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 放課後、補習を終えて八雲に連絡を入れると、ちょうど駅に着いたらしく、今向かうと返事が来た。  補習は十九時の下校時間まであるとわかり、八雲もそれに合わせて出雲の迎えに来るようになった。八雲は部活の日は練習に出て、ない日は自習室で勉強していると言う。  八雲の学校は進学校なので部活が制限されており、週三日のみの活動だ。週一しか休みのない出雲のバスケ部とは大違いだった。  支度を済ませて下駄箱に降りると、バスケ部も部活が終ったのか、ぞろぞろと歩いて来るのが見えた。 「よー出雲、補習頑張ってる~?」  すぐに気づいた頼人が手を挙げる。 「頑張ってるわ、今度の中間テスト俺めっちゃいいかもしんねーぞ」 「うっそ、マジもん? 俺とどっちが上か賭ける?」  そう言いつつ頼人はサッと出雲のバッグを持ち、下駄箱からスニーカーを出してくれる。脱いだ上履きまで仕舞ってくれる頼人に、目で「ありがと」と返す。 「バーカ、賭けがバレたら反省文じゃんか、俺嫌だぜこの手で書くの」  以前球技大会で勝敗の賭けをしていたメンツが先生にバレて、反省文になった事があるのだ。 「何だよ万年平均点の俺とお前の仲じゃねーかよ、俺を置いて行かないでくれ」  出雲のバッグを担いで当たり前のように頼人は歩き出す。彼女がいるだけあって、こういう動作がとてもスムーズだ。  自分だって部活の荷物があるのに、何も言わず自然に行える所は尊敬する。こういうのを彼氏力って言うんだろう。彼女のいたことのない出雲はやっと気づく。 「お、出雲も今帰り? こんな時間まで補習やんのか、えらいぞ」  特進クラスの下駄箱から同じく部活終わりの静樹が合流すると、頭を撫でられる。 「お前んちの犬じゃねーよ」  じっとりと座った目で抗議すると静樹は「そっくりだし」と、声を立てて笑う。  日の入りの時刻となった外は既に暗く、夜風が吹いていた。  完全下校のアナウンスと共にグラウンドの照明が消され、下校する生徒達と一緒に校門へ向かう。 「今日も迎え来てんの?」 「来てる」  以前一度校門まで会いに来た頼人はどこか興味深気だった。 「って事はまた女子達が校門でそわそわしてんだな」  頼人の予想通り校門には八雲の姿があって、それを遠巻きに気にしながら下校する女子達が見えた。  最近ではその光景も知れ渡り、開誠に通う出雲の双子の兄弟と認識され、八雲について根掘り葉掘り女子達が聞きに来るようになった。 「あーあー完全無視してんじゃん、すっげえ強者」  頼人が感心して声を上げる。  アルファというフィルターの視線を全く受け付けず、携帯をただ見ている。声など絶対に掛けさせない、遮断のオーラが見て取れた。  ──八雲。  心の中で咄嗟呼ぶ。  そのたくさんの視線を抜けて、誰よりも最初に自分に気づいて欲しい。  近づく出雲を見つけ出して、二人は特別なんだと知らしめて欲しい。  そんな独占欲が湧き上がり、自己肯定する。  わかってる、これはもう条件反射だ。子供の時からそんなシーンを何度も見て、彼の気を引こうとしてきたのだから。  弾かれたように八雲は顔を上げ、出雲を真っ直ぐに見た。八雲の口が出雲と動いたように見えて、この胸に広がる焦燥が解けて散った。 「ちわー八雲君。俺覚えてる?」 「もちろん覚えてる、彼女が怖い頼人君」 「その覚え方ヤメテー」  フランクに手を挙げた頼人に、八雲は作った笑顔で出雲のバッグを受け取った。  初めて弟を紹介した翌日、頼人は八雲の第一印象を「怖ええ」と言った。頼人を見る目が怖かったと。  あいつ威圧感半端ねーんだわ、時々怖えーよな、と誤魔化したが、出雲の中で拗らしていた八雲への所有欲は、無意識のうちに顔を出すので用心しなくてはいけない。  他人が入り込むとウイルスに向けて攻撃する、そんな因子が発動する双子なんて友達に面倒がられて相手にされなくなる。  一緒に生活する今、お互いへの依存度は急上昇し、子供時代よりも強くて厄介なのだから。  しかし、出雲の振る舞い一つで、八雲の感情を握れてしまうという自分に、正直優越感を持っているのも確かで。 「よう、有泉。久しぶり」  遅れて来たその声に、八雲は顔を向けると真っすぐに射た。 「近江」  二人の視線がぶつかり合う、そんな表現がぴったりの鋭い眼光。 