑ったような声を出す。
「……ごめん、っ、なんか……ごめんね……」
親戚でもないし僕の家の事情も知らないのに、いきなり叔父さんに病院に連れてこられたのだから、戸惑って当たり前だ。
僕は深呼吸を何度か繰り返して息を落ち着け、今度はちゃんと千里くんに向かって話しかけた。
「僕ね、七歳頃に両親を事故で亡くして……東京からこっちに引っ越してきたんだ。ばあちゃんが引き取ってくれて、それからばあちゃんが育ててくれて」
嗚咽まじりの聞きにくい声だろうに、千里くんは息を殺すようにじっと聞いてくれている。
「ずっとばあちゃんに苦労させてたくせに、僕はばあちゃんのために何も出来てない。全部受け取るだけで……何も返してない。それどころか……大学なんて、贅沢なことを考えて……罰が当たったのかな。おかしいよね、罰なら僕に当たればいいのに……なんでばあちゃんに当たっちゃったかな……」
「それは違えだろ」
ずっと黙って僕の話を聞いていた千里くんが、ぽつりと言った。
「罰だなんて、そんなことあるはずがねえ」
怒ったような固い声だった。恐る恐る見上げた僕の顔を、千里くんは強い視線で見つめてくる。
「なんでやりたいことをやりたいって思うだけで、罰があたらなくちゃいけねえんだ?」
「それは……」
「美千代さんは昨日、俺に言ったぞ。『今度、凪を大学に連れてってやってくれ』って。お前が大学に興味持ってることだって、行けたらいいなって思ってることだって、とっくに気が付いてたんだよ。美千代さんの目は節穴なわけがないだろ」
「え……?」
気が付いていた? ばあちゃんが?
「大事な相手がやりたいって思ってること、応援したいと思うのが普通だろ。欲しいものを手に入れて、笑ってて欲しいだろ。お前が美千代さんを思うように、美千代さんだって、お前に幸せでいてほしいって思ってるに決まってんだろうが」
「千里くん……」
その言葉に、ぽろぽろと新しい涙が自然と流れ始めた。
「僕、ばあちゃんに、会いたい……」
そうつぶやくと、千里くんは腕を伸ばしそっと抱き寄せてくれた。
不器用だけど優しいその腕に、僕は身を預けた。こつん、と千里くんの肩におでこが当たる。
「すぐ会えるって。大丈夫だ」
すぐ近くから聞こえる千里くんの声はいままで聞いた中で一番優しくて、そして身体から伝わってくる体温は甘い。
ふっと汗と制汗剤の混じった匂いがする。どこか海の似た匂いを嗅いだ瞬間、背骨を甘やかな泡がふつふつ上ってくのを感じた。心臓がゆっくりと、でも確実に速度をあげていく。
「……千里くん……」
(この感情って……なんだろう……。わかんない……わかんないけど……)
疲れ切った頭ではこれ以上考えることが出来なかった。
(友達なんだもん、今だけは甘えていいよね……?)
誰かに向けたかわからない質問に、当然答えは返ってこない。
まあいいや、と僕は額を千里くんの肩に擦り付け、温かな彼の腕の中で目を閉じた。どく、どく、と心臓の音がする。
そのとき目の前の扉が再び開いた。中から看護師さんが出てくる。栗色の髪の毛をまとめた若い看護師さんに見覚えがあった。救急車でこの病院に乗り入れたとき、初めに対応してくれた人だ。彼女も僕の顔を覚えていたらしく、こちらに歩み寄ってくる。
「天ケ瀬さんの意識、戻りましたよ。それで『ナベは無事か』って騒いでるんですが……なんのことだかわかります?」
「ナベ?」
僕は「あ……」と目を見開いた。
「今朝倒れたとき、ばあちゃん、厨房でラーメンの出汁をとってて……たぶんその鍋のことかと……」
看護師さんがきょとんと目を瞬く。
「ラーメンの出汁の鍋、ですか?」
「はい、ラーメンの出汁の鍋……」
目が覚めて一番の心配事がそれとは……。
「すげえ、やっぱり美千代さんは美千代さんだな」
千里くんが心底感心したように言い、僕らは顔を見合わせて茫然とし……それから思い切りふきだしたのだった。
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