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7章 ただいまとおかえり

「えーっと……ただいま?」  家に入るや否や、そう言いながら小首を傾げたタテハは、トワと目が合うやいなや恥ずかしそうに笑みをフッと浮かべた。  思いもよらない、まるで自分の家に帰ってきたようなその一言に、トワは思わず彼から預かっていた一、二泊分の荷物も入っていなさそうな小さな鞄を落としそうになってしまった。 「……ただいまって……あんたの家じゃないんだから」 「でも、トワが言ったんだよ?自分の家みたいにしてって」 「…………」  ムッと唇を尖らせ、わざとらしく怒ってみせる彼を横目にトワは小さくため息を吐いた。  確かに彼の言う通りだ……  夏休み一日目、トントン拍子で進んだタテハの外泊計画を実行すべく、トワは例の施設へ彼を迎えに行った。その帰り道、柄にもなく浮かれていたトワは何気なく彼に向かってこう言ってしまったのだ。 「自分ちだと思って楽にしなよ、俺たち以外いないも同然なんだし」  自分より大きな身体を縮めて、隣の座席にちょこんと座ってキョロキョロと視線を彷徨わせてた彼がまるで小動物みたいで見ていられなかった……そんな数十分前の自分の不用意な発言にトワは思わず顔を覆った。 「トワ?」 「…………」  彼はそんなトワの様子をしばらく黙って伺っていた。しかし、いつまで経っても顔を上げそうにないトワと、この静寂に耐えかねたように恐る恐る口を開いた。 「……違うやつの方が良かった?」  そう言いながら脱いだ靴を揃え、彼はパタパタと駆け寄ってくる。そして、手のひらに覆われたトワの顔を覗き込もうと身をかがめた。 「ねぇ、トワ?そんなに嫌だった?」 「…………」 「えっと……お邪魔します……失礼します……どれがいいかな……」  考えるような素振りを見せ、そう言った彼の声色は明るさを取り繕ってはいるものの、「正解」を探るような不安の色が滲んでいる。つい先程までの彼の明るさが今にも引っ込んでしまいそうで、トワはなんとも言えない居心地の悪さを覚え、重たい口を開いた。 「……いや」 「ん?」 「……嫌じゃ、ない」  トワがバツの悪い表情を浮かべたまま顔をゆっくりあげると、タテハの顔がパッと輝く。そして、彼はふわりと笑みを浮かべた。 「ただいま!トワ!」  眩しすぎるほどの彼の笑顔に思わず面食らっていると、彼が今度は慌ただしくトワを追い越す。そして、くるりと振り向いた。 「おかえり!トワ!」 「っ!?……ただいま?」  はっきり言って理解不能。  だけどその理解不能な無邪気な明るさがどこか懐かしくて、何故か突き放すこともできない。    トワが困ったように頭を掻きながら何度目か分からないため息を吐く。しかし、唇の端は微かに上がっていた。  本当に、先が思いやられる…… …………  彼に軽く家の案内をしながら、当面は彼の部屋として使うゲストルームへと連れていく。その間、彼は何か気になるものを見つける度に物珍しいものを見つけたような反応を見せるため、数歩歩く度に百面相状態だ。 「ねぇねぇ、トワ。あれは何?」 「あれは……ただの置物だ。同じクラスの奴からもらった」 「じゃあこっちは?」 「……おじい様のコレクション。剥製なんて悪趣味だよな」 「それじゃあこれは?」 「…………」  結局、部屋に着くまで彼の百面相は止まらなかった。  部屋に着き、彼の小さな鞄を開けると出てきたものは案の定着替えが二組、ただそれだけ。 「他に着替えは?」 「ないよ、これだけ」  ここまでスッキリと言いきられるといっそ清々しい。  着替えといっても、下着類が二組と施設で着ていた真っ白な制服のようなセットアップの洗い替えが一組。さすがに寝る時に着るルームウェアやパジャマのようなものを持たされていないなんて思ってもみなかった。 「なんかパジャマになりそうなやつ貸してやるよ。