「え、知り合い?」  頼人が驚いて二人を交互に見て問うと「まあね」と静樹が低く答えた。 「マジで? なんで八雲と静樹が」 「ガキん時、有泉が転塾して来たんだよ、俺が通ってた塾に。いつもトップを競っててさ、俺らフィフティーフィフティーだったなあ。そんで俺、中学は開誠だったから」  明らかにいつもの静樹とは違う、圧に塗れた挑戦的な声。いつもの静樹はこんなに刺々しくない。  尚も静樹と視線をぶつけ合う弟の腕を掴む。気迫が伝わり、手汗がじわりと浮かび出した。 「えー?! マジかよ俺らより付き合い長いってこと? 何で黙ってたんだよ」  驚く頼人の声とは裏腹に、二人のアルファを取り巻く空気はどんどん重くなる。緊迫感で下校する生徒が避けて行くのが見て取れる。 「名前で兄弟だって分かってたけど、出雲は家族の話はしないから、あえて言わなかっただけ」  出雲ではなく八雲だけを見据えて静樹が言うと、八雲は眉根を寄せ不快感を隠しもしない。 「俺達が兄弟だって事は、おまえには何ら関係ないしね」 「のわりには俺の事めっちゃ牽制してね? 最初にマーキングして仕掛けてきたのはそっちからだろ」  じりじりと二人を繋ぐ視線の導火線が発火しそうだ。  こんなに挑戦的になる八雲も静樹も知らない。  アルファが二人揃うだけでこんなにも威圧感が増すのに、当の二人の醸し出す空気が怖い。出雲は肌がビリビリと痺れるような空気を感じていた。 「当たり前だろ。俺はおまえを信用してない。そんな奴と出雲が同じ学校てだけでも胸糞悪いのに」  ポケットに手を突っ込み、忌々しそうに静樹を見遣る八雲の腕を取る。 「おい八雲、何言ってんだよ」  咎めても八雲はやめない。静樹も剣呑な態度を崩さない。 「中学ン時は、発情したオメガ嫌って突き飛ばしたよなぁ。オメガ嫌い拗らして兄弟にマーキングか? なに考えてんの、おまえ」 「近江に理解されたくないね。それにオメガを嫌いって概念はないよ、ただ他人のフェロモンを強制的に嗅がされるのが不快なだけ」 「はは、さすがだねえ。発情したオメガ目の前にしてもご立派だったもんな、有泉は。でもさあ、だからって兄弟呼ぶか?」 「何が言いたいの」  凍てついた目を静樹に刺し向ける。 「別に?」  二人は冷静を装っているけれど、言葉には牽制と威嚇が混じり合っている。  悪寒を感じるほどの重々しい空気の中、二人は睨み合いをやめない。 「ちょっと待てよ、おまえらその圧を引っ込めろ。女子達が怖がってんぞ」  周りを威圧するオーラに、下校する生徒達が重苦しい空気を感じ取っているのを見て、頼人が二人の間に割って入った。 「おい、八雲、いい加減にしろよ」  掴んだままだった腕を揺する。八雲は首を傾け、出雲の頭に顔を寄せると、カッと火が灯った目を静樹に突き刺す。  出雲の腹の底に込み上げる激情。  それが八雲の起こしている感情なのだと容易に分かる。  何が八雲をそんなに怒らせるのか、自分は二人の中学時代を何も知らない。避けていた四年間、八雲のことを何も知らないのだ。 「なんなん? おまえら中学時代に何かあったのか?」  二人が掴み合わないよう、間に立つ頼人が静樹に聞く。 「別に何もねーよ。クラスだって同じになった事もねーし。ただ部活で一緒だっただけ。なぁ、有泉」 「……ああ」  尊大な態度の静樹に八雲は不遜に返す。 「俺のこと警戒してるみてぇだけど、意味ねぇから」  静樹の挑発に八雲はゆっくりと見据えたまま何も発さなかった。  まるで話が見えない。アルファ当人しか分かり得ない含んだ会話。  分かるのは八雲の中に、大きな怒りが発していることだけだ。  それから家に帰る間、八雲は口を開くことはなく、押し黙ったままだった。  家に着くと夕飯よりも先に匂いを取ると言って、出雲の腕をビニールで保護し、バスルームに押し込んだ。  風呂は同居初日から、洗う時だけ八雲を呼んで手伝ってもらうつもりだったのに、効率的でないとバッサリ却下され、一緒にシャワーを浴びている。  兄弟なんだし恥ずかしがる必要はない、と当然のように言われ、効率を考えれば八雲が正しいのは確かなので、頷かざるを得なかった。  片手でもたもたと洗うより、八雲に一気に洗ってもらった方が時間短縮にもなり、ギプスの中の蒸れや汗対策にもなる。  汗をかくとギプスの中が蒸れ、痒みを増発させる原因にもなるので、長居は禁物なのだ。  