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 screen 4  二学期が始まって一ヶ月が過ぎた。  体調を崩した事もあり、夏休み明けは伯父の貴文から登校の許可が降りず、二週間オンライン授業を受け家で過ごした。  学校にはオメガと二次性別が確定した書類と、伯父に用意してもらった診断書を提出し、保険医と数分話をして初日は終わった。  誰とは言わなかったが、同学年にはそこそこオメガがいると聞いた。アルファはもっと偏差値の高い学校に行くので、大学附属でゆるゆるのこの学校にアルファはほとんどおらず、いても静樹のように抑制剤を飲んでいるので、ヒートによる事故は校内で起きた事はないそうだ。  オメガはヒート期間中、抑制剤が効くならベータと変わらず登校できるし、休んでもオンラインで授業を受けられるので欠席扱いにはならない。  性別など気にせず入学した学校だったが、キチンと制度が整えられていて、今更ながら入学してよかったと実感した。  夏休みの終わりに起こした突発的なヒート以降、オメガの数値は安定し、あれからヒートは一度も起きていない。 「八雲と離れているからかもしれないね」  学校帰り、診察の終了した有泉内科小児科クリニックの診察室で、貴文と向かい合う。業務の終えたスタッフ達は帰り、今は二人しかいない。 「出雲君の発情トリガーは八雲だ。近くにいればお互い引き寄せ合う」 「じゃあずっと離れていれば安定してるって事?」 「そればかりはまだどうなるのかはわからないなあ……けれど普通なら三ヶ月おきの周期で落ち着く頃だ」  ひゅうっと出雲の呼吸が鳴り、貴文は耳を澄ませた。聴診器をあて、慎重に胸と背の音を聴く。  バースの専門医ではないが、内科と小児科を診る貴文は、患者の身体の不調とバースは切っても切れない関係の為、勉強を欠かしていない。特に今は(仮)の息子のために、バース専門医の論文を読んで見解を広げてくれている。 「でも離れている事でオメガは不安定になると言われている。これは番に限ったことだけれど、精神の繋がりの強い君達は、同じような影響が出ているのかもしれないね。しばらく発症していなかった喘息が出ているのもそのせいだろう」  呼吸する度に聞こえる気管支の音。咳もなく落ち着いているように見えるが、特徴のあるひゅうという呼吸音が出雲から聞こえるのだ。 「俺ってほんとポンコツだなぁ……」  オメガ覚醒の次は喘息。次から次へと身に起こる変化に、気持ちが追いつかない。真っ暗闇な世界で、足元の見えない砂漠の中を、ただ足を取られながら歩いているみたいだ。  夏休み最後の日曜日、試合会場でヒートを起こした出雲は、祖父の家でラットを起こした八雲とすれ違いを起こし衝突した。  帰宅した貴文に叱られ、終いには喘息の発作を起こし、双子は離された。  あの家に連れて来られたのは、会場になっていた体育館と同じ区内にあったからだ。一分一秒でも早く出雲を隔離したい八雲の選択だった。 「喘息の症状があるうちは、抑制剤を飲ませることは出来ない。次の発情期が来たら八雲に頼るかい?」 「ヒートが来たら、俺も、八雲も……もう止められる自信が──ないから……」  何がとは貴文は聞かなかった。  ──あの日。  あの家で、何を言い合ったのか二人しか知らない。  伯母の鞠子と眞知には、シャワーの順番を巡ってのくだらない喧嘩から、二人暮らしの鬱憤が溜まって大喧嘩に発展したのだと説明した。  水浸しの廊下と脱衣室を掃除する女性陣から八雲をかくまい、兄弟だからって遠慮がなくなってるのは良くないなと、貴文の機転で八雲のラットは隠された。  しばらくして出雲が階下に降りると、眞知は、息子達がしでかしたことを自分のことのように謝罪した。  深く頭を下げ謝罪し続ける母を見て、自分のしたことを反省する出雲に対して、八雲は部屋の奥にある大きな出窓に腰掛けて、顔を背け、何処を見るわけでもなく、終始不貞腐れた態度だった。どこか投げやりで、大人を拒絶している、子供じみた珍しい姿だった。  この家で八雲は、親代わりだった鞠子や貴文の前で、年相応の態度を見せている。  