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閑話休題
木元コウタは珍しく悩んでいた。
「トワ、どうしても無理か?」
「あぁ、今年は無理」
「じゃあ、俺は誰と楽しい夏の思い出を作ったらいいんだよ!ぼっちで一ヶ月間過ごせと??俺たち心の友だろ!?」
「楽しい思い出って……お前も受験だろ?遊ぶ暇があるなら家で大人しく勉強したらどうなんだ?」
「家かぁ……」
木元は大袈裟にため息を吐いてみせたが、彼の「心の友」は全く取り合ってくれない。
去年の夏休み、彼は「合宿」と称してトワの家に入り浸っていた。
意外と放任主義でなんでも揃っているトワの家は実に快適で、その上「心の友」が宿題を手伝ってくれる最高の避暑地だったのだ。今年もその最高の避暑地でトワと高校最後の思い出を作るつもりだったが、予想外なことに、あっさりと断られてしまった。
「そんなに誰かと過ごしたいなら糸村と遊べばいいだろ?」
「えー、アイツが泊めてくれると思うか?トワみたいに俺の勉強の面倒をみてくれると思うか??絶対無理だよ!!」
「じゃあ、家でひとりで過ごせ」
「だから家は嫌なんだって!!」
「それなら糸村に頼むんだな」
「うぅ……」
唯一と言っても過言ではない、ずっと連れ添ってきた心の友にあんまりすぎるだろ!
……っても、俺たちは別に幼馴染なんて大層なものではない。高校入ってからの仲だし、なんなら最初はトワと友達になるなんて毛ほども思っていなかった。
きっと、あの雪の日の出来事がなかったら、俺とトワはただのクラスメイト、良くて友達止まりだっただろう。
◇
一条トワの第一印象はこうだった。
お高くとまってるいけ好かない奴――
恵まれた名家のおぼっちゃまなのに、いつも「自分かわいそ〜」って顔して、自分は他の人間とは違うって思ってそうな感じ。
……今思うと、我ながら最悪な思い込みだ。
盛大に体調を崩したおかげで迎えてしまった二度目の高校一年の春、木元は一条トワと出会った。
隣席のひとつ歳下のクラスメイトは、いつも陰鬱とした雰囲気を漂わせ、自分とそれ以外の人間の間に一線引きたがっているように黙り込んでいる。いつもの如く「誰も話しかけるな」と無言の圧力を放ちながら、小難しいタイトルの文庫本を読みふけってる彼の肩をポンと叩き、木元は口を開いた。
「よっ!俺コウタ、木元コウタ!」
「……?」
「いや、名前!お前なんていうの?」
「自己紹介、この前しただろ?聞いてなかったのか?」
「あんなたった一回の自己紹介でクラスみんなの顔と名前なんて覚えられないだろ?せっかく隣の席になったんだから、ちょっとくらい情けをかけてくれてもいいんじゃないか?」
隣席の彼が、切れ長の目をスっと細め、実に整った顔に呆れた表情を浮かべる。そして、ため息をひとつ吐き、気だるそうに口を開いた。
「……トワ」
「何トワっていうんだ?苗字は?」
木元がそう言うやいなや、トワは眉間に深くシワを寄せ、小さく舌打ちをし、そのままふいとそっぽを向いてしまった。
なんだコイツっ!!
こんな出会いだったんだ。印象最悪になるに決まってる。
しかし、いつも一人でいる彼を見ていると、どうしても木元家の長男の血が疼いてしまう……
結局、周囲を拒絶し、ぼっち街道まっしぐらな彼をそのまま放置することもできず……木元はいつの間にか「二人組を作ってください」と言われたら、真っ先にトワの手を取るポジションにいた。
いつも彼といっしょに過ごしているうちに気付いたことがある。
アイツは意外なことに、お育ちの良いおぼっちゃまだというのにジャンクフードの方が好きだし、口が悪い。そして、周囲に無関心なように見せているけど、ちゃんと自分の周りのことを見ているし、面倒見がいい。
全部あのぶっきらぼうな態度で台無しになるけど……
そんな不器用な彼が、自分に対して打ち解け、年相応の態度を取ってくる様はなんか可愛らしい。まるで歳の近い弟ができたようで、同じことの繰り返しで退屈なはずの高校生活が一気におもしろくなってきた。
◇
トワに対する認識が大きく変わったのは、高校一年の冬。その年の初雪が降った日だ。
この日は、外部講師を招いての生物の特別授業――第二の性に関する初めての授業があった。広く暖房の効いた講堂に同級生たちが集められたせいで、人口密度が高く、酸素の薄いこの空間は次から次へと生徒たちを夢へと誘っていった。
かく言う木元自身も重たいまぶたを必死に持ち上げ、容赦なく襲いかかってくる睡魔と戦っていた。そしてしばらく船を漕ぎながら必死に耐えていたが、そろそろ一人で抵抗することに限界を感じた木元は隣の席のトワにチラリと視線をやった。
ははっ、トワも同じじゃん!