だが、匂いを取ると言われるとそんなに臭いのかと気にはなる。 「おまえ静樹と中学で何かあった? 異様だろおまえら……」  髪をいつも以上に時間をかけて洗う八雲に思い切って聞く。さっき迄の八雲はとても聞けるような状態ではなかったからだ。 「異様? 異様なのは近江の方だろ。喧嘩を吹っかけて来たのはアイツからだ。出雲は? 近江とどういう関係? あいつと何で一緒にいた?」  まだ刺々しさの抜けない八雲は早口で問いかける。 「さっきは下校がたまたま一緒になっただけ。チームメイトだし仲はいいよ、まあクラスは違うから頼人ほどじゃねーけど」 「アルファに近寄るなって言っただろ。特にあいつは信用できない」  八雲はイライラを隠さず、うなじから首回りまで執拗に洗う。 「何なの、マジで。静樹がおまえんとこの学校出たのって何かやらかしたんか?」 「あいつの事なんか知るかよ。近江とは塾と部活が一緒だっただけで、友達でも何でもない」 「でもうちの学校にいること、おまえも知ってたんじゃねーの」 「去年、出雲の試合を観に行ったら近江が出てた。クソっ、あいつ留学って言われてたのに」  苦々しさを噛み潰しながら、八雲は乱暴にシャワーを手に取り、勢いよくお湯を出した。 「友達じゃねーのに何でおまえらあんな態度なんだよ。信用できないって言ってんのは何かあったからだろ?」 「出雲の髪にあいつの匂いがついてた。今日だけじゃない、何度も、何度も。だから信用できない」  苛々混じりに言葉を強調する。その八雲の目の奥には憤怒が見て取れ、今にも燃え盛ろうとしている。 「俺は男でベータだ、八雲が疑うような意図はねーよ。それに匂いはあいつが俺を犬みてーにわしゃわしゃするからだって」 「確定もしてないのにベータって決めつけんな。あいつは発情したオメガに理性飛ばして襲った過去があるんだ。アルファである以上信用なんかできない」 「ちょっと待て、静樹が?」  頭からザーザーと流されて、その手を止める。  まさか静樹にそんな過去があったなんて、初めて知る話だった。 「そう、あれは事故だ。誰も悪くない、けど発情した奴は学校にいられず転校した」  オメガフェロモンはアルファの理性を奪うほど強烈で、抗えないものだと聞く。  学校での静樹は頭も良くリーダー性ある頼れるアルファだ。彼がその事で何かを抱えているのかは知らないが、それでも静樹は出雲のよきチームメイトであり、友達なのは変わらない。 「アルファはそれだけ危ないんだ……どんなに大人しい奴でもオメガのフェロモンに当てられたら理性なんて砕け散る。だから出雲も気をつけろ。クソ、もうやたらとアイツに触らせんな」  イライラとシャワーで泡を流される。容赦なく顔まで浴びせられて息が止まる。 「ちょっ、だから俺はオメガじゃねーって、ヤメ、八雲!」  八雲の手を掴んで止めさせると、スーッと表情が消えていき、出雲はびくりと身体を硬直させた。心の中で青い炎が静かに燃えているのが分かる。 「あとさあ、頼人。親友なのは分かるけど、ベタベタし過ぎ。見てらんない。学校でいつもあんななわけ?」 「何言ってんの、頼人とはミニバスからの仲だぜ? ベタベタとかそうゆうんじゃねーよ」  掴んでいた手を離し、宥めるように八雲の胸に手を乗せるとムッと眉を寄せた。 「無自覚にそうやって出雲から触ってんだろ、俺のいない所でも」 「馬鹿、違えよ。そんなんしねーって。おまえは兄弟だし特別だろ」 「俺が特別なら俺だけにしろ、他人相手にやたらと触るな」 「待てって、おい──」  高圧的に言い放つと八雲は出雲の手を掴み口元へ持って行く。手のひらや手首に唇を這わせて、執拗に擦り付ける、まるでマーキングするみたいな八雲の行為。辿られた皮膚がぴりりと弾けるように痺れる。  まるでアルファの求愛だ。オメガでもない、ましてや兄弟の自分にこんなことをしても無意味なのに。 「わかった? 出雲」  迷宮に誘い込ませるような八雲の瞳。艶めく中で進むべきか迷う自分が映っている。 「……うん」  流されるシャワーの飛沫が肌で跳ねている。びしゃびしゃと落ちる水流の中、まるで人形のように頷いていた。それ以外の意志なんて全部流れ落ちていってしまったみたいに。  八雲の感情を自分の振る舞いで握れるなんて嘘だ。  自分は八雲の前ではこんなにも従順で逆らえない。  あの時──校門でアルファ二人の出す重苦しい空気に、指が震え足が固まるのが分かった。