それは本当の家族なはずの出雲や眞知には見せていなかった素の姿なのだと知り、チクリと小さな棘が胸を刺した。 「頭を冷やすためにしばらく八雲はここから学校に通いなさい。マンションでまた大喧嘩されたらとんでもない苦情が来るだろうからね」 「は?」  態度を改めない八雲に貴文はそう指示をした。彼が投薬したのか八雲は落ち着いていたが、瞬間鋭くなった眼光で貴文を睨みつけ、キリキリと眉を吊り上げた。 「また俺達を離すのか。あんた達はまた勝手な判断で俺達を──」 「八雲、やめてっ」  怒気を隠しもせず、唸り声でこちらに向かって来る八雲を眞知が咎めるが、彼の耳には届かなかった。 「あんた達はそうやっていつもいつも俺から出雲を奪ってく。俺がどんな思いで出雲と別れたかなんか知らねークセに! なんなんだよ! 親の都合で振り回されて! また離すのかよ! 子供は大人の所有物じゃねーんだよ、一方的な判断で俺らを簡単に離そうとするな!」  激しい八雲の怒りが胸に打ち込まれる。  ビリビリと皮膚を突き刺す怒気に出雲は肩をすくめるが、貴文がスッと庇うよう前に立ち塞がった。 「永遠に離れろと言ってるわけじゃない。感情的になっている今、冷静な判断はできないだろう?」 「俺はいつだって冷静だ。もう親に従うだけの子供じゃない、だから勝手に決めるな、俺らの事は俺と出雲で決める」  踏み出す八雲が貴文を押し退け出雲の肩を掴んだ。瞬間ヒッと息を吸い込む。容赦ない強い力で指が食い込み痛くて熱い。まるで炎に包まれたエネルギー体だ。その圧と熱で、掴まれた肩からじりじりと火傷を負ったみたいに痛みが燃え広がっていく。 「出雲、答えろよ。また俺と離れたい? もう離れられないだろ? 俺がいないとその身体、鎮められないじゃんか」 「やめろ、」  それ以上言うな、母親の前で。血走る目で鬼気迫る八雲に気圧され、言葉が出ない。喉の気道が塞がりひゅうひゅうと呼吸から音が聞こえる。 「離さないよ出雲、絶対に。俺達は、」 「八雲! 慎みなさい!」  胃の底を抉る貴文の重低音が響く。出雲を掴む腕を貴文が取ろうとするが、瞬時に八雲は払いのける。 「うるさい、あんたには聞いてない!」 「出雲君が怖がってるのがわからないのか!」  まるで火の粉が飛び散るかのようなアルファ二人の激声だった。ギリギリと八雲は貴文をただ睨みつける。  怖い。アルファが怖い。  出雲の呼吸が小刻みになり気管支でゼエゼエと喘鳴が始まる。  八雲は出雲を捕らえたままゆっくりと眼前に顔を寄せると怯えた瞳を覗きこんだ。 「言えよ、出雲──俺と、離れたくないって。言えっ!」 「──ッ、」  荒々しく肩を揺さぶられ、ついに出雲は激しく咳込み身体を折った。 「出雲?!」  止まらない咳に涙が流れる。呼吸が苦しい。吸っても吸っても満足に酸素が肺に入っていかない。  胸を大きく上下させ、ゼエゼエと呼吸しながら崩れていく出雲を八雲が支えるが、それを貴文が遮り、見守る女性二人に指示を出した。 「喘息発作だ。すまない、怖い思いをさせてしまった。今点滴の用意をするから、裏の病院へ移ろうか。出雲君、君はどうしたい? 八雲と二人になれるか?」  小さく首を振る。今は無理だ。きっと同じことを繰り返す。八雲も自分も自身を見失っている。 「出雲行くな」  自分を呼ぶ声。  嫌な汗が全身を纏う。四肢に重い砂のようなものがさらさらと重量を持って積もっていく。それは抱えきれないほどの怒りと哀しみがない交ぜになった八雲の感情。 「出雲」  動かせない。身体がどんどん重くなっていく。砂が口からあふれそうだ。やめろよ、やめろ。名前を呼ぶな。  息を吸うたびに激しく咳込む。  ここから動くなと八雲の心の声が流れ込んでくる。  苦しい──ああ苦しい。  ──自分達はまた離れたらどうなってしまうんだろう。 「あれから発作の方はどう? 薬を飲み続けてからの調子はどんなかな」  パソコンに打ち込みながら貴文は問診を続ける。入院は免れたが、あれから一ヶ月、症状は小康状態だ。 「ひゅうひゅうはするけど夜中に発作は出てないよ。ただ、朝はしんどい。