隣席の戦友も抗いがたい眠気に襲われているのか、ぐったりと机に突っ伏している。
「トーワ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で呼びかけながら、規則正しく上下する彼の背をツンツンとつつく。
「ねぇ、トワってば」
「?」
何度かつつくと、ようやくトワが気だるそうに頭を動かした。のそのそとこちらに向けられた彼の顔は、眉間に深い皺が寄り、いつも以上に難しい顔をしている。眠いというよりは、どこか具合が悪そうだ。
「トワ、具合悪いのか?」
木元の問いかけには答えず、トワは再び机に顔を伏せた。そんな彼が心配で眠気が吹き飛んでしまった木元がしばらく彼を観察していると、トワは徐に立ち上がり、席を外してしまった。
「っ!?おい!!」
トワの制服の裾を掴もうとしたが、木元の手をスルリと躱す。彼はそのままスタスタとどこかへ行ってしまった。
◇
教室にはいない。
保健室にも見当たらない。
下駄箱にはまだ靴があるな。
結局フラリとどこかに行ってしまったトワを大人しく待っていることもできず、木元もこっそりと授業を抜け出してしまった。具合の悪そうな彼が行きそうなところをとりあえず探してみたが、彼の姿は見つからない。しかし、靴はあるから帰ってはいないようだ。
「アイツ……どこかでぶっ倒れてたりしないよな」
ガランと人気のない廊下に、木元の足音だけが響く。手当り次第校舎内を見て回り、再び一年生の教室が並ぶ廊下に戻ってくると、男子トイレから水の流れる音がする。
「ん?」
チラリと覗くと、こんなに寒い日にも関わらず手洗い場で顔を洗っている男子生徒がひとり。バシャバシャと何度か顔を洗い、その生徒が頭を上げると、とても良く見慣れた後ろ姿。
「あっ!」
反射的に彼の名前を呼ぼうとしたが、鏡に映る彼の姿を見て、その声は喉の奥へと引っ込んでしまった。
いつもきちんと結ばれたネクタイをだらしなく緩め、第一ボタンまで留められているはずのワイシャツのボタンは寛げられている。襟元から覗く彼の首筋は、外でしんしんと降り始めた雪のように、真っ白で血の気がない。
まだ水の滴る顔を、袖を肘まで捲った腕で乱暴に拭うと、鏡が彼の顔を映し出すと、鏡の中の彼がほんの一瞬顔を顰めた。そして――
バンッ
静寂の中に突然響く衝撃音。鏡には関節が白くなる程に強く握りしめられた拳が打ち付けられていて、その拳は次の瞬間には力が抜けたように鏡の上から滑り落ちる。そして鏡が再びトワの顔を映した。
拳の下から再び現れた「彼」の双眸が纏う、見慣れない輝き。まるで、小さい頃におばあちゃんがくれた甘いけどちょっとほろ苦い、黄色い宝石みたいな飴をお日様に翳した時のような輝き。
見慣れないけど、どこか懐かしく温かなその瞳。
……確か、さっきの特別授業で講師が見せたスライドにあった写真の「ハルツ」と呼ばれていた人たちとよく似ている。
そんな「彼」の琥珀色の瞳を見て、木元は色々なことが腑に落ちた。
「彼」の毛嫌いする大層な苗字
その大層な苗字とはアンバランスな、時々垣間見せる「彼」の立ち居振る舞い
そして、誰よりも周囲のことを気にかけているのに、いつも暗い顔をして自分の周りに一線引いてしまうそんな「彼」の言動
木元の中のパズルのピースがカチリと音を立てて嵌った。
一年間休学していたことを言えない自分と同じように、彼にも言えない、言いたくないことがあったんだ……
彼もまた、自分と同じだったのか……
「トワ……」
思わず彼の名前を口にする。ほとんど声にならない声だったにも関わらず、トワがその音に気付いたようにピクリと反応した。
声をかけようとしたものの、今まで自分の見てきた「トワ」が、大人たちに与えられた型の中に押し込められて作られた姿のようで、今の彼にかける言葉が上手く見つけられない。
まだこちらに背を向けているトワに気付かれないように、木元は逃げるようにしてその場を静かに後にした。
◇
あの日から、トワに対する認識は確かに変わった。
だからといって何か特別なことをするつもりはなかった。付き合い方だって、別に変える理由もない。
トワはトワのままだし――俺たちは、今まで通り良き隣席の友達だ。
もし、何か話したいことがあるなら、いつかトワの方から言ってくれるはずだし。言わないってことは、たぶん、俺にはまだ話すタイミングじゃないってことだ。
踏み込みすぎず、でも放っときすぎず。
困ってそうなら手を貸すし、放っておいてほしそうなら、放っておく。それが、きっと自分たちにとって丁度いい距離感なんだろう。
――そんなふうに、ちょっとだけ大人ぶった距離感のまま、高校三年になった。
多少環境は変わったとはいえ、俺とトワは相変わらず隣の席でいつも通りだった。だから今年の夏休みも、もちろん、トワの家に入り浸るつもりだったんだけど……
「今年は無理。遊ぶ暇があるなら家で大人しく勉強したらどうなんだ?」
いや、そこ断るか!?
