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第4話

 ノーガは少し前までの笑顔が嘘だったかのように、心底侮蔑するような表情でリンゼを見つめていた。そのあまりの豹変ぶりに、リンゼはごくりと唾を呑み込む。 「君はそれがどんな意味を持つ言葉か知らないのか? 魔法を扱う人間が、教会の禁忌を知らないとは言わせないぞ」 「……え、ノーガ?」 「魔法は神が人間に与えた賜物だというのに、それを壊すだと? 神の恩恵を踏みにじる異端者め! 恥を知れ!!」  顔を真っ赤にして立ち上がったノーガが、腰に下げていた短杖を手に取る。杖先をリンゼに向けながら、憤りに声を震わせた。  その表情は嫌悪で激しく歪み、目つきは穢れたものを見るように鋭い。 「禁忌って? 俺には、何がなんだか……ねえ、ノーガ。杖を下ろして」  突然向けられた剥き出しの敵意に、リンゼは完全に混乱していた。  それでもなんとかノーガを落ち着かせようとする――だが、遅かった。 「おい! ここに異端者がいるぞ!! 誰か、神父様を呼んでくれ!!」  ノーガは広場に向かって声を張り上げた。広場に集まっている人たちにも充分聞こえる声量だ。周囲の視線が一斉にこちらに向けられる。  一気に増えた敵意の量に、リンゼは咄嗟に立ち上がって逃げようとした。  だが、ノーガの放った拘束魔法に足の自由を奪われ、その場に転んでしまう。 「痛……っ」 「逃がすものか! おい、異端者を野放しにするな!! 神を冒涜し、禁忌を犯した者がここにいるぞ!!」  なおもノーガが叫ぶ。  駆けつけた人々によって、リンゼはあっという間に取り押さえられた。  騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬たちが、嫌悪と侮蔑の入り混じった視線をリンゼに向けている。 「待って、違う、俺は――ぅぐっ!!」  弁明しようとしたリンゼの言葉を魔法が奪った。 「理(ことわり)を踏みにじり、人を惑わす異端者に言葉は不要だ」  ノーガが吐き捨てる。ここにいる全員がリンゼを異端者として扱い始めていた。  教会に引き渡されたリンゼはその日から一か月間、異端者として教会の地下牢で拘禁された。そこでおとなしくしていれば、いつかは出してもらえると信じていたのに――結局、それが叶うことはなかった。  誰に何を言っても信じてもらえない。話すら聞いてもらえない。人として扱われることもなくなり、教会の人間からは毎日のように悪意のこもった言葉をぶつけられた。  そして捕らわれてから一か月後。リンゼは理由も聞かされないまま王城へと連行され、王から運命の選択を迫られることになったのだ。      2  ――さすがに頷いたのは、まずかったかな。でも、そうしなきゃ殺されてたんだし……他に選択肢なんかなかったよな?  王に伴って謁見の間を出たリンゼは、脳内で自問自答を繰り返していた。  あれこれ考えながらも、前を歩く王に置いていかれないよう必死に足を動かす。  リンゼを拘束していた枷は一つもなかった。約束どおり、王が解いてくれたおかげだ。  どこも縛られていない状態で歩くのは教会に捕らえられて以来、約一か月ぶりのことだった。 「……痛、っ」  せっかく自由に動けるようになったのに、長い時間、地下牢の硬い床の上で過ごした影響で全身の関節が軋んでうまく歩けなかった。鈍い痛みにリンゼは何度も顔を顰める。  ――王様って、歩き方も綺麗なんだな。  動きのぎこちないリンゼと違って、前を行く王の歩みは優雅だった。  背筋をまっすぐ伸ばし、凜と風を切っている。まるで舞踏を見ているのかと錯覚させるくらい、美しく流れるような身のこなしだ。  今はそんな場合ではないのに、リンゼは思わず見惚れてしまう。  ――どっか、おかしくなってんのかな……俺。  感情が麻痺してしまっているのかもしれない。  目の前にいるのは、自分を殺すと脅してきた相手――しかも、この国の王だ。畏怖【いふ】すべき相手なのはわかっているのに、そんな人を美しいと思ってしまっている。 「――なんだ、罪人」 「……っ」  突然話しかけられ、リンゼはびくりと身を竦めた。  王はこちらを振り返ってはいないが、歩く速さが少し遅くなった分、二人の距離がわずかに縮まる。 「こちらを見ていただろう?」  後ろからこっそり見ていたつもりだったのに、視線に気づかれていたらしい。  ――答えを間違ったら殺される……なんてことないよね?  あんな問答をした後だ。綺麗だから見惚れていた――なんて素直に答える勇気はない。  それに、リンゼには王の問いに答える前に確認しておかなければならないことがあった。背中越しに王の機嫌を窺いながら、リンゼはおそるおそる口を開く。 「あの、俺……敬語が、話せなくて」  王と話すのにふさわしい言葉遣いなんて知らない。  それどころか、敬語だってまともに話せる自信がなかった。  最低限の読み書きはできるがその程度だ。こんな自分じゃ、ちょっと口を開いただけで王の気分を害してしまうのは間違いなかった。  ――不敬だって言われて、今すぐここで首を刎ねられるかも。  そんなリンゼの心配をよそに、王から返ってきたのは意外な言葉だった。 「構わん」 「え……?」 「ここには私と貴様しかおらん。無理に使う必要はないと言ったんだ」  ――いい、の?  本気で言っているのだろうか。王は相変わらずこちらに背を向けているので、表情ではなく声色で判断するしかない。 「じゃあ……そうする、けど」  しどろもどろでそう返したものの、何を話せばいいのかわからなかった。いくら考えても何も思いつかないので、ひとまず当たり障りない質問をしてみることにする。 「……どこに、向かってるの?」 「ついてくればわかる」  行き先を説明する気はないらしい。王は突き放すような物言いだったが、答えが返ってきたのが嬉しくて、リンゼは緩んだ口元を手で押さえる。  自分の言葉を誰かにちゃんと聞いてもらえたのも、約一か月ぶりのことだった。 「王様は……あっ、王様って呼んで平気?」 「好きにしろ」 「あの、王様はどうして俺に声をかけたの?」  本当は謁見の間で尋ねたかったことだった。  どうして王が自分なんかを選んで声をかけたのか、ずっと気になっていたからだ。 「…………」  王は沈黙してしまった。この質問はよくなかったのかもしれない。  しばらく無言で歩みを進めていたが、王は急に足を止めると、こちらを振り返る。その手に杖が握られているのに気づいて、リンゼはひゅっと喉を鳴らした。 「あの! だめなら、もう聞かないから……ッ」  だから殺さないで――そう続けるつもりだったが、言葉は最後まで紡げなかった。  目の前に、真っ白な美しい魔法陣が現れたからだ。 「……〔治癒〕と、〔浄化〕?」  思わず、魔法陣を構成する魔法式を読み上げていた。王がその魔法を自分なんかのために使ったのが意外だったというのもある。  魔法陣はそれから二秒も経たないうちに、さあっと光の粒子に姿を変えた。  はらはらと舞う光の粒子がリンゼの身体を包み込む。触れた場所から汚れが消え、痛みが引いていくのがわかった。 「――本当に魔法陣が読めるのだな」 「え?」 「私が欲したのは、貴様のその能力だ」  王はそれだけ言うと、腰帯に杖を戻し、あっさりと踵を返す。  言われたことをすぐに理解できなかったリンゼは、痛みと汚れがなくなった自分の身体を呆然と見下ろしていた。

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