176 / 209
第22話-13 向井聡
早々に息を切らして現れた春は、
まだ秋が来ていないと分かった途端、
その表情を緩めた。
向井に誘導され、ソファに座った春の上に乗り、向井は「口を開けて」と錠剤を差し出した。
「なんですか、それ」
「ただの眠剤、怪しい薬じゃないよ、ほら」
そういって向井は錠剤が格納されていたシートを見せる。
春はそれを一瞥し、
向井の指示通りに口をわずかに開けた。
薬を春の口にねじ込み、向井は自分の口に水を含み、それを口移しで春に流し込む。
春は抵抗することなく、それを飲み込んだ。
「仕事は?」
「今日はもう終わりました」
「運が良かったね」
そういって春の目元を指でなぞる。
今やテレビで見ない日はない春。
きっととんでもないスケジュールで働いているのだろう。
目元には薄く隈が浮かんでいる。
「目を閉じて」
「秋に…」
「春が起きるまで何もしないよ 疲れてるでしょう、寝て」
春はじっと向井の目を見つめる。
そして、春は目を閉じて、静かに言った。
「向井さんのこと、俺、信用してますよ」
向井は思わず目を見開いた。
"信用"
向井は目を閉じた春に、そっと口付けをした。
そして、そのまま、春を優しく抱きしめた。
しばらくずっと、そうしていた。
やがて静かに寝息を立て始めた春。
そんな春の髪を、向井は優しく撫でた。
普段は"俺"って言うんだ。
向井はそんなくだらないことを思った。
ただ、春を深く愛おしく思った。
信用。
そんなことを思うことが、どこにあったんだろう。
それでも向井は、春に言われたその言葉をひどく嬉しく思った。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
向井は顔を上げた。
ともだちにシェアしよう!