それを悟られないよう気丈に振る舞うのに精一杯だった。  あの肌に痺れを感じさせる空気、胃の中に砂が溜まったかのように重くなった身体。  気を抜くと呼吸が荒くなり、子供の頃によく出した喘息の発作に見舞われそうだった。  アルファが怖い、だなんて思いたくない。  それじゃあまるでオメガみたいじゃないか。 「出雲? どうした?」  風呂上り、床にぺたりと座る出雲の背後で、八雲がドライヤーで髪を乾かしていた。ギプスの腕を放り出したまま考え事をする出雲を不審がって八雲が耳元で問う。くすぐったくて咄嗟首を竦めた。 「ん、」 「コラ、そんなくっついたら乾かせないだろ」  わざと脱力して、甘えるように背後に座る八雲にもたれ掛かった。そのまま顔を彼の脇に押し付けてぐりぐりと擦る。 「いーずも」  八雲は八雲だ。  弟に怖いなんて思う感情はない。  なのに八雲の意思に逆らえない自分がいる。 「だっておまえ安定感あるんだもん」 「俺は椅子かよ」  それを打ち消すように八雲の身体に身を預ける。ドライヤーを置いた八雲の手が髪をなで、指に絡める。  ──気持ちがいい。  八雲は特別だ、自分から友達にくっついたりしない。こんな風に甘えたりしない。  甘えて、甘えられるのは、八雲とだけ。だって自分達は一緒に生まれた兄弟なのだから。  密着するとまた感じる八雲のフェロモン。それはどんどん濃くなり喉の奥がカラカラと乾くようだった。 「いい匂い……」  うっとりと、それは意識なく出雲の口から零れた。 「フェロモン?」 「うん」 「好き? 俺の匂い」 「うん……」  八雲が喜ぶ感情と連動して、フェロモンは更に濃くなった。  静樹はマーキングと言っていたけれど、これは不可抗力だ。こんなに濃いフェロモン、ベータでも咽せそうだ。出雲に付いてしまっても仕方がない。  脳まで弛緩しそうで何だか危ない気がした。身体がじんわりと火照る不思議な感覚。  アルファのフェロモンはこんなにも気持ち良くなってしまうのか。 「酒飲んだ事ねーけど、酔っぱらったらこんな感じになるのかな……何かすんげーふわふわする」  その割には身体はどんどん熱くなってきて、薄っすらと汗まで掻き始めている。喉の乾きはさらに増し渇望感が募る。 「風呂でのぼせた?」  八雲は出雲の前髪を掻き上げて覗き込むと、ペットボトルの水を手に持たせてくれた。風呂上がりに半分飲んであった残りを全て飲み干すと、首筋に手を当てられて身体がびくりと反応した。  何だろう、おかしい。妙に皮膚が敏感になっている。 「汗掻いてる。そんなに熱かった?」 「違、う」  あ、勃つ。  そう思った時にはもう身体に変化は起きていて、下半身に意識が集中してしまった。手にしていた空のペットボトルがカコンと床に落ちる。 「出雲?」 「トイレ、行かして」  急いで立ち上がりトイレへ駆け込もうとしたが、背後の八雲に腰を捕らえられる。また座らされ、ぎゅうっと強く背中から抱き込まれ、身動きが取れなくなった。  つま先に当たったペットボトルが乾いた音を立てて転がって行く。 「俺のフェロモンに反応した?」 「んな、ワケ、ない」  ベータなのだから。  耳元で髪の匂いを嗅ぎながら、八雲は鼻を鳴らした。 「入院中からどうしてるんだろうとは思ってたけど……ココ、溜まってんじゃないかって」  指先が身体の中心を下へ下へと辿り、窮屈に膨らむ下肢へ行き着く。瞬間じわりと広がる快感。 「バカ、そんなの、心配すんなっ」 「学校復活してから抜いてる? 俺の目があるから抜けないんだろ?」 「な、んでっ」  知ってんだよ! と声に出そうだったのを慌てて飲み込む。  登校するようになってから、学校以外は全て八雲と一緒だ。家の中で常に目で追われているので逃げ場がない。夜も同じ部屋で寝ており、夜中にそっとトイレに抜け出したらドアの外で待っていた。  全てを知られているようでする気も失せ、そうしているうちに抜かない日々が続いてしまった。 「出雲、我慢するな。抜けない辛さは俺だってわかるんだから」 「く、……っう……」  甘やかすように誘いかける声に抗えない。  スウェットパンツと下着をくぐって来た手に直接握り込まれのけ反った。あまりの刺激の強さに脳が追いつかない。 「出雲、汚すから脱がすよ」  ずり下げられ、腰を浮かせてその動きを助けてしまう。