駅の階段の昇り降りだけでゼエゼエするし。日中は大丈夫なんだけど」  子供の頃に比べれば体力も付いたので、苦しさはだいぶマシだった。吸入器を吸えばほぼ落ち着く。ただ、一触即発の危うさはある。 「そうか、ヒートで体力も免疫力も落ちてた時だったから、急激なショックで発症してしまったね。喘息はね、完治は無いんだ。ただ適切な薬物治療と自己コントロールを継続することができれば、深く眠らせられる。ヒートと同じだよ、自己管理が出来ればベータや健康な人と何ら変わらないさ」 「じゃあ今発情期が来たら俺死ぬじゃん」  自虐的にから笑うが、貴文は難しい顔をした。 「次の発情期が予測できない今、ヒートが来ればその刺激で発作も起きるだろう。優先すべきは発作だからね、抑制剤が使えないとなると管理入院するしかない」  ただ、と貴文は続ける。 「君が楽になれる方法はあるんだよ……それを僕はずっと言いたくて堪らなかった。でもそれを言ったら僕は医師として──父としても失格だ」  いつもの貴文とは違い、口にする事を躊躇っているようだった。そんな姿になんとなくの予想はついた。  それはタブーであり、人間の倫理観を逸脱すことであり、口にすることすらはばかられるのだから。  楽になりたい──でも怖い。あの日からずっと暗い沼の底を彷徨っている。  ならば、医師であり、信頼する伯父に言わせれば、少しでも自分の負担を軽くできるんじゃないだろうか、そんな打算が頭を占める。  誰かに認められたい。そうして水面に浮上し、思いっきり空気を吸えるようになりたい。もう水底に沈んでいるのは嫌だ。  もう何でもいいから、誰か自分の身体を引き上げてくれ── 「ありがとう、サンタ伯父さん。俺のもう一人のお父さんなんだからさ、直接聞かせてよ。俺はどうしたらいい?」  懐かしい名で呼ぶと、貴文は困ったように眉尻を下げた。  あざと過ぎたかなと恥ずかしくなったが、貴文は我儘を言う息子に困っているような、けれど嬉しそうな、そんな父親の顔をしていた。 「それは反則だな」 「俺だって必死だもん」  繕えなくて貴文が告ぐのを待つ。早く、早く言って欲しい。  言うべきか言わざるべきか、医師としてしばし逡巡していた貴文は、意を決したように真っ直ぐ出雲を見た。 「君達が番になれば──ヒートやフェロモンでお互い引き寄せ合うのも落ち着くし、精神も安定して喘息もきっと鎮まる。これは医学的根拠であって、君達に好かれたいから都合のいい事を言ってる訳じゃないんだ」  乞う様に、決して私情で言っている訳ではないのだと、眼鏡の奥の目は真摯に訴える。 「ふふふ、いいんだ? そんな事言って」  笑いが込み上げる。許しが出た。これで理由ができた。  医師の貴文に言わせて、救われようとしている。  責任を血の繋がらない父に全部押しつけて、番を正当化させようとしている。そうやって禁忌から目を逸らし、自分はずっと解き放たれたかったんだから── 「ああ、僕はかわいい息子の命を優先するダメな医師だよ」 「ありがとう、お父さん」  じんわりと身体の隅々にまで血が通う様だった。ドクドクと流れる血は、八雲と同じもの。自分が生きている証だ。  八雲と離れ、自分の身体は死んでしまったように機能していない。心まで死んでしまったみたいに生きた心地もしない。  貴文は我が子を見つめるまなざしを出雲に注ぐ。 「ずっと考えてた。双子の君達に運命って言葉を使っていいのか。魂の双子っていうけれど、君達はまさしく魂であって運命だ。誰も離すことはできない」 「うん……」 「君達は僕には得られなかったものを与えてくれた、だからこれは僕からの無償の愛だ。我が子にはずっと笑顔でいて欲しい、これが親としての望みだからね」 「……うん、ありがとう」  礼を言って涙が浮かぶ瞳で笑顔を作った。貴文は眩しそうにそんな出雲を見ていた。  ずっとベータとして生活してきた自分だって知ってる。アルファとオメガに運命付けられた魂の番の事を。  生まれる前から一緒で、お互いの想いを大切に育んできた二人がアルファとオメガにわかれた時、引き寄せ合うのは必然な事ではないのか?   