あの手この手でトワを懐柔しようとするものの、全く首を縦に振ってくれない。終いには「糸村に頼め」と言い出す始末。
確かにアイツも良い奴だけど……
トワの家にいる時程はだらけられないだろう。
どうしてこんなことになったのか木元なりに考えてみると、思い当たる節がない訳ではない。
「じゃあ……家のことか?」
多分これのせいだ。
ゴールデンウィーク前、やたら顔色が悪くて死にそうな顔をしていたトワに思わず言ってしまったこの言葉。
これ言っちゃった時、トワどんな顔してたっけ……
めっちゃ怖い顔してた気がする。あと、その前に散々恋だのなんだのって茶化しちゃったんだよな……
自分で「必要以上に踏み込まない」と決めていたマイルールを破ってしまったのが、実はかれこれ数ヶ月間木元の心の片隅に引っかかっていた。もしかしたらこれがトワの地雷を踏み抜いていたのかもしれない。
どこまでも勝手に膨らんでいく妄想の歯止めが次第にきかなくなってくる。そして、考えれば考えるほど、次第にいたたまれなくなってくる。
木元は思わず呻きながら頭を抱えた。
終わった……木元コウタ、トワの心の友終了のお知らせだ……
ウンウン唸りながら項垂れる木元を見て、トワの唇の端がフッと上がった。
「あっ!トワ、今鼻で笑っただろ?」
「は?気のせいだろ」
「いや、笑った!絶対に笑ったよな!!」
トワは「笑ってない」と言ってはいるものの、声には堪えきれない笑いが滲み始めている。
いつからだっけ?コイツがこんなに笑うようになったのって……
ふとそんなことを思った木元がスルスルと記憶を辿る。そして、数ヶ月前のところで記憶を手繰り寄せる手が止まった。
そうだ、ちょうどあの頃だ!
そう、たしか……あの死にそうな顔してた日の後だ。あの日からアイツがしばらく学校を休んで、久々に戻ってきたあの頃。
最初はいつも通り難しい顔をしていたけど、少しずつ表情が柔らかくなっていったし、週末が近付く度になんか機嫌が良かったっけ……
やはり恋なのではっ!?
つい先程まで後悔していた過去の己の発言が再び口から飛び出しそうになる。すんでのところでそれを気合いで飲み込んだ木元は、それを振り払うようにブンブンと頭を振った。
では、恋ではないなら何なのか……一度固まってしまった考えを覆すことはそう簡単にはできない。
トワには申し訳ないが、今日のところはそういうことにさせてもらおう……
そして、木元はまだ見ぬ心の友の彼女に思いを馳せた。
あのトワが毎週末デートに行って、夏休みもベッタリ過ごしたがるような子なんだ。きっと可愛くてトワのことをちゃんと理解してくれるようないい子に違いない。
……心の友が霞むくらいね。
鼻の奥が少しツンとするが、きっと季節外れの花粉症のせいだ。目がなんか変なのもきっとそれのせい。
「分かった、今年は他をあたってみることにするよ。トワ、かわいこちゃんといい夏休みを過ごせよ」
「かわ……なんだって?」
トワはすっとぼけているけど、俺は執拗に食い下がったり、詮索したりはしない。これが一つ歳上の余裕、大人の対応ってやつだ。
木元はトワにヒラリと手を振ると、先程からチラチラとこちらの様子を伺っていた「彼」に視線を向けた。そして、わざとらしいしょぼくれた顔と声色を作ってそちらに向かって駆け寄っていった。
「糸村ぁ〜、トワにフラれた〜」
木元が真正面から胸元に飛び込むと、糸村の身体がビクリと震えた。
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