がちがちに勃起する自身が勢いよく飛び出し、八雲が生唾を飲み込んだ。  晒された下肢に弟の手が這う。屹立したものを揉みその形や温度を確かめるようにゆっくりと触れる。  確実に欲を孕んだ性的な手つき。 「や、めろって……」  事故の傷あとがまだ残る色白な肌に、赤く充血した生々しい性器が正視できず、きつく目を閉じた。 「力抜いて。ゆっくりやるから」  ゆるゆると手を上下に動かしながら、八雲が耳元で囁く。 「ちょ、ま、って……ぁぁ……」  気持ちいい、気持ちいい。自分の手ではないだけで、どうしてこんなにも気持ちが良いんだろう。 「出雲はどこがいい? いつもやってる事教えて、同じ様にやってあげるから」 「ふっ……ン……むり……」  荒くなった息と一緒に声が漏れる。  そんな事言えない、言いたくない。たまらず左腕で口を押さえた。 「ほら、だーめ、腕離す。言えない?」  声音は柔らかいのに強引で意地悪だ。  唯一自由な片腕を取られ、動かせないよう、八雲の肘で後ろにグイと押さえられてしまう。 「さき、先のトコ、アッ……ダメ、ダメだって……」 「一緒だ、さすが俺達」  嬉しそうな八雲の声。ちゅっと音を立てて髪に唇を落とす。熱い吐息が首にかかってぶるりと震えた。もがくように大きく息を吸い込むが、ここにはもうアルファのフェロモンしかない。  むせ返る窮屈なほどの芳香に思考能力を奪われ、何も考えられなくなる。ベータなのに、ベータなのに。  背後から抱え込む八雲の身体も熱くて強くて、出雲の身体全てを取り囲んでしまう。  何でこんなに逆らう事が出来ないんだろう。  初めて受ける快感に、ゾクゾクと絶え間ない熱が這い上がり、それをどうしたらいいのか分からない。  一緒に生活している兄弟にされるなんておかしいはずなのに、酷く興奮している。自分で自慰する時よりも、高まりは性急ですぐだった。 「あっ、あっ、やばっ、ヤバいってっ」 「我慢しなくていいよ、空になるまで何度でもしてあげるから」  何度でもって、こんな刺激何度もされたら堪らない。  強弱をつけて上下に動かされ、親指が涙を流す先端を擦り付けた。 「ひぁっ……ソコ、イヤだってぇ……」  敏感なソコを何度も刺激されて腰が震え出し、八雲の腕に縋り付く。 「出雲かわい」  意地悪な声と共に、耳に舌を這わされてぶるりと震えた。  ひっきりなしに溢れる体液を、幹全体に絡め、扱かれて、もう我慢の限界だった。 「ンっ……ぅっ……あ、で、でる……」  気持ち良さが絶頂に来た時、体中が力んでのけ反る。破裂するかのような射精に、咄嗟八雲の腕にしがみ付いた。  長い長い放出だった。我慢していた数日分はどろりとしていて濃く、受け止めた八雲の手から零れ落ちるほどの量だった。  出雲は肩で息をしたまま背後の八雲にもたれ掛かる。あまりにも強すぎた射精の衝撃で茫然自失となり、頭も空になる。  心臓はバクバクと大きく頭に響き、しっとりと掻いた汗で髪が額に貼り付いている。身体は弛緩し、手足はふわふわと浮いているみたいな余韻に浸っていた。 「こんなに我慢してたんだ……」  胸を大きく上下させて息を整える出雲に、ようやく八雲の声が届く。手から滴り落ちる自分の精液を見て、スーっと現実に引き戻された。 「──ちょ、まてっ」  ティッシュはどこだっけと起き上がろうとすると、自分の手を見ていた八雲は滴るそれをペロリと舐めた。 「おま、何やってっ」 「これゲノムDNAは一緒なんだからさ、俺の精液と同じって事だろ。出雲の遺伝子情報99.99%俺と同じなんだって思ったら、愛しさが湧いちゃって」 「はあ? だからって舐めんなよ」 「確かに味はウマいもんじゃないけど」  八雲の訳のわからない理論が何となく理解できてしまう。確かに自分のは舐めないが、八雲の身体の中から出たDNAなら舐められる。だって一緒なのだから。  そんな自分を知ってむず痒さに身じろぐと、もう一度背後から回した腕が出雲の体を抱きしめた。 「明日も俺が出してあげるよ」 「バカ、何言ってんだよ。もうやらなくていいって」  熱っぽい声音に腕の中から逃げようとするが、八雲の腕は強く、片手しか使えない出雲が抜け出すのはまず無理だった。 「それだとまた俺を気にして我慢するだろ? 手も不自由なんだし、いつも通りじゃないのはストレスだろ」 「だからって抜いてもらうとかおかしいじゃん」 「おかしい? 