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「おい、聞いてんのか?」
「――ッ!?」
物思いに耽っていたら、いきなり佐伯に覗き込まれて我に返った。
急に話しかけられた総一郎は驚いて飛び上がりそうになったが、ギリギリのところで何とか堪える。
「どうしたんだよ。さっきから……。なんか変だぞ、お前」
「悪い。何でもない」
「御曹司様の我儘に付き合わされて嫌なのはわかるけどさ、あと一週間我慢すれば解放されるんだろ? もう少しの辛抱じゃん」
「そう、だな……」
佐伯にポンと背中を叩かれ、曖昧に頷いた。
確かにあと一週間の辛抱だ。この仕事が終われば一二三との縁も切れる。
だけど、それがなんだか無性に寂しいと思っている自分がいる。
彼と出会ってからと言うもの、自分の中にあった常識や価値観を覆される事ばかり。
こんな経験は生まれて初めてだ。彼の事を考えているとどうも調子が狂う。
昨夜だって、初めはあんな事をするつもりなんて毛頭無かった。ただ、無防備に狸親父に尻を好き放題触らせていたのかと思うと、なぜだか無性に腹が立って、つい手が伸びてしまった。
ただそれだけのはずだったのに。
嫌がったり怒ったりするどころかあんな風に我を忘れて快楽を貪る彼は初めて見たし、白い肌が朱色に染まって淫らな吐息を漏らす彼の痴態に言いようのない興奮を覚えたのは確かだ。
途中から歯止めが利かずついつい、やり過ぎたと反省している。
だが、どうしても、昨晩の一二三の淫らな姿ばかりが脳裏をちらつく。目を閉じれば昨夜、散々乱れさせた一二三の姿態が鮮明に蘇りそうになり慌てて頭を振った。
(俺は馬鹿か!? これから仕事だっつーのに、何を考えているんだ……っ)
どれだけ自分は見境が無いんだと、衝撃の事実に愕然とした。しかも、よりによって男相手に。
なんとなく居た堪れなくなって自分の頬を両手でパンパン叩く。こんな事をしたって何の誤魔化しにもならないとはわかっているけど、出来る事なら、この煩悩の塊を頭の中から追い出してしまいたい!
(クソッ……、なにも考えるな。今は仕事に集中しないと……)
今は余計な事は考えず、目の前の仕事に集中するべきだ。そう自分に言い聞かせ、総一郎は掃除道具を手に部屋を出た。
一人で難しい顔をして苦悶している総一郎を、佐伯は悟った表情で見つめていたが、可愛そうだと思ってか何も口にはしなかった。
「じゃ、俺は重ちゃんのとこに行くから!」
仕事終わり、バーへと向かう佐伯を見送ってから自室へと戻る。昨日の今日だ、きっと一二三は来ないだろう。いつもなら、待ち合わせの時間が一方的に送られてくるのに、今日は何も来なかったのが何よりの証拠。
怒らせてしまった自覚はあるし、あんな事をしてしまった手前、合わせる顔がないのもわかる。
(でも、少し、寂しいな……)
なんて。女々しすぎる自分の思考に嫌気がさした。一二三が来ないなら来ないで、別に構わないじゃないか。
そう自分に言い聞かせて、職員通用口へ差し掛かったその時。仕立てのいいスーツを着た男が、檻に入れられたクマのようにウロウロと、右へ行ったり左へ行ったりを繰り返しているのが見えた。
一瞬目を疑ったが、それは紛れもなく一二三で。総一郎は思わず目を見開いた。
何故、こんな所に? 怒っていたんじゃないのか?
「……遅いじゃないか」
総一郎の姿を確認するなり開口一番、少し拗ねたように一二三が唇を尖らせた。
「すみません。……まさか来ているとは思わなくて」
「ま、まぁ……今日は僕も連絡を入れていなかったし……」
気まずい空気が流れる中、互いに視線を彷徨わせる。
「取り敢えず、部屋に入れてくれないか? ここでは目立つ」
「えっ、あぁ……そうでしたね。どうぞ」
一二三に言われ、総一郎はハッと我に返る。確かに、こんな所でいつまでも立ち話をしているのは得策ではない。
一二三を連れて部屋に戻り、ソファに座ってもらったところで、総一郎は改めて彼に向き直った。
「あの、昨日はすみませんでした。あんな事するつもりじゃなかったのに、つい、魔が差してしまって……。その……身体の方は大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……。まぁ、なんとか」
一二三は曖昧に頷いて、少し視線を泳がせた。心なしか顔が赤いような気がする。
その反応が一々可愛いと思えてしまう自分に気付いて、慌てて頭を振った。
(いや、可愛いとか……おかしいだろ、俺)
「そ、その……っ、昨日は少し驚いてしまって……その……ああいう事、した事がなかったから……」
俯いてもごもごと口ごもる一二三に、ドキリと心臓が跳ねた。
自分はノーマルな筈なのに、どうしてこの人はこんなにも自分の心をかき乱すのだろうか。きっと本人からすれば無自覚なんだろうけど。
だからこそ、余計に質が悪い。
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