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act4 一二三SIDE
職員専用の裏口から出て船内へと戻ると、乗船する時に通った大きなホールへと出た。
一般客が寛げるようにと設けられたパブリックスペースには、大きなグランドピアノが置かれており、自動で流れて来るピアノの音色を聞きながら数組の若い男女がテーブルを囲み、楽しそうに談笑しているのが見えた。
幸いまだ、自分が会場を抜け出したことは大きな騒ぎにはなっていないようだ。
いつもと変わらないゆったりとした空気感にホッと胸を撫でおろすと、出来るだけ怪しまれないように自然な動きで彼らの横を通り過ぎ、中央に備え付けられた螺旋階段の裏側にあるエレベーターホールから自分に宛がわれた階へと戻って行った。
自分の部屋があるフロアに到着し、エレベーターの扉が開ききる前に一二三はさっと身体を滑り込ませて自室へと向かう。
今日は色々あったから早く自室に戻って休みたい。そんな事を考えながら廊下を歩いていると、部屋の扉の前に見慣れたスーツ姿の男が一人立っていることに気付いた。
冷たく光る銀色のフレームが特徴的な眼鏡に、短く切り揃えられた黒髪。
年齢の割りに貫禄のある風体と、キチリとしたフォーマルなスーツを隙なく着こなした男は間違いなく、自分の秘書である風見だ。
彼は、落ち着きなく足を小刻みに揺すりながら苛ついた様子で腕を組み、何度も腕時計に視線を向けていた。
あの様子を見る限り、やはり勝手に会場を抜け出したことを怒っているのだろう。
だが、此処を通らなければ部屋には戻れないし今更さっきの彼の所へ戻るわけにもいかない。
どうしたものかと二の足を踏んでいると、気配に気づいた風見がハッと顔を上げた。
「……っ、一二三様!」
「……あ」
見つかってしまった。そう思ったがもう遅い。反射的に引き返そうと踵を返したが、それよりも先に風見に腕を摑まれてしまった。
「何処に行ってたんですか! 随分と探したんですよ!?」
「す、すまない。少し酔ってしまったみたいで外の空気を吸いに行ったら、思いのほか船が広くて道に迷ってしまったんだ。いやぁ、途中でスマホは何処かに落としてしまうし、大変だったよ」
別れ際に、何か聞かれたらこう答えろと総一郎から教えられた台詞をそのまま言うと、風見は呆れたように小さく溜息を吐き眼鏡のブリッジを押し上げた。
「全く……。気分が悪いのならそう言って下さればよかったのに。スマホには繋がらないしGPSの反応も電波の干渉が酷いのか、イマイチ場所の特定ができなくて貴方様にもしもの事があったらと思うと私はもう、不安で……っ」
お前の干渉が嫌で逃げ出したくなったのだと言えればどんなにいいだろう。だが、そんな事を言ってしまえば説教二時間コースは避けられないだろうし、今後の自由時間も制限されてしまうかもしれない。そんな息が詰まるような生活はまっぴらごめんだ。考えただけでもゾッとする。
「本当に悪かった。もう大丈夫だから」
「……それならいいんですが……。ところで、一二三様。そのジャケットはどうしたんですか?」
指摘されて初めて気付く。そう言えば、さっきの彼に着せてもらってそのまま返すのを忘れてしまった。
「あぁ、これは……。外が寒くて途方に暮れていた時に親切なクルーが貸してくれたんだ」
部屋に入りジャケットを脱ぐと、職員用出入り口まで送ってくれた彼が頭に浮かんで来る。
随分と体格のいい、背の高い男だった。切れ長の瞳は穏やかで理知的。真っ白なクルーの制服が良く似合う、爽やかな好青年といった印象だった。
「親切なクルー……ですか」
「そう。道に迷ってしまった僕を、わかる所まで案内してくれたんだ」
彼は中々に面白い人物だった。今まで自分の周りには居ないタイプだったし、あの部屋に置いてあったものは何もかもが新鮮で興味深かった。
また、会えるだろうか? 彼ならきっと、この窮屈な毎日から解放してくれそうな気がする。
「そう、ですか。では、そのクルーには是非ともお礼をしなくてはいけませんね。そのジャケットは私めが返しておきますから」
スッと手を差し出されたが、一二三は静かに首を振った。普段なら面倒な事は全部風見に任せているところだが、このジャケットだけは自分で返したい。
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