自分にとって八雲が運命なのだと本能は知っている。それは子供の頃から積み重ねてきた大きな愛だ。 「伯父さん、八雲はどうしてる?」 「夏休み明けの学内検定はボロボロで級を落とした。授業も出ないで図書室にいるらしい。担任から何かあったのか電話がきたよ。そのうち登校する事も止めそうで妻が頭を抱えている」  心も身体も、八雲がいないと生きていけない。それはきっと八雲も同じで、出雲に与えなければ彼も心が欠けたまま、生きる意味を見出せないのだろう。  もういいか。一ヶ月経ち頭は冷えた。もう充分だ。  今度は自分から八雲に会いに行こう。  帰宅後、夕飯の席で眞知が向かいに座ると、食後のデザートにお皿に乗せたシャインマスカット一房を目の前に置いた。 「伯父さん喘息のこと何か言ってた?」  それを一粒取って眞知は口に含む。 「激しい運動はまだダメで、引き続き薬を飲めってさ」 「そう……学校行くのしんどいなら家でオンラインでもいいんじゃない? 一時間半のラッシュはきついでしょ」 「キツイ時はそーする。けど、行ける時は行くよ、自分的に動いてる方が落ち着くんだよね」  夕飯のたらこパスタを食べ終わり、自分もシャインマスカットに手を伸ばす。  不思議なのだが、朝起きて呼吸が重くゼーゼーしていても、学校に行き頼人らと喋っているといつの間にか楽になっていたりする。精神的なものもあるのかもしれないが、楽しく過ごしていると呼吸は平常になり落ち着く。だが煙や埃で外的な刺激を受けたり、寒暖差でくしゃみを連発すると、すぐ気道は狭くなり発作が起こる。喉や気管支を使う動作はてきめんだ。吸入器を吸えばすぐに落ち着くが、その後は慎重に過ごさなければならなくなる。 「落ち着くまでお父さんのマンションから登校する? お母さんもそこから仕事通おっか?」 「いーって。ここから全然通えるし。薬飲んでればそのうち落ち着くから」 「でもそれでまた階段から落ちたら困るもの」 「大丈夫だって」  小学生でもあるまいし、相変わらず眞知は出雲に対しては過保護だ。  この先ずっと何かにつけて階段落ちのことを言われ続けるのかと思うと、面倒くさいのが正直なところだ。  この話は終わりとばかりにシャインマスカットに手を伸ばすと、眞知はハァと大きく息をついた。 「やっぱり都内の高校にしないで近くの高校にすればよかったのよ。こっちにだって附属の学校はあるのにわざわざ一時間半もかかる遠くを選ぶなんて」 「俺はどうしてもこの学校に行きたかったの」 「東京に戻りたかったんでしょ」 「なんでそーなる」  クスッと眞知が笑う。  でも間違ってはいない。だって都内には八雲がいるから。  まるで息を吸うように高校は都内を選んでいた。そこに迷いなんてなく、地元の学校は視野にも入れていなかった。 「でもわかってた気がする。出雲は私の元にはいてくれないって」  眞知は両手をテーブルの上でぎゅっと握りしめた。 「いずれ八雲を選んで出て行くんだって」  どきりとした。否定できなくて、顔を繕うこともできなかった。 「離婚で八雲が医者になるから有泉の家に行くって言った時、あの子私に言ったの。いずれ出雲を取り返すって。私は八雲にとって出雲を取り合うライバルでしかないのよ」 「よく八雲と喧嘩してたのはそれ?」 「そう。私も大人気ないよね、子供相手に」  学年が上がるにつれ、ドアの向こうで眞知と八雲が言い合っているのを聞いた。はっきりと聞き取れはしなかったけど、眞知も子供の八雲に本気で応えていた。 「あいつは口が立つから仕方ないよ」 「決着つける時がとうとう来ちゃったのかな。私も心決めないとね。出雲、今度の土曜、学校終わった後空いてる?」 「ん? 空いてるけどなに、決着って?」 「久しぶりに四人で食事しましょう。ホテルのレストラン予約しておくから、あなた達の誕生日のお祝いをちゃんとしましょう」 「え、どーゆうこと? それって八雲も?」 「当たり前でしょ、他に誰がいるのよ」  そりゃそうだ。出雲は図星を指されてぐっと詰まる。 「俺……あれから八雲と口聞いてないっていうか会ってなくて……」 「え?! 喧嘩したままなの? 