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第3話「出会い」※

「……ん」  朝か。――眩しい光が部屋の中に差し込む。額に手を当て、目を開けた。  やっと今回のヒートが終わった。  体調でそう判断して、ほっと息をつき、ゆっくり体を起こした。かなり頻繁なヒートは正直辛い。ヒートの熱を押さえるには、誰かに抱かれるのが一番効果的だが、それをするのは躊躇う。  自分のような鍛えられたオメガを抱きたい酔狂な奴は居ないだろうし、例え居たとしても、騎士団長だと知られる訳にはいかない。そう思うと、一人で耐える以外に無かった。  ヒート中の自分の痴態が頭を掠め、ハルは乱れたシーツに視線を落とす。少し後、息をつきながら顔を上げた。 「起きるか」  気合を入れるために、そうつぶやいた。  シーツを洗って、きちんと食事をして、それから、久しぶりに剣の稽古もして、体を動かそう。  立ち上がって扉を開け、「ヴァロ、ウニ」と名を呼ぶと、二匹が駆けてきた。よしよしと撫でてやる。 「ヴァロ、ウニ。ごめんな、寂しかったよな。後で散歩に行こうな」  ヒートの間は満足に散歩も行けず、少し家の外に出して走らせ、用を足したら家の中に呼び戻していた。料理もしていられず、エサも犬用の簡単なドライフードだけになってしまっていた。 「もう大丈夫だから」  そう言うと、二匹は嬉しそうに、アン!と鳴いた。  シーツを洗い、外に干すと、馬と牛の小屋と鶏小屋も確認。ヒートでも最低限の世話はしていたけれど、少し丁寧に小屋の掃除を済ませた。  小麦などの食料は、十分な量を地下の格納庫に保管しているので、しばらくどこにも行かなくても、普通に暮らすことは出来る。ヒート明けの、久しぶりの体調の良い、晴天。動物たちと畑の世話をして、犬たちとゆっくり散歩をして、その日を穏やかに楽しく過ごした。  本当に、ヒートさえ無ければ楽なのに、と思ってしまうが、それはもう仕方がない。  久々にきちんと作った夕食を食べて、食器を片付け終えた時だった。  不意に扉が外から叩かれた。すみません、と男の声。森の奥のこの家に、こんな風な来客は初だった。 「森で迷ってしまって――水を貰えませんか?」 「――少しお待ちください」  ハルはそう答えて水を用意すると、剣を背中側に差し、いつでも対処できるようにしてから扉を開ける。  その男は背が高く、見上げる位置に顔があった。普通の民と同じ軽微な服装で、態度は下手に出ているが、よく鍛えられた体が見て取れるし妙な迫力を感じる。更に警戒しながらコップを渡すと、男は水を飲み干した。 「ありがとう。助かりました――町までの道を聞きたいんですが」  男は外を振り返りながらそう言って、またハルに視線を戻してくる。艶のある黒髪と濃い青の瞳が印象的な、整った顔をしていた。不用意にこちらに背を向けたことと、敵意の感じられない穏やかな声に、本当にただ迷っただけかと、少し力が抜ける。 「ああ、それなら、この先の道を……」  コップを受け取りながらそう言って、男と視線を絡めた瞬間。 「え」  不意に、どくん、と血が沸き立った。受け取った空のコップが手から滑り落ちて、床に転がった。 「……え……?」  ――ヒート?  昨日でヒートは収まったはずなのに――まずい。いつもは念のために持っている抑制剤も、収まったばかりの今はさすがに持っていない。  ぶわっとフェロモンが放出されたのが自分でも分かる。男は驚いた顔をしていた。ヒートだと悟ったのなら、この男はアルファだということだ。  ヒートに巻き込む訳にはいかない。ハルは、扉に手をかけた。 「まっすぐ突き当りを右に行けば、町につく……っすまない、行ってくれ」  早口でそう言って扉を閉めようとした腕を男に掴まれた。掴まれた部分が熱くて、ぞくりとした感覚が背筋を走った。熱がぶわりと、沸き起こる。 「あ……っ?」  かつてないほどの体温の上昇を感じる。ぐらりと眩暈を起こしたハルの体を、男は軽く支えた。男は一歩進み、家の中に入ってきた。咄嗟に見上げて、視線が絡む。涙が目に滲んで、視界がぼやける。 「大丈夫か?」  ハルの目に涙が滲んで視界がぼやける。上がる息。苦しい。 「……なんだ。あんた……すげえ、可愛いな」  ハルをじっと見つめた男は、笑いを含んだ声でそんなことを言って、ごくりと喉を鳴らした。そんな様子に、なぜかまた一気に熱があがって、息が速くなった。 「キスしても、いいか?」  駄目に決まってる。初対面の、得体のしれない男。  なのに、上がる息は抑えられない。拒否できずにいると唇が重ねられて、その感覚に酔う。思えば、これが初めてのキスだった。  熱い。唇に触れられて、ぞくりとした感覚が体を走る。 「……抵抗しないのか?」  少し離れて確かめるように囁かれた言葉に返せずにいると、また唇を塞がれて、今度は舌が絡んでくる。初めての深い口づけに、次第に、夢中で応えてしまった。  気持ちイイ。なんだ、これ。――だめだ、こんなの……。  腰に回った手に、引き寄せられて、ますます深く重なる。背中に差した剣に気づいた男は、する、とそれを抜いた。 「――これは、置いてもいいか?」  駄目だ。駄目なのに――熱くて、頭がまともに働かない。  ハルは、熱に浮かされたように頷いた。男は壁に剣を立てかけ、再びハルを引き寄せた。また深く唇が重なる。今度は遠慮がない。舌が絡み、甘く吸われる。 「……んっ……」  声が漏れる。飲み込み切れない唾液が顎を伝う。がく、と足が崩れると、男はハルを抱きあげた。肩の上に抱き上げられるなんていう初の事態にハルが焦っている間に、男は扉に鍵をかけてから、奥の寝室に進むと、ハルをベッドに寝かせた。  ハルの上に跨ってきた男は、自分の立てた膝で体重を支えていて、ハルに体重はかけていない。逃げようと思えば逃げられる状態なのに、動けない。  男は身に着けていた諸々をベッドの下に落としていく。筋肉が美しい、逞しい体だった。裸になった上半身から強いフェロモンを感じて、ハルは、ごく、と喉を鳴らした。 「……期待してるか?」  男は低く笑い、優しく囁く。その声に腰からゾクリとした感覚が沸き、震える。アルファ独特の気配と強い視線。隊に居たアルファ達とは違う、野性的で奔放な雰囲気に飲まれる。動けないハルの服に手を入れて、熱い手の平で肌をなぞってくる。ハルが、びくん、と震えると、男はハルを見下ろした。  さっき水を渡した時とは別人みたいだった。  本能的に――ダメだと、感じるのに。  誰かに反応して、体が熱を帯びるなんて、初めてだった。 (2025/8/2)

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