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思わぬ再会2

「ここの雰囲気に、ゆっくり慣れていってね。できることを少しずつ増やして、一年後、二年後にできるようになってくれればいいから」 「お言葉ありがとうございます」  先輩たちや課長と予定を確認し、ミーティングが終わった。 「それじゃ今日もがんばっていこう。よろしくお願いします」 「よろしくお願いします」  先輩たちはPCに向かい、営業に頼まれた書類やデータの確認をし始める。  「夏目くん、早速増見くんからPCの使い方やシステムのログインを教わって。十時半からは社内見学と挨拶周りをしよう。お昼休憩が終わったら、また彼から研修を受けてね」 「はい、課長」  システム手帳とペンを手にしていた課長が、デスクにあるノートPCを脇に抱え、ボードの名札を貼る。 「ぼくも営業部の課長と打ち合わせに行ってくるから後は任せたよ、増見くん」 「お任せください。いってらっしゃいませ」  課長を見送っていると……「よろしくお願いします。増見さん」  夏目さんが人好きのする笑顔で握手を求めてきた。  懐かしい気持ちになった俺は、初恋の相手である晋也のことを思い出す。  髪を金色に染め、お気に入りのピアスをいくつも耳につけ、ブレザーの制服を着崩した男に声を掛けられる。 『何してんだよ、迅。置いてくぞ』 『待ってよ、晋也!』  高校時代、いじめられっ子から毎日殴られていた俺を唯一助けてくれたのが、晋也だ。  殴り合いのケンカが大好きで、弱い者いじめが大嫌いな変わり者のヤンキー。粗暴な性格で、口も悪いから最初は苦手だった。  だけど、俺の友だちになってくれて、いつも笑いかけてくれた。  ふたりでゲームをして、漫画やアニメを楽しんだ。夏は晋也の家でたこ焼きパーティを、冬は男だけのクリスマスパーティをやった。映画を見に行った帰りにゲーセンで遊んで、ふざけてプリクラを撮ったのを今でも覚えている。  たった三年間、一緒にいただけなのに一生分、笑った気がする。  夜空にキラキラ光って消える流れ星のような、一瞬のきらめき。  大切な記憶として永遠に忘れたくないと思ったのは……俺だけなんだ。 「こちらこそ、よろしくお願いします。夏目さん」と彼の手を握り返す。  今まで仕事上で握手を求められたことは一度もない。  多分これは「おまえと俺の過去はなかったことにしろ。今日初めて出会ったことにするんだ」という彼なりのメッセージだろう。  胸がチクチクする。針の先で刺されているみたいに痛い。  だけど、ここは自宅じゃなくて会社のオフィスだ。  作り笑顔を浮かべ、夏目さんの手を放した。 「それじゃあ最初の仕事に入りましょう。どうぞ座ってください」 「はい」  他人行儀な態度にさびしさを覚えながら俺も椅子に座り、椅子ごと彼の席へ移動する。  夏目さんは持っていた黒いリュックの中から筆記用具を出し、机の上に置いた。 「ちょっと待ってください。今、ペンを出すので」  黒い革の筆箱から彼は黒い万年筆を取り出した。  目を凝らして彼が右手に持っているものを見る。 「どうかしました?」と夏目さんが意味深な笑みを浮かべた。 「いえ、万年筆をお使いになるなんて珍しいですね」  キャップを外し、ペン先をノートに走らせる。 「この万年筆、大切な人からもらったんですよ」  心臓を手で握りしめられたような息苦しさを感じ、唇をきゅっと()んだ。  彼に気づかれないよう、ひそかに息をつく。「落ち着け」と自分に言い聞かせながら波立つ心を鎮めた。 「昔はオレもヤンチャして、人から恨みを買うのが日常茶飯事でした。オレの将来や身を案じてくれた相棒が誕生日プレゼントとして、このペンをくれたんです」  知ってるよと俺は心の中で、つぶやいた。  晋也は絶対に得物を使わない。  だけど俺をいじめてきたやつらや、晋也に突っかかってくる輩はケンカをするときにナイフや金属バット、鉄パイプなんかの武器を手にする。  晋也がケンカで負けて、大怪我をすることは一度もなかったけど、いざというときに万年筆が護身用になるという話を聞きかじり、バイトで稼いだ金を使って買ったんだ。 「いつも助けてもらってる、お礼」と渡したら、「こんな高価なもの、もらえねえよ。万年筆なんて使いどころねえし」と言われてしまった。  興味なさそうな顔をしていたのに、ちゃんと持っていてくれたんだ。その事実に胸をときめかせる自分と、「デスクワークをやるからタンスの肥やしになっていたのを引きずり出したんだろ?」と疑う自分がいる。 「それ以来、肌見放さず持っています」 「へえ、そうなんですね! 夏目さん、まじめそうなイメージだからヤンチャしていたのは意外です。メモは取れましたか?」 「……はい、ありがとうございます」 「早かったら言ってくださいね。次に会社のシステムへログインしてみましょう」  何も知らない、気づかないフリをして研修を進める。  デスクに置いてある時計を見れば、課長が帰ってくる時間だ。 「きりがいいところで一旦終わらせましょうか。課長が来るまで、ここで待っていてください」  息抜きするためにトイレへ行こうと席を立つ。 「増見さん」 「なんですか?」  声を掛けられて振り向けば、恥ずかしそうに頬を()く夏目さんがいた。 「その……ご迷惑でなければ、お昼をご一緒させていただけませんか? 同い年ですし、いろいろと会社のことや仕事のことをお話ししたいです」 「——ええ、もちろん。いいですよ」  晋也が事故に遭って記憶喪失になったのか、はたまた俺をフッた気まずさを感じながら先輩・後輩としてビジネスライクな関係を築きたいのか、わからない。どちらにせよ、彼との関係はを一からやり直すしかないのだ、と思い知らされる。

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