今のは応急処置だろう、思うように動けない怪我人の生理的欲求を解消するための」  至極当然といった理屈で出雲を封じ込めようとする。八雲は頭が良いから理屈攻めで来られると、単純な出雲はつい丸め込まれてしまう。 「医療みたいな言い方すんな。家族にされんのは抵抗あるって言ってんの」 「誰ならいいわけ? 恋人いないじゃん。俺以外の友達? 医者や看護師ならいいの?」 「ちょっと待てよ、そんな意味じゃない。そうゆうのは自分でどうにかするモンだろう」  グイと自分を拘束する腕を押すと、ようやく八雲は解く。 「俺でも? 俺は特別だろう、さっきそう言ったじゃん。それに俺は出雲が我慢してるのが嫌だ。おまえの世話は俺が全部やると決めてる。誰にも譲らない。だからやらせろよ」 「ダメダメ、俺が要らないって言ってんだからいいんだよ」  ──そう拒否したはずだったのに。  翌日シャワーに入ると、身体を洗われながらその手は股間に伸び、あっという間に勃起させられた。  明日も俺が出してあげる、という言葉が脳裏に貼り付いていて、前日の快感を忘れていない身体は、期待からかうっすらと半勃ちしていて、八雲に隠しようもなかった。  出雲に射精を促そうとしている八雲のものも反応しているのを見つけて、戸惑う事なく出雲はそこに手を伸ばしていた。 「出雲、」  息を詰めた八雲の期待する声。 「俺もやる」  少し力を入れて握ると、ぐんとそれは大きくなり、八雲が唾を飲み込み喉仏が上下した。 「いいの?」 「俺だけなんて嫌じゃん、一緒の方が開き直れる」 「俺の、嫌じゃない?」  戸惑い確かめるように八雲に聞かれ、向かい合って上目に見上げた。 「おまえ、俺のやっといてそーゆうこと言うんだ」 「ふふ……出雲、好き」  零れ落ちたかのようにほころぶ口元。黒く艶やかな瞳がキラキラと光っている。  自分だけがされるから倫理観だとか常識だとか考えてしまうんだ。共犯してしまえば罪悪感も薄れる。  八雲の性器を触ってもなんら抵抗はない。自分のより大きくて太く力強い、これがアルファの性器。  ヒエラルキーのトップに立つ強い性、優位種。  出雲のなれなかった性別。  熱を帯びた八雲の視線が出雲に絡みつく。息の速くなった呼吸が出雲の頬にかかり、見つめ合う。  感じている八雲の表情を見ても、咎める心がどこにもない。それが兄弟だからなのか出雲にはわからない。  相手が静樹や頼人だったらどうだろう?  正直想像することすらできない。性の対象でない友人にそんな気すら起きないからだ。  だけど八雲はどうだろう?  倫理観に抵抗はあっても、結局は八雲だからという理由で受け入れてしまう。生まれる前から一緒だったから、血の繋がる兄弟だから、恥ずかしさも気まずさも薄く消えてしまう。  この世の中に抜き合う兄弟なんているんだろうか。  兄弟なのに──怪我人だからだとか、溜めるのは身体に悪いからだとか、応急処置だからだとか、家族だからダメなのかとか。  たくさんの理由を考えて。  ならば血の繋がらない兄弟だったらよかったのか?  何が正しくて悪いのか、分からなくなってくる。 「いーずも。何考えてる? 昨日も出したから今日は余裕?」 「──ンなワケ、ないっ」  昨日バラしてしまった弱い所、先端の窪みを親指でぐりぐりと刺激されて、下腹がビクビクと波打つ。  二つのペニスを大きな手が握り込み、一緒に擦られると腰が揺れ、自分から八雲に擦りつけてしまった。 「ふふ、いやらしい、出雲」  狭いバスルームに八雲のフェロモンが充満する。  頭がおかしくなりそうだ。  この匂いを嗅ぐとどうでもよくなって来る。    兄弟で抜き合うくらい、別に悪い事じゃないじゃないか。  スッキリとした頭と体で食欲も満たされ、テレビの前に置かれたソファでだらだらと寝転がっていた。  目の前のローテーブルには、ルーティンとしている自学を進める八雲がいて、つい耳をいじったり素肌に触れたりとちょっかいを掛けてしまう。 「ふふふ、やめろよ出雲」 「コラ、集中しなさい」 「くすぐったいって」 「八雲も耳弱いじゃん」  じゃれついて八雲にくっつき、耳に息を吹きかける。肩を竦めた隙に首に手を回すと、二人の携帯が同時にピロンと鳴った。 「あれ、お父さんからLINEが来た」  通知欄に表示された名に、八雲は携帯に手を伸ばす。 「ん? 何だって?」  