あとこれ……」  トワはズボンのポケットを探り、先程から彼に渡そうと思っていたものを取り出した。ピンクのうさぎが付いた一組のヘアゴム――木元から借りたものだ。 「首元、蒸れて気持ち悪いだろ?良かったらコレも貸してやる」  先日から気になっていた彼の紅く色づいた首元……きっと長い髪のせいでできた汗疹だろう。彼に手渡そうとするが、何を躊躇しているのかなかなか受け取らない。 「言ったろ?貸すって。何か見返りとかいらないから」  ……とは言ったものの、彼がこういうことを遠慮するようなタチとも思えない。 「いや、そうじゃなくって……」  そう言いながら、彼はもじもじと指先を弄る。  予想は大的中だ。それなら…… 「別に誰かの目を気にするようなこともないんだ。結んでやるから後ろ向いてしゃがんで」 「……うん!」  案の定、彼はまたあの眩しすぎる笑みを浮かべ、首がちぎれそうな勢いで頷くとくるりと後ろを向きながらしゃがんだ。  不思議な煌めきを纏う彼の絹糸のような髪に指を通すと指の間からさらさらとこぼれ落ちていく。手櫛で纏めようにも、奔放な彼のようにまとめた端からするりと手から逃げていく。そんな彼の髪に四苦八苦し、彼の首筋がようやく露わになった。  本来であれば、彼の他の部分の肌と同じく白かったであろう肌は以前見た時よりも症状は芳しくなく、見ているこちらまで首が痒くなってしまいそうだ。  トワはなんとかまとめた髪を束ねると、彼の背中をポンと叩いた。 「ちょっとそのまま待ってて。薬取ってくる」 ………… 「わっ!?」  言われた通り、ちゃんとその場でしゃがんで待っていた彼の首に後ろから冷たい濡れタオルを押し当てると彼の肩がビクンと弾んだ。 「急に後ろからやらないでよ〜、びっくりしちゃったじゃん」 「油断してたあんたが悪い。ほら、じっとして。拭いてやるから」  首筋にタオルを押し当て汗を拭っていく。そして、赤くなっているところに薬を塗ろうと指先で触れると再び彼の肩が震えた。 「痛むか?」  そう尋ねると彼はぶんぶんと首を横に振った。 「なんか、くすぐったい」 「そう?じゃあ我慢して」  自分が触れるたびにくすぐったそうにする彼の震えが指先から伝わってきて思わず口元が緩んでしまう。  しかし、それと同時に指先を押し返すボコボコとした湿疹にやり場のない苛立ちを覚えた。  何が「健康と安全を守る」だ……  結局、アイツらは表面しか見ていないじゃないか…… 「トワ?」 「…………」 「……おーい」 「っ!」 「塗り終わった?」 「あっ、あぁ」  示しを合わせたように、二人で同時に立ち上がると彼はじっとトワの顔を覗き込んできた。 「なんだ?」 「ちょっとコレ借りるね!」  そういうや否や、彼はトワが手首にはめていたヘアゴムの片割れを抜き取り、徐にトワの前髪を掻き上げた。 「ちょっ、何だよっ!?」 「いいからいいから」  にこにこと満面の笑みを浮かべた彼は掻き上げたトワの前髪をそのまま額の上でひとまとめにし始めた。 「やめっ!俺は、いいから」 「でも前髪、目に入りそうだよ?僕たちしかいないならいいじゃん」  トワの抵抗も虚しく、あっという間に前髪を額の上でちょこんとちょんまげのように結われてしまった。 「…………」 「これでお揃いだね!」  世話の焼ける歳上の弟みたいな彼は、どうやら余計なことを考える隙すら与える気はないようだ。 …………  共に起きて、共に変化のない一日を過ごし、共に眠る。  同じ食事を摂り、同じヘアゴムで髪を纏め、部屋着らしいものを持っていなかった彼に服を貸して同じ格好をする。そして、最初は別々だった寝室も夜中に目を覚ます度に家の中で迷子になる彼のために同じ部屋にした。  日を重ねる毎に、二人の生活が徐々に重なっていく。その度に彼に関する知らないことが消えていくようで、トワは不思議な高揚感を覚えた。

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