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第18話-5 壱川春

高校一年の秋。
 初めて誘われて秋のワンマンライブに行ったあの日。 

春はその日、かなり無理をして仕事を抜け出しワンマンに行った。
 たまたま機材トラブルで撮影が止まり、1時間ほど空きができたのだ。 移動を考えれば参加できても5〜10分だろう。 それでも勝手に身体が動いていた。
 自分でも何故そんな行動を選んだのか、
春はその時わからなかった。
 いや、
分からないと思い込むようにしていた。

 会場に入り目が合った時、
驚いた表情をした後、心底嬉しそうに秋が微笑んだ。

 「気になる人に作った歌を歌う」 
そうステージから真っ直ぐ春の目を見て秋が言った。 

その曲が、その言葉たちが、自分に宛てられていることが痛いほど伝わってきた。 
でも、秋は自分とは違う。
 普段の友人との会話や仕草、それらがそれを示していた。 

秋のこの好きは、きっと友達として、なんだろう。 

もし仮にそうでなくても_____。 
それは"壱川春"に向けられたものだ。 

"壱川春"など、本当はどこにもいない。 

春が作り上げたただの虚像、幻覚だ。

 それに明確な欲や意志は持たせるべきではない。 
そういうものはもうとっくに捨てたはずだ。 

だからきっと、今のまま、このまま。
 人々が望む"壱川春"でいるべきだ。 

いつぶりかに大きく感情が揺れ動く様に、春は抗った。

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