自分の携帯を手に取るのが面倒で、首を伸ばし八雲の肩口からくっついたまま携帯画面を覗き込む。 「前、出雲が言ってた身体の苦しさのやつだ」  父、祐作の病院では、予約を取っても時間が掛かるので、伯父に診てもらうよう連絡をしたとの内容だった。  伯父の貴文(たかふみ)は、祐作の実姉鞠子(まりこ)の夫で、義兄にあたる。祖父の病院で内科と小児科を診ている医師だ。  今、祖父は週二のみ診察しており、貴文がメインになって週五日診ている。近いうちに祖父は引退し、貴文が医院長になる予定だ。 「お父さんの所は医療センターだし、確かに貴文伯父さんに診てもらった方がいいかもね。三年前までは大学病院にいたから、何かあったらそっちに紹介状も書いてもらえるだろうし」 「貴文伯父さんかー、会う度に欲しい物たくさん買ってくれたよな。俺らサンタ伯父さんって呼んでたじゃん。また言っちゃいそう」  懐かしさに笑みが浮かぶ。  起こしていた身体をまたゴロンとソファに仰向けると、子供の頃で記憶の止まる伯父の顔を思い浮かべた。  インテリ風な眼鏡を掛け、物静かな喋りをしていた。いつも何が欲しい? と聞いてくれ、欲しい物をたくさんくれた。背が高く子供の頃はよく見上げていたサンタ伯父さん。 「伯父さん全然変わってないよ、きっと今会っても欲しいもの聞いて来るから」 「お前が一番信頼してる人だもんな。実質お前のお父さんだろ」  両親の離婚後、出雲と離れ、祖父の家に住まいを移した八雲は、威厳の塊の祖父母と父親の存在がない家の中で、唯一心を開いていたのは祐作の姉夫妻だった。  祖母の路子(みちこ)に反抗し、口も聞いていなかった八雲を育てたのは伯母の鞠子であり、父親の代わりとなったのが、夫であり当時大学病院の勤務医をしていた貴文だった。  鞠子は路子と折り合いが悪く家を出ていたが、八雲を育てられない路子は娘に頭を下げ、同居を願い出た。  干渉しないことを条件に、子のない二人は八雲の親同然となり育てた。特に貴文は同じアルファ性でも祖父とは違って古い考えの思想がなく、八雲の意思を一番に尊重していたという。それは眞知が子育ての上で願っていたことだった。  そして今、年老いた祖父は丸くなり、祖母は亡くなりもういない。 「貴文伯父さんは内科の先生だけど、小児科も診れるし、バースも勉強してて尊敬してる」  それは八雲を見ていればわかった。八雲が変わらず医者を目指して勉強を続けているのは、きっと貴文の影響もある。 「はは、そこに救急科専門医のお父さんは入らないんだ?」 「お父さんは家族でいることよりも、たくさんの人を助けることで、自分の存在意義を見出してるからね。俺は家族や愛する人を幸せにしたい」 「わかるな、俺も。仕事よりも大切な人を幸せにしたい。自我を潰されて育ったお父さんだから否定はしないけどさ、お母さんの犠牲は大きかったよな」 「祖母さんとの板挟みだったしな」  そんな父と母は今、出雲の事故をきっかけに顔を合わせ食事を取りに行くまでに仲は戻っている。  今は二人に口を出す祖母はもういない。双子の子育てで衝突することもないのだ。  これをきっかけに、眞知と祐作が幸せだった頃に戻り、そして元の家族に戻ればと、内心思う。 「お父さんが、今は若手育成がメインだから、以前より仕事は半分って言ってたし、ちゃんとお母さんと向き合って欲しいね」 「同感、せっかく出雲が引き合わせたんだからな」 「俺だけじゃないじゃん、八雲もだろ」 「じゃ、俺たち二人のお陰な」  お互いの手と手をパチンと合わせて握り合う。  心が繋がり、感じる同調感。  一緒にいるのが楽しくもあり心地好くもある。  また一緒に住めたことを自分達は誰に感謝すべきなのだろう。 「出雲の期末が終わったら俺達の誕生日だろ、その日にお母さんが四人で食事に行こうって言ってるの知ってる?」 「え、知らね。この手で外食はキツイって。あ、でもその頃にはギプス取れてるか」  柔らかく出雲を包むようにまとわり付く豪奢な香り。  八雲の発するフェロモンに慣れてしまったのか、最近ではうっとりと身体の力が抜けていくようになっていた。  眠い、身体が次第重くなっていく。 「……フェロモンまた出てんじゃん。アルファってそんなだだ漏れすんの?」 「出雲に触れられてると出るみたい。普段は全然出ないよ」  大して気に留めるでもなく、八雲は眞知からのライン画面を確認する。 「え、俺のせい……?」 