珍しいわね、あなた達べったり仲良しなのに。また中学の時の反抗期再発?」  大袈裟過ぎるくらいに驚かれる。眞知は出雲が八雲を避けて会っていなかった時期を反抗期だと思っている。親や家族を疎ましがり、一人になりたがる思春期特有の。 「ちげーし。そん時に仲直りするよ。俺……また、あいつと一緒に暮らしたいなーなんて……」  八雲を選んで出て行くと言われた手前、歯切れ悪くもごもごすると、眞知は諦めるように大きく肩を落とした。 「駄目って言ったってどうせ八雲に論破されるんだから無駄よね」 「確かに。あいつの理屈攻めは面倒臭い」  プッと笑い合う。 「八雲……元々は我儘だし激情型な子なんだよね。表向きはしっかりとしたアルファ然としてるけど。この前あなたと喧嘩して不貞腐れた態度を取ってたじゃない? あれが素の姿なんだよね……有泉の家では自分を出して、私達の前はよそ行きでね」 「俺もあんな怖えー八雲は初めて見た」  周りを拒絶し投げやりになった姿。攻撃的になって怒りを直接ぶつけ、なりふり構わない。 「子供の頃は、何をするにも出雲と一緒じゃないと嫌だって頑固だったのよ。一緒に学校休もうとするし、出雲の病院に付いて行こうとするし。出雲にばかりくっついてないで友達と遊んだら? って口を挟んだら、機嫌悪くなって目も合わさないし返事もしなくなるのよ」  面倒臭いよね? と眞知は寂しそうな目をして声を落とす。 「部屋だって、夜出雲が発作を起こすと八雲も起きちゃうから、別の部屋で寝るようにお願いしても、絶対に嫌だって譲らなかったし……子供のくせに俺が看るからお母さんは向こうに行ってって何度も追い出されたわ。塾だって出雲だけ辞めるよって話したら、俺も辞めるってテスト白紙で出して塾長から連絡来るし……」 「あったね、そんな事」 「あの時も勝手な事するなって怒って一週間私と口聞かなかったのよ。どんなに話し掛けても私を無視するの、出雲しか家の中にいないみたいに、酷いんだから」  祖母もそうやって八雲に無視され、会話する事もなく他界してしまったのだ。 「それからは出雲のことは八雲に伺いを掛けるようになっちゃって。母親なのになんでって、八雲の独裁っぷりに時々我慢できなくて喧嘩して……馬鹿だよね、母親として情けないわ」  眞知は声を震わせると、更に顔に影を落とした。 「なのに離婚の時、医者になるって出雲と離れる選択をしたのが信じられなかった、八雲あんなに出雲が大好きだったのに。……私と一緒に行くの拒絶するほど嫌われてたのかなって落ち込んだわ……私じゃ医大には行かせられないし、母親として完全に切られたんだって」  情けなさそうに力無く肩を落とす眞知に、出雲は咄嗟立ち上がる。 「違う、お母さん。たしかに学費は有泉の家じゃないと出せないかもしれないけど、嫌いだからじゃないよ、それは誤解だって」  八雲は眞知に金銭的負担をかけられないのだと、母を思って祖父の家に行ったのだ。眞知が嫌いだからなんて理由で出雲と離れたんじゃない。 「そうよね……面会には来てくれてたから。でもそれも出雲の近況を聞くためだけに来てるんだって思ってた。あなた反抗期で八雲と連絡取ってなかったでしょ? 自分の事は何も教えてくれないのにあなたの話なら何時間だって聞きたがるのよ。八雲は生まれた時からずっと出雲だけなのよね」  下を向き、組んだ両手を見て、眞知の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。 「身体の弱いあなたばかり目を向けてたせいで……寂しい思いをさせてしまった。あの子はアルファで強いから大丈夫だって……そんなの子供の心には関係ないのに、勝手に理由をつけてあなたばかり気にかけてた。アルファだからってあの子自身を見てあげられなかった。だから八雲は出雲だけが信じられる存在だったのよね。自分を見てくれない親なんて嫌われて当然だわ。医者になるのだってあなたのためだもの。有泉の家のためなんかじゃないのよ。なのに私……八雲と出雲を取り合ってばかりで……離婚で二人を離して、出雲だけ連れてったこと後悔してる。あなたも有泉の家に置いて八雲と一緒に育つべきだった。