「うん」  床に座る八雲の背後から、首に手を回してくっついていた出雲は「えー」と渋々腕を外す。それは良いことなのか、悪いことなのか。ここにオメガはいないのだから、別にいいんじゃないのか。 「離すなよ。なんで離すんだよ」  不満気に眉を寄せ、八雲が振り向く。出雲の迷いを打ち消すように、外された腕をぎゅっと掴んで引っ張り、また自分の首に回させてその腕に顔を埋める。 「お前のフェロモンまた俺についちゃうじゃん」 「つけてんの。もう二度とアイツに触らせんなよ。出雲は俺のもの。俺は出雲のもの。マジ他人の匂いなんかつけんなよ」  埋めた腕との隙間から一直線に届く瞳──有無を言わせぬ八雲の圧に、刹那心の中の一本の棒がぐにゃりとたわんだ。 「──き……をつける」  ああ、また。また八雲に従う自分がいる。  この匂いの中、力強いこの瞳と声でがんじがらめにされると、そのまま流されたくなる。でもそれが嫌じゃない。どうしてだろう。  お互いに持つ所有欲は病的だ。でもそれはきっと今だけだ。離れて暮らしていた空いた時間を、急スピードで埋めようとしているせいだから。  この匂いに包まれていると、喘息で苦しかったあの頃を思い出す。  涙を流しながらゼエゼエと呼吸を繰り返し、朦朧とする視界の中、八雲は出雲を抱きしめて背中をずっと撫でていた。手を握り、温かく包んでくれていた。  安心していられる、優しさに満ちた気持ちを、八雲はいつも出雲に与えていた。だから八雲に触れていると安心できる、離れたくないのだ。 「出雲、誕生日は二人で祝おうよ。中学ぶりなんだし。お母さんには食事は二人でどうぞって送っとくから」  八雲はおもむろに顔を上げると、ソファから身を乗り出す出雲を上目に見上げた。その目に宿るのは輝きと力強さ。同じ顔なのに資質が違うと表情も全然違う。これが八雲なんだ。  フェロモンの余韻で顔が薄らと赤くなり、睡魔も相まってぼうっとしたまま八雲を見つめる。 「──いいけど……兄弟でプレゼント交換とか……寒いから、ナシな? ……食いもんならいいけど……」  まるで眠りに落ちる寸前のような、夢見心地の気分で答える。  呂律が回らなくなっている出雲を、八雲は眩しそうに三日月に目を細めて見ている。外で見る八雲の瞳とは違い、熱を帯びてどこかくすぐったい。 「ならさ、ケーキとか好きな食べ物買って、それ食いながら朝までNBA耐久レースなんてどう?」 「うん……いいね……」  まどろみの中で八雲の手がゆったりと髪を梳く。温かい手のひら。気持ちがよくてその手を握り頬に押しつける。 「じゃ、決まり」 「……きまり」  眠りの中へ吸い込まれていく。艶があってやわらかい、まるでベルベットの生地の上を滑るようにゆうるりと、落ちていく。  時間なんて気にしないで、真夜中までお菓子を広げて、睡魔に脱落するまでひたすら試合を見続けて。  同じシーンでドキドキして盛り上がって、スターのプレイに魅せられて。  湧き立つ感情を述べ合って、勝敗に一喜一憂したい。  そんな誕生日の夜を過ごしたい。  眞知曰く、寝相も同じ、くしゃみもあくびも同じタイミング、乳幼児期、深夜に目を覚ました二人は、顔を合わせて笑い合っていたと言う。  熱を一緒に出し、治るのも同時。出雲が他の部屋に移動すれば八雲も付いて行き、八雲が戻ると出雲もその後ろをついて来る。同じ色を好み、幼児の頃は常にお揃いを着ていた。小学校では自分で服を選んで着ていたのに、結果的によく似た服装だったそうだ。  自分達は生まれた時から生涯のソウルメイトを持っている。  自分を完全に理解してくれているもう一つの存在。  一緒にいる事が必然で、いなくなってしまったら心の半分が欠けてしまうかもしれない。 「出雲」  心の中に聴こえる声。いつも呼ぶ声とは違う、どこか切なくて胸が苦しくて涙が零れそうな音。階段から落ち、眠っていた時も聴こえていた。  ──八雲。  自分も同じ様に返せただろうか。同じ様に感じてもらえただろうか。  背と折った膝裏を支えられ、身体が持ち上げられた。だらりと腕が垂れる。移動している振動。高い体温。力強い腕の中。八雲の匂い。ああ、安心できる──  ベッドに下されると唇に温かなものが触れた。 「おやすみ、出雲」  ──おやすみ、八雲。

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