どうしても身体の弱いあなたが心配で手放したくなかった……本当にごめんね」  眼鏡を外し濡れる目をティッシュで押さえながら、眞知は傍に来て立つ出雲の腕に額をつけた。  アルファに生まれていい事なんて一つもなかった──八雲は謝る出雲にそう言った。  ベータの親にアルファだからと理由をつけられ、薄い膜をかけた対応しか受けられなかった。行き場のない子供の愛情は、母が気にかける出雲を独占し満たされない愛を注ぐことで自分を保っていたのかもしれない。  震える肩に腕を回し、出雲は泣く母を優しく慰める。 「俺だってあいつに劣等感持って中学時代勝手にいじけてたからさ、お母さんのこと言えねーよ。でも嫌われてるなんて思わないでよ。八雲は医者になるまでの学費の負担をお母さんに掛けさせたくないって思ったからじーちゃんち行ったんだし」 「そんな事……私には一度も教えてくれた事なかった。義父母に、私にはアルファの子は育てられないってレッテルを貼られて……いつからか八雲は有泉の子で出雲は私の子って思うようになって、線引きをしてしまってたのよ。八雲だって私のお腹から生まれた大切な子供なのに」  涙を拭いながら眞知は声を詰まらせる。 「アルファっての抜きにしてもさ、八雲自身がどんだけメンドクセー奴かはもう俺らわかってんじゃん。──俺、あいつが望むことはしてやりたい……医者になるためにさ、俺達と離れて頑張ってたんだよ。本当は一緒に行きたかったのを我慢してさ、たった十歳だぜ? そんなガキんちょなのに将来のために家族から離れるなんてさ、俺にはできねーよ。寂しいの殺して……あいつホントすげーよ。だから……あいつのために俺は傍についてやりたいよ。八雲のことはさ、俺が引き受けるから、ちゃんと幸せにしてやるからさ、お母さんは心配しないでいーよ」  そう言うと眞知は赤い目を大きく見開いた。 「入院してた時と同じこと言ってる。出雲は俺がみるから心配しないでいいよって、私からかっさらってったわ。今度は出雲が言うのね」  祖父の家で見た、八雲の投げやりで大人を拒絶した姿。必死になって出雲を繋ぎ止めようとしていた。  ごめん、八雲。  ──俺も八雲が好きだ。  好きだなんて言葉が陳腐に感じるほど、この想いは深くて重くて、もう八雲なしじゃ生きられないレベルにまできてしまったんだ。 「俺達さ、昔から深く繋がり合ってて揺るぎないんだよ、あいつと同じくらい俺も八雲は特別な存在なんだ。離れてても八雲が心にいたから、完全に離れてた実感もないし。そのうち一緒になるんだろうなって漠然と思っててさ、まさか俺の事故がきっかけになるなんて想像もしてなかったけどね」 「そっか……そうね。あなた達には親でも入って行けない絆があるんだよね……ほんと双子って凄いのね。夫婦なんて簡単に壊れちゃうのに、あなた達にはそんな余地すらないもんね」 「うん……お母さん達に言えない秘密もたくさんあるよ……怒られるから言えないけどさ」  同じ遺伝子を持った双子の弟を好きだなんて、やっぱり言えない。ましてやアルファとオメガとして互いに求め合う、倫理もモラルもない関係だなんて。  罪悪感に目を逸らす出雲に、眞知は息子の頬をむにっと摘まむ。驚いて顔を上げると、眞知は鼻を赤くしつつも、いつもの母の顔をしていた。 「秘密の一つや二つ何よ、私だって子供に言えない秘密くらいあるわ。大人になるとね、今持ってる秘密なんてどーでもよくなるくらい、色んな事があるから」 「はは、お母さんが言うと現実味ありまくりじゃん」 「秘密も人生も、一緒に共有できる人が生まれた時からいるあなた達が羨ましいわ。今も、出雲と話しているのに八雲とも話してるみたい。ほら、そのぱちぱち音がしそうな瞬き、全く同じね、きっと二人が並んだらシンクロしてるわ」  うん、そう。  自分達はシンクロしている。他の人など入り込めない、二人だけにしかわからない繋がりがある。  だからもう心は決まった。  ──俺は八雲を幸せにしてあげなきゃいけないんだ。

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